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離すなよ rw+2475

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黒瀬からその話を聞いたのは、酒の席だった。

酔っていたはずなのに、彼はやけに細部を覚えていた。波の高さ、車内に流れていた曲の順番、トンネルの入口のひび割れまで。

忘れたい話ほど、細かく残るんだと言っていた。

あの夏、黒瀬の家に届いた大量のプール招待券。家族では行きづらいからと、友人に配られた。その中に真下アキヒロもいた。

当日、真下家の父親が運転する車に乗り込んだ時から、黒瀬は妙な役目を与えられていたらしい。

「アキヒロの“お守り”、頼むな」

冗談めかした口調だったが、長男のリュウイチはそれを繰り返した。

お守り。

面倒を見る、とは違う響きだった。

波の出るプールで、二人ははぐれた。波が引き、浅瀬に向かって歩いていたとき、隣にいたはずのアキヒロが沈んでいた。

からかっているのかと思った。だが、引き上げようと掴んだ腕が、異様に重い。

黒瀬は後で言った。

「引っ張ってたの、あいつじゃなかった気がする」

水の中で、どちらが掴んでいたのか分からなくなった、と。

引き上げられたアキヒロの足首には、小さな手の痕があった。

その形が、黒瀬の指の位置とぴたりと重なっていたことを、彼は帰宅してから気づいたらしい。

リュウイチは黒瀬の肩を叩いた。

「ありがとう。帰りまで、よろしく」

その言葉の意味を、黒瀬は考えないようにした。

帰り道、父親が突然言い出した。

「トンネル、寄ってくか」

車は山道へ入った。

その頃には、黒瀬の視界の端に、誰かの肩や髪のようなものが何度も触れていたという。

トンネルの直前、アキヒロが目を覚ました。

「足、まだ掴まれてる」

同時に末弟が泣き出す。

リュウイチはバックミラーを見たまま動かない。

「黒瀬、離すなよ」

何を、と黒瀬は聞かなかった。

トンネルに入った瞬間、車内の音が途切れた。

音楽も、エンジンも、誰の声も。

ただ、黒瀬の右手だけが、強く握り返されていた。

誰の手だったのかは、暗くて分からなかった。

抜けたあと、窓には無数の手形がついていたという。

だが、それが内側からなのか外側からなのか、誰も確かめなかった。

真下家に着くと、母親が塩を持って待っていた。

無言で一人ずつに振りかける。

黒瀬は、目を閉じた。

塩がかかったのは、自分の足元だった気がすると言う。

その夜、アキヒロは金縛りにあった。

「黒瀬、まだいる」

何が、とは言わなかった。

朝になり、父親とリュウイチは妙にすっきりした顔をしていた。

黒瀬はそれ以来、何度か妙なことに巻き込まれている。

心霊スポットに行った覚えはないのに、足首に痣ができる。水辺に立つと、靴の中が濡れている。背後に立つ影の距離が近い。

「お守り、続いてるのかもな」

そう言って笑った。

そのとき、彼の足首にうっすらと浮かんでいた手形は、左右で大きさが違っていた。

一つは、子どものもの。

もう一つは、黒瀬自身の手の幅と、ほとんど同じだった。

彼は気づいていないふりをしていた。

あのとき、水の中で最初に掴んだのが誰だったのか。

そして、今もどちらが掴んでいる側なのか。

酒の席でその話を聞いた夜、帰り道の駅の階段で、私は一瞬よろけた。

足首を、軽く握られた気がしたからだ。

掴まれたのか。

それとも、掴んだのか。

確かめようとして、私は自分の足首を見なかった。

[出典:823 :真下家  ◆txdQ6Z2C6o:2010/07/20(火) 01:24:21 ID:NNu4Laeg0]

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