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鏡の向こうの乗客 r+1,967

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友人の部屋に行くのは、これで三度目だった。

あいつが住んでいるのは築十五年ほどのマンションで、外観は古びているが内装はやけに清潔だ。玄関の脇にあるエレベーターは、入ってすぐの奥が全面鏡張りになっている。鏡は天井から床までぴたりと貼られていて、乗り込むたび、ふいにもう一人の自分がそこに立っているような気がして、あまり好きになれない。

夜八時頃に着き、適当に酒とつまみを持ち込んで、他愛のない話をした。仕事の愚痴や昔の同級生の噂話、ゲームの攻略法……くだらない時間だったが、それなりに楽しかった。

酒が回ってきたころ、友人が何気なく言った。
「エレベーターってさ、普通はドアの方を向いて乗るだろ」
「まあ、そうだな」
「背中側に鏡があるだろ、あれ……たまに視線を感じるんだよ」
「は?」
「ほら、なんとなく、後ろから誰か見てる気がしてさ。でも、よく考えたら、それって鏡に映った自分じゃんって」
笑いながらそう言うと、奴は缶ビールを一口飲んだ。

俺は苦笑した。
「お前、それ、勘違いだぞ。背中を向けてる自分の映像から視線なんか感じるわけがない」
「あはは、だよなー」

そんな、軽い冗談のつもりだった。
しかし、その夜の帰り際、俺は思いもよらない体験をすることになる。

夜十一時過ぎ、マンションの廊下は静まり返っていた。
エレベーターのボタンを押し、無人の箱に乗り込む。ドアが閉まる。背後には例の鏡。

――視線を感じる。

あり得ない。さっき論破したばかりじゃないか。
だが、その感覚は妙に生々しく、首筋に冷たいものが這い上がってくる。振り返るのは癪なので、ポケットから手鏡を取り出し、背中越しに覗いた。

映っているのは、自分の背中……だけ。
心の中で「ほらな」と呟く。
念のため、振り返って鏡を見ると、そこには眼鏡をかけた俺の顔。
当たり前だ。馬鹿らしい。

自嘲気味に笑った瞬間、足元が大きく揺れた。
地震だ。エレベーターは急停止し、天井の白い蛍光灯がふっと消えた。代わりに、裸電球のような薄暗い非常灯が点く。

箱の中は急に狭く感じられ、息が詰まりそうになった。
鏡を見ると、非常灯の黄色い光の中に、蒼白な顔をした自分が立っている。
……だが、その顔には何か違和感があった。

不意に蛍光灯が再び点き、エレベーターは何事もなかったかのように動き出した。俺は安堵の息を吐き、一階へ降りた。

外の夜気を吸い込み、駐車場へ向かう。まだ鼓動が早い。
車のドアを開け、運転席に座ったとき、唐突に「あれ、眼鏡を忘れたかな」と思った。
すぐに手をやると、眼鏡はちゃんとかかっている。

……なんだ、気が動転して変なことを考えただけか。
だが、その「忘れた」という感覚はやけにリアルで、頭から離れなかった。

帰宅してからも妙なざわつきが胸に残った。あの非常灯の中で鏡に映った自分――いや、“自分だと思ったもの”――は、眼鏡をかけていなかったのではないか。

だとしたら、あれは誰だったのか。

翌日、気味の悪さに耐えきれず、もう一度友人宅を訪ねた。あいつは怪訝そうな顔をしながらも、エレベーターの前まで案内してくれた。

「ほら、これだよ」

奥の鏡に近づき、手を伸ばすと、かすかに温かい。金属板ではなく、微妙に柔らかい感触が返ってきた。思わず引っ込める。友人は「何してんだよ」と笑ったが、俺は無言のままマンションを後にした。

あれが鏡でなかったら――向こう側に誰かがいたのなら。
地震で非常灯に切り替わったあの瞬間、ガラスの向こうから別の人間がこちらを見ていたのなら。

視線を感じたのは、やはり勘違いではなかったのだろう。

それからしばらくして、友人から引っ越すという連絡があった。理由は言わなかった。
ただ、「あのエレベーター、もう乗りたくないんだ」とだけ。

俺も、もうあそこには近づかない。
だが時折、深夜に一人でエレベーターを待っていると、背後にあの視線を思い出す。
……そしてふと、眼鏡のかかっていない自分の顔が、脳裏にちらつくのだ。

[出典:609 :本当にあった怖い名無し:2007/07/25(水) 23:35:10 ID:sFXapSjt0]

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