祖父は、私の下宿探しに誰より熱心だった。
大学に入ってすぐ、完全な一人暮らしは心細いだろうと、私は食事付きの下宿を選んだ。祖父は家賃や駅までの距離だけでなく、管理人の人柄や、ほかにどんな下宿人がいるのかまで細かく聞いた。
当時は、世話焼きなだけだと思っていた。
祖父が若い頃に住んでいた下宿の話を聞いたのは、それから何年も後のことだ。
昭和二十X年。十八歳だった祖父は、父親と喧嘩して故郷を飛び出し、一人で上京した。
都会では訛りを笑われた。
勤め先でも酒場でも、口を開けば誰かが真似をした。笑い声の中にいると、自分だけが人間の形をした異物になったようだったという。
そんな祖父を救ったのが、最初に住み込んだ下宿だった。
似た境遇の若者が何人も暮らしていた。下宿のおばちゃんは、腹を空かせて帰れば飯を多めによそい、風邪をひけば額に手を当てた。仕事で失敗した夜には、何も聞かず、甘い饅頭を置いていった。
下宿人たちは皆、おばちゃんを都会の母親のように慕っていた。
ただ、おばちゃんは熱心な信徒でもあった。
廊下の奥に小さな仏壇があり、朝晩、長い時間そこへ手を合わせていた。祖父は信仰深い人なのだろうと思い、気に留めなかった。
ある日、夕食後のちゃぶ台で、おばちゃんが言った。
「日曜に寄り合いがあるんだけど、あんたも来てくれないかね」
断る理由もなく、祖父はついていった。
町外れの古い集会所には、大勢の人が正座していた。経典のような本を読み、やがて全員が同じ言葉を大声で唱え始めた。
その声を聞いた瞬間、祖父は戦時中の記憶を思い出した。
疎開先の村で、朝晩、遠くから聞こえてきた歌声。
たあすけたまえ。
節をつけて繰り返される声が、なぜか子どもの頃から嫌いだった。意味も分からないのに、聞いていると自分の内側へ誰かが入ってくるような気がしたという。
それから祖父は、おばちゃんの誘いを断るようになった。
意外にも、おばちゃんはすぐに引き下がった。
祖父は安心した。
ある夕方、仕事から戻ると、下宿の中から大音量のお題目が聞こえてきた。
また寄り合いをしているのか。
そう思いながら格子戸を開け、茶の間を覗いた。
祖父以外の下宿人が、全員そこにいた。
おばちゃんを中心に円を作り、笑顔で同じ言葉を唱えていた。
祖父と同じように地方から出てきた者。
都会に馴染めず、夜になると故郷の話ばかりしていた者。
仕事を辞めようかと泣いていた者。
おばちゃんに飯をよそってもらい、看病され、饅頭を受け取った者たちだった。
唱える声が止んだ。
全員が祖父を見た。
おばちゃんが立ち上がり、笑った。
「もう、あんた一人だけだよ」
その言葉を合図にしたように、下宿人たちも立ち上がった。
誰も怒鳴らなかった。
誰も腕をつかまなかった。
ただ笑顔のまま、祖父との距離を詰めてきた。
祖父は二階へ駆け上がった。自室に鍵をかけ、ボストンバッグに持てる物だけを詰めた。階段を下りれば、彼らがいる。
窓を開け、屋根へ出た。
瓦の上を這い、隣家の塀へ飛び移り、そのまま同郷の先輩の家まで走った。
それで終わりではなかった。
下宿を出たあとも、おばちゃんは祖父を捜した。
事故で入院すると、どこで知ったのか花束を持って病室へ現れた。動けない祖父の枕元に座り、長い法話を聞かせた。
祖父が退院して勤め先の倉庫に身を隠すと、今度は会社の近くで見覚えのある下宿人を見かけるようになった。
声はかけてこない。
道の向こうから、ただ笑っていたという。
半年ほどして、すべては突然途絶えた。
祖父は、新しい下宿人が入ったのだろうと言った。
「何とか逃げ切ったよ」
そう言って笑った。
晩年、この話をするたび、祖父はあの下宿を「ローズマリー下宿」と呼んだ。
映画の題名をもじった、祖父なりの冗談だった。
だが、祖父が亡くなってから、私は時々考える。
祖父が私の下宿探しをあれほど熱心に手伝ったのは、部屋の広さや家賃を心配していたからではない。
あの人は、下宿という場所が、孤独な若者を迎え入れる家であると同時に、外へ逃がさない家にもなり得ることを知っていた。
祖父が最後まで覚えていたのは、お題目の声ではなかった。
茶の間で、自分以外の全員が立ち上がったときの音だった。
[出典:686 :あなたのうしろに名無しさんが……:03/11/30 03:03]