ネットみつけた怖い話。
山に囲まれた谷間の集落で育った彼は、自分の家だけが、妙に密接して隣の家と繋がっていたのをよく覚えているという。ほかの家々は百歩、二百歩と間隔を空けていたのに、そこだけがまるで都会の長屋のようにぴったりと壁を寄せ合っていたのだ。
隣に住んでいたのは、彼の幼い頃に赤ん坊を産んだ若夫婦だった。生まれた女の子には「摩耶」と名づけられた。近隣の子供が少なかったこともあり、摩耶は自然と彼の遊び相手となった。よく抱っこし、よだれを拭き、砂場で泥団子を作って遊んだ。妹のようだったと、彼は言った。
だが、摩耶がこの世に現れてから、あの家に異様なことが続きはじめた。
祖父が急逝し、追うように祖母も亡くなった。遠縁の親戚も三人が短期間のうちに事故や病気で立て続けに逝き、両親は見る見るうちに消耗していった。母親は風邪から始まった体調不良が骨のヒビ、やがて肺炎、慢性的な喘息に繋がり、父親は勤め先のリストラと友人からの金銭トラブルに巻き込まれた挙句、鬱状態に。表面上は日常の顔を保っていたが、家の中にはどんよりとした空気が満ちていた。
ただ一人、摩耶だけが、何事もなかったかのように健やかに育っていた。
やがて彼女が五つになった頃、父親と母親は無理心中を図った。遺書もなく、遺体は納屋の梁からぶら下がっていたという。摩耶は彼の家に引き取られたが、両親の死を悼む様子もなく、葬式の間も、目をぱちぱちと瞬くだけだった。
成長するにつれ、摩耶は人形のように美しくなった。白磁の肌に、漆黒の髪。だが笑わず、言葉少なく、目だけが異様に澄んでいた。田舎の噂は早く、村人たちは「ありゃ人じゃねえ」「動くひとがたじゃ」などと囁いた。
それでも彼は摩耶を受け入れた。勉強を教え、遊びに誘い、変わらず一緒に過ごしていた。
ある夏の夜、摩耶が唐突に「昔みたいに一緒にお風呂に入りたい」と言った。
思い出話をするような口調だった。言われるまま風呂に入った彼は、湯気の中で違和感に気づいた。
摩耶の右腕が……摩耶のものではなかった。皮膚の色はほぼ同じだったが、形が違う。骨格、筋の走り方、毛穴の向き……視界の端で見たそれは、まるで他人の手のように浮いて見えた。左腕も違った。右足、左足も――すべて、バラバラな誰かの手足。
目を凝らすと、唯一、左腕だけが微かに血色が違っていた。日中、摩耶がその腕を使わないようにしていたことを思い出し、背筋が寒くなった。
声をかけることもできず、湯から上がった。
翌日、摩耶が夕暮れ前にふらりと外へ出た。彼は無意識に後をつけた。
森に入る。どんどん奥へ、獣道のようなところへ分け入っていく。蜘蛛の巣を払いながら進むと、急に円形に開けた場所に出た。
そこで摩耶は、無言で衣服を脱ぎ始めた。すべて脱ぎ捨てると、両手を広げて頭上に掲げ、大声で意味不明の言葉を叫びはじめた。
明らかに尋常ではない。駆け寄って肩を掴み、「どうしたんだ」と叫んだその瞬間――摩耶の目がこちらを向いた。
闇だった。
白目も黒目もなく、ただ吸い込まれそうな闇。球体ではなく、空間が空いているような……眼という形を借りた異質の穴。
そこから先の記憶が、ぷつりと途切れているという。
気がつくと、自宅の和室。彼と摩耶は、互いに全裸で横たわり、左腕どうしが縄でしっかりと結ばれていた。縄はしめ縄だった。祭壇のように貼られた札、室内に撒かれた塩の匂い、ふすま越しの大人たちの怒声。
体は動かず、天井の木目を見ているしかなかった。
やがて神主と、白装束の巫女が現れた。幣を振り、塩を撒き、彼の額に何かを描いた。摩耶は眠ったままだった。儀式が終わると、神主は低い声でこう言ったという。
「この子から、離れてはいけない。左腕がつながったのなら、もう離すことはできない」
それから二日間、巫女が摩耶の世話をしていた。その後、ふたりは何も語らず去って行った。
それを境に、摩耶は明るくなった。表情も増え、親たちも安心していた。だが、左目だけが極端に視力を失った。原因不明。医者は「先天的なものかも」と濁すだけだった。
彼の左腕には、小さな痣のようなものが残っていた。円を描いたその痣は、薄墨のような色をしていて、触ると冷たかったという。
不思議なのは、摩耶の右腕、右足、左足――それらは今も、彼女自身のものではないように思えること。
そして……左腕だけは、誰のものか分かっているのだという。
彼自身の左腕が、摩耶の左腕になっている。
「神主の言ったこと、あれがどういう意味だったのか、いまだに分からない」と、彼は笑ってみせた。
けれどその笑いには、引きつった歪みがあった。
摩耶があの森で呼び寄せていたものは、いったい何だったのだろうか。
今でも彼の腕は、冬になると、ひどく冷えるのだという。
[出典:552: 2011/08/25(木) 12:52:47.64 ID:chl3ac9U0]