人は死んだ瞬間に、散らばっていた出来事を一本の線にまとめられてしまうのかもしれない。
生きているあいだは、どれも偶然にしか見えない。意味のない選択、軽い冗談、通り過ぎただけの機械や言葉。それらは互いに無関係な点として転がっている。だが死んだあと、残された者がそれらを拾い集めたとき、妙に整った図形が浮かび上がる。
私はそれを何度も見てきた。
作り話だと思ってくれて構わない。ただ、読み終えたあと、自分の身の回りにある名前や言葉を一度だけ確かめてほしい。無害に見えるそれが、最後の一点になる可能性は、いつも残っている。
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イングランドの農村で、エドワードという男が畑の中央に倒れているのを隣人が見つけた。夜明け前の冷たい空気の中、彼は裸だった。皮膚は泥と油で黒く汚れ、目は半開きのまま空を見ていた。
最初は酔って転んだのだと思われた。だが腕は奇妙な方向へ折れ、肋骨も砕けていた。数日後に死亡。事故死と結論づけられた。近くに停めてあった古いトラクターに巻き込まれ、衣服がすべて引き裂かれたらしい。
その機械には、昔からの呼び名があった。
農夫たちが冗談半分でつけた愛称。「テイクオフ・ギア」。脱げ、という意味だ。
誰も本気で受け取ってはいなかった。ただの語呂合わせだ。だが裸で死んだ男の話を聞いたとき、その名が急に命令文に変わったように感じられた。鉄の塊が彼を選んだのではなく、彼がその呼び名に引き寄せられていったのではないかと。
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クレタ島の海辺。観光客で賑わう午後、ドイツ人の夫婦が石畳の路地を歩いていた。夫は笑いながら空を見上げ、妻はその横顔を写真に収めようとスマートフォンを構えた。
次の瞬間、彼は糸が切れた人形のように前へ崩れ落ちた。
検死の結果は、上空から落下した弾丸による直撃。祝い事で撃たれた銃弾が、放物線を描き、偶然にも彼の頭蓋を貫いた。
確率の問題だと言えばそれまでだ。だが妻は震える声でこう言った。
「彼はよく、『人生は空から降ってくる』と笑っていたのです」
軽口だったはずの言葉が、そのまま死因になった。弾丸よりも、その言葉のほうが先に落ちてきていたのではないかと、私は思ってしまった。
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ジョンという男が若いころ占い師に告げられた言葉がある。
「四十五歳の誕生日に死ぬ」
彼は笑い飛ばした。だが年を重ねるにつれ、その一文は頭の奥で乾かずに残った。四十四歳になると酒を断ち、食事を改め、危険を避けた。誕生日当日は家に籠り、電話も取らず、窓も閉めた。
零時を回ったとき、彼は生きている自分を確認した。
二日後、新聞に「ジョン・スネル、四十五歳、死去」と載った。同姓同名、九百メートル離れた場所に住む別人だった。
偶然にすぎない。だが彼は、その記事を前に自分が何かを押しのけたと感じたらしい。自分の死が、少し横へずれただけではないかと。
彼は外に出なくなった。
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これらの話を並べると、私は「偶然」という言葉の中に逃げ場を見つけられなくなる。
裸にする機械。空から降る人生。他人の名に滑り込む死。
どれも原因は説明できる。だが説明できることと、安心できることは別だ。死が訪れた瞬間、散らばっていた言葉や冗談や名前が、一本の線に整列する。その整列の仕方が、あまりに整いすぎている。
ならば、生きている私の周囲にも、すでに点は配置されているのではないか。
先日、古い友人から手紙が届いた。
「おまえは五十歳の誕生日に死ぬ」
一行だけ。差出人の住所もなく、消印は判読できなかった。電話番号にかけても繋がらない。共通の知人に尋ねると、彼は数年前に病で亡くなっていたという。
死んだ人間の筆跡を、私は確かに知っている。
私は今、四十九歳だ。誕生日まで、あと十か月。
机の上には、今日受け取った請求書と、宅配便の不在票と、仕事のメモが並んでいる。どれも無関係に見える。ただの紙切れだ。
だが死んだあと、それらが一本の線に結ばれるとしたら。
この文章も、その線の一部になるのだろうか。
あなたが今ここまで読んだことも、後から振り返れば必要な点だったと言われるのだろうか。
そのとき、私の死は偶然と呼ばれるのか。それとも、あなたの口から、もっと別の名で語られるのか。
私はまだ、生きている。
だからこそ、線は見えない。
けれど、もう描かれている気がしてならない。
[出典:181 :偶然の一致 その2:2008/02/19(火) 12:35:13 ID:bD7+iJG50]