親父が死んで、今日でちょうど一年になる。
教会には一周忌なんて習慣はない。けれど、心の奥で何かの節目だと感じてしまう。
親父は神父だった。十字架を掲げ、聖書を読み上げる男だったくせに、幽霊の存在も認めていた。いや、認めるどころか、見えると言っていた。俺も同じ体質を持っているらしいが、いまだに信者にはなっていない。
ほかの神父たちからは異端視され、悪魔憑きとまで言われた。だが、親父は人を助けた。金を取らず、祈るだけでは足りぬと言って、見えない相手にまで手を伸ばした。
教会に足を踏み入れると、外の空気とは別種の匂いがある。蝋燭の焦げた甘い匂いと、古い木の湿り、祈りの息が混ざったような、重たく沈む匂い。そこに二週間と開けず、不可解な出来事を抱えた人間が訪れた。
けれど一年と少し前、その親父は首を吊って死んだ。あまりに多くの闇を抱えすぎて。神ですら救えなかったのか、それとも神がそっと見捨てたのか。
——自慢話になるかもしれないが、親父の生き様を語らせてほしい。
ある日の夕方、学校から帰ると、我が家の小さな教会の前にパトカーが停まっていた。
入口で警官が二人、立っている。
母に尋ねると「黒沼さんが暴れて倒れた」と言う。近所の誰かが騒ぎ声を聞いて警察を呼んだらしい。
黒沼さんは四十五歳くらいの独身女性で、最近通い始めたばかりだった。最初に来た時から「親に呪われている」と言っていた。親父は「そんな親はいない」と諭したが、黒沼さんは頑なだった。理由を問えば「長い間、顔を見に行っていないから」。
その答えを聞いたとき、てっきり亡くなっているのだと思っていた俺は、少し背筋が冷えた。だが、黒沼さんの母親は生きていた。
それなら、と親父と母は黒沼さんを伴い、母親のもとへ向かった。俺は留守番。
数時間後、母から電話があり、迎えに来いと言われた。言われた住所をナビに入れ、車を走らせた。着いた先は、ゴミ屋敷と呼ぶのも生ぬるいほどの家だった。塀の外まで積まれたゴミ袋。鼻の奥にまとわりつく腐臭。
既にパトカーと救急車が数台、家の前を赤い光で染めていた。外で落ち着かず歩き回る母を見つけ、声をかけた瞬間——家の中から黒沼さんが現れた。
両肩を警官に支えられ、腕には……人間の頭蓋骨を抱いていた。
腐敗の臭いが一気に夜気を押しのけ、喉を抉った。胃が反射的に痙攣し、道端に吐き出した。母も、野次馬たちも同じように呻きながら吐いていた。
その後から、親父が出てきた。顔は青く、泥のような何かに服がまみれている。匂いがまとわりつき、チーズのように鼻の奥で膨れた。
「残念ながら、亡くなっていたよ」
そう言った声は、どこか擦れ、掠れていた。
——後日、黒沼さんは孤独死させてしまった母親のことを悔やみ、教会で泣き続けた。俺はあの家を見てしまったせいで、事情は察していた。きっと見捨てるしかない理由があったのだろう。だが、罪悪感はそう簡単に剥がれない。
しばらくして、黒沼さんは変わった。お祈りの場に通い続けるうちに少しずつ元気になり……やがて、母親の悪口を言うようになった。初めは誰も咎めなかったが、次第に耳を塞ぐようになり、避ける者も出てきた。それでも親父は黙って頷き、聞き続けた。
その日、親父はいつものように黒沼さんの話を聞いていた。罵声は止まらず、空気が濁っていく中で、親父が初めて遮った。
「……あなたのお母さんは、首を絞められても、あなたを恨んだりはしていませんよ」
黒沼さんは目を見開き、泣きながら暴れ始めた。「殺してやる」と何度も叫び、そして気を失った。
母が後に言った。「お父さん、最初から知っていたんだよ」
黒沼さんが自首したという話は、今も聞かない。
あの日、俺は親父に問いかけた。「あれでよかったのか」
親父は少し間を置き、視線を伏せ、「……誰にも言うなよ」とだけ言った。
あの時、親父は何を見て、何を確信していたのか。
一年たった今でも、あの泥と腐臭が鼻から離れない。
そして、親父が遺した最後の言葉が、夜ごと胸の奥で反響している。
[出典:941 本当にあった怖い名無し 2007/11/05(月) 22:26:21 ID:hsrpxV6l0]