あれは、忘れもしない自分の誕生日の夜だった。
少し気取って、仲のいい友人を呼んでホームパーティを開いたのだ。狭い部屋だったが、飾り付けをして、ケーキも用意し、缶ビールを積み上げて、ちょっとした祝祭の空気に満ちていた。
食べて、飲んで、くだらない話をして……部屋の熱気はどんどん高まり、笑い声が壁を震わせるように響いていた。自分はその光景を切り取ろうと、スマホを手に取り、何枚も写真を撮った。普段は写真なんて滅多に撮らないのに、その夜は妙に気分が昂ぶっていたのだ。
シャッターを押すたびに、友人たちの笑顔が液晶に焼きつく。ピースサイン、ふざけたポーズ、酒瓶を掲げて笑う顔。みんな楽しそうで、自分の心も満ちていった。
だが、一枚の写真で手が止まった。
そこには、友人たちの姿の背後に……見慣れぬ顔があったのだ。押入れの襖がわずかに開き、その隙間から、青白い顔がこちらを睨んでいた。目は細く釣り上がり、頬は不自然にこけて、まるで生気を失ったような顔。知らない女の顔だった。
背筋が凍り、思わずスマホを持つ手が震えた。何度も画面を拡大して確認したが、錯覚ではなかった。確かに押入れの暗がりから、女がこちらを見ている。
「ちょっと見てくれ」
友人たちにスマホを差し出すと、すぐにざわめきが広がった。
「何これ……」
「ヤバいよ、これ……」
「本物の心霊写真じゃない?」
笑いは止み、部屋に重苦しい空気が流れた。誰もが不気味そうに顔をしかめ、押入れを振り返った。もちろん、そこには誰もいない。襖は少しだけ開いていたが、暗闇の中には何も見えなかった。
それでも視線を向け続けると、奥に潜んでいる気配のようなものを感じて、心臓が強く脈打った。
結局その夜は、写真の話を冗談めかしてごまかし、パーティを続けた。けれど、自分の心は全く落ち着かず、友人たちが帰った後、部屋には深い不安だけが残った。
――あの顔は何だったのか。
数日悩んだ末、知り合いに紹介してもらった霊能者に写真を見せることにした。半信半疑だったが、それ以外に方法が思いつかなかった。
霊能者は白い着物をまとった、どこか芝居がかった人物で、写真を手にするとしばらく目を閉じた。部屋に沈黙が落ち、心臓の音ばかりが耳に響いた。
やがて、霊能者は静かに口を開いた。
「この写真からは霊気を感じない」
息を飲んだ。
「え……じゃあ、どういうことですか?」
「これは心霊写真ではない。霊ではなく、ただの人間だ」
その言葉に、頭の中が真っ白になった。霊ではない? ではあの女は何なのか。友人の誰かでもなく、見知らぬ女が押入れからこちらを睨んでいた。それが「人間」だというのか。
パーティの最中、自分たちのすぐそばに、生きた誰かが潜んでいた……?
理解した瞬間、吐き気がこみ上げてきた。友人たちが笑って酒を飲み、声を上げていたその背後で、押入れの闇に誰かが息を潜めていたのだ。写真には顔しか写っていなかったが、確かにそこに肉体を持った誰かがいた。
その夜、自分は押入れを調べる勇気が出なかった。布団や段ボールをどけてみる気力もなく、ただ震えながら朝を待った。
しかし翌朝、意を決して襖を開けてみると、中はいつも通りで、人の痕跡などなかった。けれど、押入れの奥の壁に小さな爪の跡のような傷が幾筋も残っていた。内側から必死に引っかいたような、鋭い跡だった。
それ以来、夜になると部屋のどこかで衣擦れの音がするようになった。振り返っても誰もいない。ただ、襖の隙間から冷たい風が吹き出すことがある。
写真は削除した。けれど、消したところで脳裏からは消えない。あの青白い女の顔が、まぶたの裏に焼きついたように離れない。
そして何より、今でも思い出すたびに震えるのは――もし霊能者に写真を見せなければ、自分はいまだに「幽霊だった」と思い込んで、安心していたのだろうということだ。
だが現実は違う。霊ではなく、生身の人間。つまり、あの夜のパーティの最中、自分たちと同じ空間に、知らない誰かが息を潜めていたのだ。
そして、その誰かは今もどこかにいる。
眠りにつく直前、襖がかすかに軋む音がする。聞こえないふりをしても、決して消えない音。
それが夢か現かを確かめる勇気は、もう二度と持てそうにない。
(了)