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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026 オリジナル作品

使われない四〇二号室 iwa+

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間取り図には、確かに載っている——怪談『使われない四〇二号室』

——出版予定 原稿 一部公開

間取り図には、確かに載っている。契約書にも記載がある。だが、そのドアは、どこにもない。

廊下の壁は、四〇一と四〇三の間で、継ぎ目もなく続いている。まるで最初から、そこには壁しかなかったかのように。

そんな一室をめぐる怪談短編を書きました。タイトルは『使われない四〇二号室』。近日、Kindleで出版予定です。

どんな本か

都内のシェアハウス「ひかり荘」に半年間暮らしたKさんが体験した話です。

四階には四〇一、四〇二、四〇三の三部屋がある——間取り図にはそう記されている。けれど廊下に出てみると、四〇二のドアがどこにもない。管理会社に問い合わせても、返ってくるのは「そのような部屋はございません」の一点張り。古い入居者名簿の四〇二の欄には、消された名前の跡だけが残っている。

誰に聞いても「知らない」としか返ってこない住人たち。壁の一点に、うっすらと浮かぶドアの輪郭。Kさんは、それ以上踏み込まず、静かにその部屋を出ました。

派手な怪奇現象は起きません。血も、悲鳴もない。あるのは、何でもない廊下の、ほんのわずかな違和感だけです。その違和感が、読み進めるうちにゆっくり形を変えていく。そういう静かな怖さを目指しました。

なぜ書いたか

実話系の怪談を、一度きちんと自分の手で組み立ててみたかった、というのが出発点です。

実話系の怪談には、独特の作法があります。体験者から聞き取ったという取材の体裁をとること。そして、真相を最後まで明かさないこと。この二つがそろうと、読者は「本当にあったことかもしれない」という宙づりの状態に置かれます。本作でも、まえがきで「ある女性から聞いた話」と断り、体験者への聞き取りをもとに構成したという体裁をとりました。名前をKと伏せたのも、その作法の一部です。

難しいのは、語り手をどこまで踏み込ませるかの線引きでした。実話系の怪談では、体験者がその出来事をどこまで確かめようとするか、その一線が作品の温度を決めます。踏み込みすぎれば説明的になり、想像の余地が消える。逆に手前で引きすぎれば、ただの物足りない話になる。この距離感をどこに置くかに、いちばん時間をかけました。答えを差し出すのではなく、読者自身の頭のなかで問いが動き続ける——そういう状態をつくることを、本作の狙いに据えています。

制作の裏話

こだわった点を、二つだけ書きます。

ひとつは、日常描写と恐怖の落差の設計です。冒頭は、あえて徹底して平凡にしました。共用リビングのテレビ、冷蔵庫に貼られた名前シール、電子レンジの順番待ち。どこにでもある共同生活の風景です。この「何でもなさ」を丁寧に積んでおくほど、四〇二号室の違和感が際立つ。恐怖は、非日常そのものより、日常にできた一箇所のほころびから滲むと考えています。だから怖い場面を増やすのではなく、平凡な場面を厚くする方向で書きました。

もうひとつは、聴覚の描写です。この話は、目に見えるものだけでは怖くならないと考えました。たとえば、Kさんが管理会社に電話をかける場面。「四〇二号室があると思うのですが」と切り出したあと、受話器の向こうで物音が途絶えます。紙をめくる音も、キーボードを叩く音もしない。ただ、空気だけが伝わってくる。この「音が消える」瞬間に、いちばん筆を割きました。何かが起きる音より、あるべき音が失われる静けさのほうが、背筋を冷やす。壁に浮かぶドアの輪郭を「目を凝らすと消え、視界の端で捉えると見える」という頼りない見え方にしたのも、確かな感覚を一つずつ奪っていくためです。読み終えたあと、静かな部屋でふと耳を澄ましてしまう——そんな余韻を残したいと思いました。

間取り図には、確かに載っている。契約書にも記載がある。だが、そのドアは、どこにもない。

都内のシェアハウス「ひかり荘」に半年間暮らしたKさんが体験した、四〇二号室をめぐる話。管理会社は「そのような部屋はない」の一点張り。古い入居者名簿には、消された名前の跡だけが残っていた。
壁の向こうにうっすらと浮かぶドアの輪郭。誰に聞いても「知らない」としか返ってこない住人たち。Kさんはそれ以上踏み込まず、静かにその部屋を出た。
真相は明かされない。それでも、あの建物では今も、夜になると壁の向こうでドアが軋む音がするという。

まえがき

これは、ある女性から聞いた話である。

彼女が半年ほど暮らしたシェアハウスには、間取り図の上にしか存在しない部屋があった。誰も住んでおらず、鍵の在り処さえ誰も知らない。それでいて、契約書の控えには確かにその部屋番号が記されている。

彼女は深追いをしなかった。踏み込む一歩手前で、静かに部屋を出た。だから、この話に結末はない。あるのは、彼女が見たものと、聞けなかったことだけだ。

※本書は、体験者への聞き取りをもとに構成した怪談です。記載された内容のすべてが客観的事実であることを保証するものではありません。あらかじめご了承ください。

※本書に登場する人物名・建物名は、プライバシーおよび諸事情に配慮し、すべて仮名で表記しています。また、体験当時の状況を踏まえ、可能な限り当時の空気感を再現するよう努めています。そのため、現代の感覚では違和感のある表現や語句が含まれる場合がありますが、特定の対象を貶める意図はありません。

登場人物

K  二十代後半の女性。会社員。都内のシェアハウス「ひかり荘」に半年間入居していた。
管理会社の担当者  電話口でのみ登場。顔は出てこない。
他の入居者たち  複数名。個々の名前は明かされない。

プロローグ

ひかり荘は、都内の私鉄沿線にある、女性向けのシェアハウスだった。

築十五年ほどの、ごく普通の建物である。一階に共用のキッチンとリビング、二階から四階までが個室というつくりで、家賃の安さもあって、入れ替わりの多い物件だった。

Kがそこに入居したのは、半年前のことだ。

彼女がこの話をしてくれたのは、退去してからしばらく経ってからだった。もう時効だから、と彼女は前置きして、静かに語り始めた。

入居の際、Kは間取り図を受け取っている。四階には四〇一、四〇二、四〇三の三部屋がある、と図面には記されていた。彼女の部屋は四〇一だった。

入居して数日、Kは廊下に出て、あることに気づいた。

自分の部屋のドアの隣には、四〇三のドアがある。だが、四〇二のドアが、どこにもない。

廊下の壁は、四〇一と四〇三の間で、継ぎ目もなく続いていた。まるで最初から、そこには壁しかなかったかのように。

最初は、単なる図面の誤植だろうと思った。よくあることだ、と彼女は自分に言い聞かせた。

だが、契約のときに渡された書類を見返すと、そこにもやはり四〇二号室の記載がある。入居者募集の欄には「空室」と書かれ、家賃の数字まで印字されていた。

気になったKは、管理会社に電話をかけた。

「四階に、四〇二号室というのがあると思うのですが」

電話口の担当者は、少し間を置いてから答えた。

「そのような部屋は、当物件にはございません」

Kは、契約書に記載がある旨を伝えた。担当者はさらに間を置き、確認しますので、と言って電話を切った。折り返しの連絡は、結局来なかった。

納得のいかないKは、共用リビングに置かれている古い入居者名簿を、こっそり調べてみた。歴代の入居者が、部屋番号ごとに手書きで記録されているノートだった。

四〇一と四〇三の欄には、何人もの名前が並んでいる。

四〇二の欄には、名前が書かれていた。だが、その上に、別の筆跡で、線が引かれていた。一本、二本、まるで塗りつぶすように。読み取れそうで読み取れない、そんな消し方だった。

ある夜、Kは眠れずに廊下に出た。

四〇三の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、視界の端に、何かが引っかかった。

自分の部屋と四〇三の部屋の間の壁。そこに、うっすらと、縦長の輪郭が見えた気がした。ドアの形をした、影のようなもの。

Kは足を止めて、その場所をしばらく見つめた。目を凝らせば凝らすほど、それはただの壁にしか見えなくなる。だが、目を逸らして、また視界の端で捉えると、やはりそこにドアの輪郭があるように思えた。

翌日、彼女は思い切って、リビングにいた他の入居者に尋ねてみた。

「四階に、四〇二号室ってあると思います?」

相手は一瞬、Kの顔を見て、それから目を逸らした。

「さあ。知らないです」

別の入居者にも聞いてみたが、返ってくる答えは同じだった。さあ、知らない。まるで、その話題に触れることが、あらかじめ禁じられているかのような、判で押した反応だった。

それ以上、Kは踏み込まなかった。

壁の向こうに何があるのか、消された名前が誰のものだったのか、確かめる方法は、いくらでもあったはずだ。壁を叩いてみることも、名簿をもっと詳しく調べることもできた。

だが、彼女はそうしなかった。

これ以上知ってしまったら、もう後戻りできなくなる。そんな予感があった、と彼女は言う。

Kは、その月の終わりに、ひかり荘を出た。理由は、通勤に便利な場所へ引っ越すため、ということにしておいた。

ひかり荘は、今も営業しているという。

四階の部屋数は、変わらず四〇一と四〇三の二部屋のままだと、Kは風の噂で聞いている。

それでも、と彼女は最後に付け加えた。

いまもあの建物に住んでいる誰かから聞いた話では、夜になると、四〇一と四〇三の間の壁の向こうで、かすかにドアの軋む音がするのだという。

誰も踏み込んだことのない部屋の、内側から。

[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]

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