知人の紹介で、裁判所関係の清掃バイトを始めたのは、大学三年の春だった。
大学に慣れてきた頃、就活の資金も兼ねて、割のいい日雇いがあると聞かされて、詳しい内容も聞かずに引き受けた。
初日、指定された場所は都内某所の古びた団地だった。集合は朝七時。
集合場所に行くと、既に五、六人の男たちが無言でトラックの脇に立っていた。中には顔を隠すようにフードを目深にかぶった中年もいた。
空気が妙に重い。その理由はすぐに分かった。
この仕事――要するに、立ち退き命令が出た部屋に踏み込んで、中身をまるごと運び出すというものだった。
テレビで観る地検特捜部の家宅捜索、その民間版と言えば想像しやすい。
ただし、ドラマチックな正義はない。ただ、誰にも顧みられなくなった部屋の空気と、それを片付けるだけの人間たちがいるだけだ。
最初の部屋からして、尋常ではなかった。
ピンポンを押しても応答なし。執行官が合鍵職人を呼び寄せる。工具でドアの鍵が壊されると、我々は段ボールを抱えてなだれ込む。
その瞬間だった。黒いものがばさばさと飛び出した。顔にぶつかる、肩をかすめる……ハトだった。
部屋の中は、信じられない光景だった。畳の上に、ハトの糞が十センチ以上積もっていた。
床全体がうっすら白くなっているのは、灰でもカビでもなく、乾ききった糞。踏みしめると、ざくざくと音がする。
引き戸は糞の山に押し上げられ、開閉不能。外して進むと、さらに異様な部屋が現れた。
蚊帳が張られていた。その中に敷かれた布団、バケツ……それが住人の「生活の場」だった。
蚊帳の外はすべて、鳴きわめくハトの領域。住人はこの隔離空間で、鳥たちと共生していたのだ。
なぜそんな暮らしを選んだのか。病んでいたのか、悟りでも開いていたのか、今となっては分からない。
その男には、ついぞ会うこともなかった。
我々はただ、無言で糞をスコップで削り取り続けた。
次に印象深かったのは、明らかに反社の関係者が住んでいたと思われる部屋だった。
刀剣や拳銃の類は見慣れてきていたが、その部屋では冷蔵庫の中から、異様なものが見つかった。
「ごはんですよ」のビンが、棚に五本並んでいた。どれも中身はアルコールに漬かった、小さな肉片……それも、指だった。
小指。それが複数本、年月の記されたビンに大切そうに保管されていた。
我々は声も出せず、作業は即中断された。執行官が警察を呼び、私たちは現場から解放された。
あれは「見せしめ」だったのか。それとも、本人の記念品だったのか……?
持ち主は行方不明だった。生きているのか、既にどこかに沈められたのかも、誰も知らない。
清掃の現場では、宗教関係のものも頻繁に見かけた。
教典、教祖の写真、祈祷札……金のない人間が、最後に縋る先が宗教なのかもしれない。
部屋の隅に置かれた大量の勧誘チラシが、風もないのに揺れていたことがある。
誰かがそこにいたような気配を、私は今も忘れられない。
だが、最も心に残っているのは、「死者の部屋」だ。
強制執行の日、扉を開けると、花が置かれていた。畳には、赤黒い染み。
その染みが、なぜか人の顔の形に見えてしまった。目、鼻、口がはっきりと。
死体そのものを見たわけではない。執行は中止され、数週間後、我々が入室するよう言われた。
死の痕跡を消すのが、我々の仕事だ。
段ボールに遺品を詰め、ほうきで部屋を掃く。あの部屋では誰かが最後の瞬間まで息をしていた。
一年後、同じ団地、同じ部屋で、再び自殺があったと聞かされた時は、背筋が凍った。
我々の仲間の一人は泣きそうな顔をしていた。偶然かもしれない。だが、あの部屋には、何かが棲んでいたのかもしれない。
仕事を辞める直前、その団地に三度目の強制執行が入ったという噂を聞いた。
今、その部屋には、また新たな住人がいるらしい。何も知らず、陽だまりの中でテレビでも観ているのか。
それとももう、彼もまた……
団地に住むということは、壁の向こうにどんな闇が潜んでいるのかを、知っておくべきだ。
隣人の顔が見えないのは、ある意味で幸せかもしれない。
――あれ以来、団地を見るだけで、私は背筋が冷たくなる。
(了)