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マタギの掟 #9,903

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職場の同僚と居酒屋で飲んでいたときに聞いた話。

その晩、珍しく酒の席に加わっていた年配の社員が、ぽつぽつと語り出した。
彼がまだ若かった頃、旅先の鈍行列車の中で知り合った老人から、妙な話を聞いたという。
どうやらその老人、東北のとある寒村の出身で、その村は「マタギ集落」と呼ばれるほど、山の猟を生業とする者たちが多く住んでいたのだという。

マタギとは、山の理を熟知し、獲物の命をいただく代わりに山の神々を恐れ、敬う者たちのこと。
中でも熊狩りは命を懸ける仕事で、相手もまた人間のような知恵と狂気を持つ存在だったという。

その老人が語ったところによると、普通の熊とは違う「山の神の使い」が三種、存在するとマタギの間では信じられていた。
ひとつは、全身が墨を塗ったように黒い熊。
ひとつは、雪のように真っ白な熊。
そしてもう一つは、常識を超えた大きさの熊。

これらの熊に出会ったなら、いかなる名手も引き金を引いてはならぬという掟があった。
万が一、誤って仕留めてしまったなら、その場でマタギを辞し、山に背を向けて生きねばならぬ。

そう前置きをしてから、老人はある実話を語り始めた。

その村には、かつて一郎という名のマタギがいた。
山を熟知し、狙った獲物は逃さぬ腕前で、村でも一目置かれる存在だった。
ある秋の猟の朝、一郎は仲間数人と山に入り、ツキノワグマの気配を追っていた。
ほどなくして、一頭の成獣を発見。狙い澄ました一発で仕留めた。

仕留めた獲物に駆け寄った一郎は、しかしその場で凍りついた。

通常、ツキノワグマの胸元には白い三日月状の毛があるはず。
しかし目の前の熊には、それがなかった。
全身、黒。どこを探しても白毛は見当たらない。
仲間たちが集まってきても、やはり同じだった。

「……やっちまった」

一郎はその場で猟銃を置き、マタギの仲間から外れると宣言した。

山を下りてからは、畑仕事に専念した。
最初は穏やかな日々が続いた。
だが、数ヶ月ほど経った頃から、異変が始まる。

夜になると、家の外から動物の息遣いが聞こえる。
鼻を鳴らすような、重く湿った音。
ふと鼻をつく異臭——土と獣と、何か腐ったものが混じったような。
外に出ても、そこには何もいない。

畑に熊の足跡だけが残る日が何度かあった。
しかも、他の畑には被害がない。
一郎の畑にだけ、必ず……。

ある晩、村の小道を歩いていた彼は、背後にただならぬ気配を感じた。
振り向くと、そこに立っていたのは、人間の背丈をはるかに超える影。
黒ずくめの体毛、血のように濡れた眼光。
胸元には、やはり白い模様はなかった。

あの熊だ。
撃ってはならなかった熊。

それからというもの、一郎はすっかり変わってしまった。
酒に溺れ、誰彼かまわずあの熊の話を繰り返すようになる。
「アイツは俺を赦してねぇ……アイツはまだ、俺を見てる」

誰が話しかけても、同じことを言い続けた。
「俺は殺される。絶対、アイツにやられる」

ある夜、やけに月が赤く見えたという。
一郎はいつものように酒をあおり、突然叫び声をあげて家を飛び出した。
村人たちが捜索したが、その姿はどこにもなかった。

三日後、村の子どもが川で釣りをしていたときだった。
川べりの大きな岩に、背を丸めて座ったままの一郎を見つけた。
最初は居眠りしているのかと思った。
だが近づいてみると、すでに冷たくなっていた。

表情は、奇妙なほど穏やかだったらしい。

そしてその岩の周囲には、巨大な熊の足跡と、黒々とした毛が無数に残されていたという。
まるで一郎の最期を見届けるかのように、その熊は傍にいた……。

話を聞かせてくれた同僚が言うには、列車で語ってくれた老人こそ、その「川で一郎を見つけた子ども」だったらしい。

信じるも信じないも、聞いた者次第だが。
その集落では、今も山に入るとき、ある掟を忘れないという。
「白くも黒くもない、異形の熊に出会ったら、撃つな。決して撃つな」

それが、命と魂を守る、最後の一線なのだそうだ。


マタギ関連書籍・参考文献

ラスト・マタギ 志田忠儀・98歳の生活と意見

著者;志田忠儀プロフィール
1916年3月。山形県西村山郡西川町大井沢に生まれる。尋常小学校2年生(8歳)の時に山に入り、15歳の時に初めてクマを撃つ。以降、り80歳過ぎまで現役のマタギとして活躍。これまでに50頭以上のクマを仕留めてきた。

3度の召集の後、戦後は磐梯朝日国立公園の朝日地域の管理人、月山朝日連峰遭難救助隊長、地元猟友会会長などを歴任。また地元のブナ林を守る環境活動にも携わり、その功労で平成元(1989)年、勲六等単光旭日章を受章した。

山のことを知り尽くした達人として、経営する朝日山の家にはブルガリ日本支社長などのセレブや、日本各地のルアー名人が訪れる。

白神山地マタギ伝

マタギ 矛盾なき労働と食文化

著者からのコメント
マタギは何故熊を撃つのか?
食べるためである。

マタギは何故熊を食べるのか?
生きるためである。

雪深い北東北の山中がマタギ発祥の地。住むに不便極まりないと思われがちな山里。しかしこの地は江戸時代の飢饉にも餓死者を出さなかった。それは何故か?

マタギ、山の民の知恵があったから。深い広葉樹の森から自由に食べ物を取り出せたから。

何もかもを世界中から持ってくるグローバルな経済社会の対局がマタギの暮らしだった。
閉じた空間は小さな地球そのものである。だからマタギは地域を守った。それが自分達を守る事につながるから。本書では古のマタギは出てこない。今現在息をしているマタギ達の記録である。

熊を追い、撃ち、解体して食べる。それは単に肉を得る行為ではない。マタギの共同体を維持するために必要な儀式である。それがあって厳しい自然環境の中で生き抜く結束が生まれる。

集団が維持できてこそ様々な技術も伝承される。山菜、キノコ、多様な川魚の捕り方。生きる力、知恵を守り伝えてこそ地域は生き残れるのだ。熊やウサギを食べるのは何もカロリーの為だけではなかった。

マタギは今消えようとしている。マタギの里からマタギが消える日はそう遠くない。

小国マタギ共生の民俗知

山村の自然空間は、そこに住む人々の歴史のなかで培われた、自然を枯渇させることなく継続的に利用する民俗知、経験知、技術知によって形成され、維持されてきました。しかし、現在、自然や野生動物の保全・保護の必要性が声高に叫ばれる一方で、市場原理による都市の論理が山村生活を疲弊させ、その知恵が見捨てられています。本書は、山形県小国町のマタギ集落を学際的にフィールドワークし、自然を隔離して保護するのでなく、そこに住む人々の民俗知を活かし、自然と人間が関わりながら共存することを展望した現代社会の警醒の書です。

目次
第1部 自然と人

第1章 小国盆地周辺の山地地形
1 小国の地質と山地地形
2 小国の地形環境
3 小起伏山地の地形
4 大起伏山地の地形
5 小国盆地および流域河川の河岸段丘
6 生活の舞台としての小国の地形
コラム1 山の気象 梅本 亨
コラム2 スギ林と積雪 西城 潔

第2章 小国盆地に見られる植生利用とその変遷-北小国の三集落を中心に-
1 山村小国町の概観
2 北小国三集落の土地利用
3 山地の利用と変遷
4 集落にみる土地利用の変遷
コラム3 ブナ林にみる自然と人

第2部 歴史的景観

第3章 小国山間部の近世村落-その景観と暮らし-
1 山村史も問題
2 村落の前提
3 中世村落の存在形態
4 近世村落の成立と景観
5 近世村落の山仕事と生活
コラム4 毛皮交易と世界システム
コラム5 小国町の木地師

第3部 野生動物資源と環境

第4章 伝統的クマ猟は持続的に継続することが可能か-山形県小国町の春季マタギ猟の場合-
1 クマの生息状況調査
2 生息状況と春季クマ猟の推移
3 地域個体群に及ぼす捕獲の影響と持続的資源利用
コラム6 野生動物調査の現在
コラム7 東北地方のツキノワグマ被害

第4部 環境と人の交渉史

第5章 小国マタギの過去と現在
1 小国マタギの過去
2 小国マタギの現在
3 狩猟の技術的適応
4 抑止力としての狩猟の再評価
コラム8 いつから猟師は鉄砲を使ってきたのか-江戸時代の猟師鉄砲について-
コラム9 江戸時代にクマの肝はいくらだったのか

第5部 総論

第6章 共生の民俗知-持続的利用の技術知
1 里山の文化生態
2 共生知とは何か
3 開かれたシステムとしての民俗知
4 動物資源の持続的利用
5 おわりに-環境論のオリエンタリズム批判

第十四世マタギ

マタギ 森と狩人の記録

民衆史の遺産 サンカ・マタギ・木地屋

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