あの出来事を誰かに話さずにはいられない。
罪悪感がずっと胸に居座って、今でも眠れない夜が続いている。
――あのコンビニは、今年の春にオープンしたばかりだった。
場所は悪くない。大通りの近く、高級マンションやタワーマンションに囲まれた立地。だが人の流れは不思議なもので、結局、みんな昔からあるセブンやファミマへ戻っていった。
それでも私は通った。なぜなら、そこだけはお弁当を店内で作っていたからだ。深夜一時を過ぎると半額になり、少し高いけれど確かに旨かった。
二ヶ月が経ったころ、深夜の店番に現れたのがNさんだった。
大声、朗らか、接客は驚くほど丁寧。深夜の店員に似つかわしくないほどの明るさで、しかも人懐っこい。私もつい恋愛や仕事の愚痴をこぼしたが、Nさんは試飲用のコーヒーを三杯も渡し、「俺の考えは」と口癖をつぶやきながら真剣に答えてくれた。
寝ている客にはジャンバーを掛け「四時に起こしますからねー」と言う。レジ台にまで寝かせてしまうのだから、常識外れだが憎めなかった。
奇想天外でありながら、人を温めるような人物。私は、あんな人を他に知らない。
だが同時に、非現実的なものを引き寄せる体質だったらしい。
噂が立ち始めたのは、Nさんが夜勤に入って二週間後。不良グループが「黒い煙がまとわりついていた」と騒ぎ、七人全員が女の霊を見たと断言した。やがて私も、自動ドアの外に女が立っているのを何度も見た。
倉庫の扉がバン!と勝手に開き、黒いもやが人影のように出てきた夜は、私の背中まで冷気が這い上がった。Nさんは箒を握り、殺気のこもった目で虚空を睨んでいた。
不良たちの証言では、BGMが砂嵐に変わり、照明が明滅する現象もあった。そのときNさんは怯える少年にお守りを手渡し「大丈夫です」と笑ったらしい。
一体何者なのか。私は密かに「寺生まれの除霊師か」と妄想したほどだった。
それでもNさんの体は痩せ細り、顔色は青ざめ、目の下の隈は深くなる一方。労働環境は過酷で、新人は一日、ひどければ一時間で辞める。週七で働き詰め。幽霊よりも人間の方がよほどNさんを蝕んでいた。
三ヶ月目のある晩。噂では語れないほどの大怪異が店を襲ったらしい。ローソン本社から「変な噂を流すな」と叱責され、Nさんは怪異を客に見せぬよう努めるようになった。それでも衰弱は隠しきれず、「女性に憑かれている」という囁きが広がった。
やがて私は見た。無人のレジで誰かと会話を続けるNさんを。
「さっきの女性は?」と私が訊けば、「すみません」と泣きそうな声で謝る。そこに誰もいなかったからだ。
そうして迎えた、運命の日。
その夜のNさんは、死んだ声で「いらっしゃいませ」と言った。焦点の合わない目、呂律の回らぬ口。ぶつぶつと独り言を呟き、時折笑い、時折泣く。異様だった。
私は馬鹿だった。「今日は何か起こる」と期待して立ち読みを決め込んだ。
新聞を縛っていた時、ドアが開いた。
入ってきたのは、大きすぎる腕、赤子を抱いた女、紫色の男。
私は金縛りにかかり、ページもめくれなかった。
最初に巨大な腕がNさんの頭を握り潰すように締めた。瞬間、腕は霧散し、Nさんは天を仰ぐように手を振った。
次に赤子が潰れたように泣き、Nさんは「うっせーな」と毒づいた。女と赤子はすっと後退した。
最後に紫の男が、にやにや笑いながら私を覗き込み、「ウカカカ」と嗤った。
気づけば外は明るくなり、隣に立つNさんが「お客様、まだいらっしゃるんですか」と微笑んでいた。だが厨房にも別のNさんがいて「終わらない」と呟きながら働いていた。
振り返ると、立ち読みしていた場所ではNさんが例の男を見送り「お気を付けてー」と頭を下げていた。
私は背筋が凍った。
――Nさんは二人になっていた。
それからの彼は明らかに壊れていた。
「いらっしゃいませ」が「うらっめっしゃー」「ウビョバッシャショー」と濁り、日本語にならない。客も皆、不気味さを感じていた。
不良仲間は「過労で狂った」と口にしたが、私は見たものを話した。すると彼らは「マスターに何かあったらお前ただじゃすまさねえ」と脅した。
夜明け六時、店長が駆けつけ、Nさんを事務所に呼び入れた。
七時には親らしき人物が迎えに来て「病院に行くぞ」と怒鳴り、連れて行った。
それ以来、Nさんの姿を見なかった。
罪悪感は日に日に重くなった。あの日、見物する気持ちで立ち読みしていた自分を、私は許せない。
十月まで通ったが、怪異は続いた。
赤いハイヒールの女が厨房を覗いていると友人が言い、私にはその赤が見えた。
Nさんが一番嫌っていた幽霊だ。
彼は言っていた。「俺、幽霊に憑りつくタイプなんですよ」
それを笑いながら語っていた顔を、私は今も忘れられない。
そして今日。駅でNさんにぶつかった。
「すみません」と眠そうに笑い、健康そうな顔つきだった。
本当に、あれはNさんだった。
私の胸を締め付けていた後悔は、少しだけ和らいだ。
だが、あのコンビニの中には、まだ赤いハイヒールの女が立っている。
今度、あの不良たちと一緒に確かめに行くつもりだ。
……こんな話、最後まで聞いてくれる人がいるなら感謝する。
けれど、もしあなたが夜中にあのコンビニを訪れることがあったなら、決して厨房の奥を覗いてはいけない。そこでは今も、誰かが「いらっしゃいませ」と、笑いながら歪んだ声で迎えているのだから。
[出典:302 :本当にあった怖い名無し:2013/12/10(火) 00:41:46.73 ID:3NCHifyJ0]