亡き祖母が父に語り、それを俺が父から聞いた話だ。
大戦末期、祖父は徴兵を何とか免れていたが、ついに出征の命令が下った。名誉などとは思えなかったらしく、「もう生きては戻れない、俺は終わりだ」と毎晩泣きながら酒に溺れていたという。
祖母はそんな祖父を見て、「なんて臆病な男だろう」と呆れるばかりだった。
ところがある日、祖父が上機嫌で帰宅し、興奮気味に祖母に語った。
「近所のお稲荷さんに気まぐれで参拝したら、お狐さんの声が聞こえたんだ。『死にたくないのなら、わしがなんとかしてやろう。その代わり、休みの日には必ず掃除をし、供え物を絶やしてはならない』ってな」。
祖母は「とうとう気が狂ったか」と思い、相手にしなかった。だが、その日を境に祖父は別人のように意気揚々とし、出征に向かう覚悟を決めた。
祖母は「臆病者のあの人が、戦場で生き残れるはずがない」と半ば諦めて祖父を送り出した。だが、終戦後、祖父は無傷で帰ってきた。
祖父の話では、「何度も死ぬかと思ったが、そのたびに奇跡的な出来事が続き、生き延びられた」とのことだった。その中でも特に印象深かったのは、何度も危機を救ってくれた名も知らぬ味方の兵士の存在だった。
その兵士は将棋の駒を身につけており、祖父もそれにあやかり、自作の駒をお守りにしていたという。
帰還後、祖父は商売を始めたが、順調とはいえなかった。それでも忙しい合間を縫い、お狐さんとの約束は守り続けていた。やがて商売は軌道に乗り、四人目の子供(父)が生まれる頃には、かなりの財を築くまでになった。
しかし、そこから祖父は道を外し始めた。博打や女遊びにのめり込み、家庭を顧みなくなったのだ。お狐さんとの約束も疎かになり、ついには全く近寄らなくなった。
そんな中、悲劇が立て続けに起きた。長男と長女が相次いで亡くなり、祖父自身も肝臓を病んで倒れた。毎夜うなされるようになり、苦しむ祖父はこう言った。
「お狐さんの祟りだ。お前が代わりに行って、お狐さんとの約束を守ってこい」と。
祖母は急いでお狐さんに詫び、約束を果たしたが、祖父の命を救うには遅すぎた。祖父は苦しみ抜いてこの世を去り、商売も傾いた。祖母は残された子供たちを育てるため必死に働きながら、お狐さんとの約束だけは守り続けた。
それ以来、大きな不幸はなくなり、今では父がその役目を引き継いでいる。
父は俺が小さい頃からよく言っていた。
「もし俺に何かあったら、お前がお狐さんとの約束を守れ。お狐さんが助けてくれなければ、俺もお前も生まれてこれなかったんだ。感謝の気持ちを忘れるな」と。
俺は今の仕事を区切りのつくところまでやり遂げ、実家に戻るつもりだ。お狐さんとの約束を守り、そしてそれを自分の子供たちに引き継ぐために。
補足:絶対にしてはいけないこと
- 祀る人のいなくなったお稲荷さんに供え物をすること。
- お願いをして供え物をした後、願いが叶ったからといってそのままにしてしまうこと。
一度供えたら、生涯にわたって供え続けなければならない。
(了)
[出典:610: 本当にあった怖い名無し:2011/06/22(水) 01:15:35.63 ID:DT+G7q8Y0]