中学一年の六月、梅雨が明けたばかりの、空気がぬめりつくような日だった。
沖縄戦の課外授業で、近くにあるガマ――自然洞窟で防空壕として使われた場所――へ行くことになった。バスで数十分、エンジンの唸りとともに、先生が戦時中の話を語る。その声が、窓から差し込む熱風に揺らされて溶けていく。車内は笑い声一つなく、ただ湿った沈黙だけが座席の間を漂っていた。
目的地に着くと、湿り気を含んだ熱が一気に肌へまとわりついた。ジャージの長袖長ズボンが皮膚を密閉し、汗が内側でたまり、ぬるい水袋のようになっていた。息を吐くたび、舌先に砂利の匂いが混じる。
列の一番後ろを歩いていた。足の遅い数人、虫が怖いと騒ぐ女子、顔色の悪い者たち、そして保険医。みんなで小声を交わしながら、砂利の坂道をきしませて登った。
ガマは、背の高い木々に囲まれた急な坂の上にあった。入口は黒い裂け目のようで、触れれば指先を裂くような岩肌が剥き出しになっている。人工の整いは一切なく、穴の奥は漆黒に沈んでいた。体育教師が「転んだら大ケガするぞー」と言っていたが、実際、ひとつ足を滑らせれば骨など簡単に折れるだろうと思えた。
先生たちの指示で、前の人の肩をつかんで数列になり、足元を確かめながら中へ入っていく。光源は教師が持つ懐中電灯のみ。入った途端、ぬるく湿った空気が鼻と口を塞ぎ、目の奥まで染み込んでくる。小さな羽音が耳元をかすめ、飛び去るたびに首筋の産毛が総立ちになる。
奥へ進むにつれ、光は薄れ、外界の音は消え、ただ呼吸の音と足音だけが脈打つように響いた。入り口ですら一寸先が闇だったのに、さらに深く進む今、空間そのものが胃の中のように閉じ、湿った脈動を持っているように感じた。
やがて「ここで座れ」と言われ、足を折り、岩に尻を置く。戦時中、アメリカ兵に見つからぬよう灯りも焚かず、音も立てずに暮らしていたのだと、教師の声が響く。その説明が続くうち、耳の奥に金属を擦るような耳鳴りが走った。視界の縁が震え、世界がぐらぐらと左右に揺れた。
両目が急に焼けるように熱くなった。まぶたの裏から火の粉を浴びせられるような痛み。呼吸をしようとしても「かひっ、ひーっ、ひぎっ、ひーっ」と、変な空気音しか出ない。肺に針金を押し込まれたようで、息を吸うたびに胸が縮む。
次に、尻と腿の途中までが湿っている感覚に気づく。そこから立ち上がる、生ごみを夏日に数日放置したような匂い。それが、鼻腔に刺さり、胃の奥をねじ曲げ、吐き気が波のように押し寄せる。立ち上がりたいのに、足がまったく動かない。声を上げようと首を振っても、隣の女子は微動だにしない。まるで、自分の存在がそこから切り取られているかのようだった。
突然、耳を裂くような怒鳴り声が、闇の奥からいくつも重なって押し寄せてきた。日本語でも英語でもない、混じり合った金切り声。胸が縮こまり、情けなくも涙がこぼれた。
肩や頭に、重みがのしかかる。熱く、同時にかゆい。全身の毛穴から、小さな虫が這い出しては肌を歩き回っているような錯覚。脳が許容できる限界を超え、思考は泡立つ湯のように崩れていく。叫びたいのに叫べない。もう殺してくれ、と本気で願った瞬間、後頭部に衝撃が走った。
男子の拳だった。殴られた痛みよりも、その瞬間にあの熱さも虫の感覚も一気に霧散したことに驚いた。わけもわからぬまま腕を掴まれ、引きずり出される。ガマを出た瞬間、光と風が全身を叩き、足腰が抜けてその場に崩れた。保険医がビニール袋を押しつけ、そこで何度も吐いた。
少しして息が落ち着き、助けてくれた男子に礼を言う。振り返ると、他の生徒たちも次々と出てきていた。教師たちが集まり、方言で何か話し合っている。単語しか拾えなかったが、あれは戦時中に亡くなった者たちの霊によるもので、同じような体験をしたのは四、五人。もっともひどかったのは奥にいた生徒で、顔が別人のようにやつれていた。
座っていた場所も性別も関係なく、誰に起こるかわからない。痛みの最中、自分は方言で何かをつぶやいていたらしい。笑いながら「戦争の痛みを体験できて良かったな~」と言う年配の教師もいたが、あの感覚は洒落にならない。塩を頭からかぶり、心配性な者はマブイグミをして帰った。
風呂に入るとき、両足にギザギザの痕があった。数日で消えたが、偶然霊と重なっただけなのか、それとも……。そう思いながらも、深く考えないようにしていた。
数年後、弟が同じ課外実習へ行き、戦争関連の場所に異様な執着を見せ始めた。ヒメユリの塔で吐き、戦死者の名を刻んだ岩の前で号泣した。あの日のことが脳裏をよぎる。弟をユタに連れて行くべきか、まだ迷っている。
(了)