これは祖父が太平洋戦争時に体験した東京湾近郊の空でのお話です。
480 :本当にあった怖い名無し:2008/12/04(木) 13:59:37 ID:0NnMj6b6O
現在祖父は九十五歳で介護老人ホームに入所してます。
この話を聞いたときにはすでに少しボケはじめていたのを了承ください。
祖父は当時、おそらく海軍の航空隊に所属しており夜間攻撃機の操縦士を勤めていた。
はっきりは聞かなかったが、おそらく「月光」という夜間戦闘機らしい。
夜間に飛来するB29爆撃機を迎撃するのが主任務だったそうです。
たしか横須賀に所属した……みたいな話をしてました。
東京大空襲
昭和十九年のおわりくらいから首都圏も爆撃が盛んになってきて、あけた終戦の年の昭和二十年三月十日のことでした。
前日の夜二十三時ころに空襲警報が発令されたが、なぜか解除され呆けてると、日付も変わり午前時半ばころ再び空襲警報と出撃命令が発令された。
祖父とレーダー操作担当する電探士ともう一人(任務不明)の三人で出撃。
高度を上げ東京方面に機首を向けると、すでに東京は火の海だったそうです。
空は火災の炎で真っ赤に染まり、煙は高度何千メートルにもおよび、上昇気流が凄まじく首都圏上空は飛行困難でした。
祖父は必死で操縦と目視による索敵(さくてき)をはじめ、機首を西に向けたときです。
電探士がレーダーに感ありを祖父に告げました。
電探士の誘導にて操縦すると首都圏からはなれ、東京湾上空にでました。
しばらくすると、かなりの抵高度で機関銃の曳光弾(えいこうだん)を吐き出す機影を発見しました。
どうやら戦闘中らしいが、機影はその機体以外確認できない。
祖父は敵味方識別のため接近をこころみた。
あまり近づきすぎるとこちらが攻撃される可能性があるので少し間を置く。
しかし、妙な事に気がついた。
間違いなく敵機B29であるのは確かであった。
四発あるエンジンのうち三発から煙を吐いている満身創痍のようだ。
それよりおかしいのは機体中央部から機関銃を上空に向けて撃っている。
そもそも敵機の上空には機影はない。
それ以前に、B29の機体中央部には機関銃の砲塔は存在しない。
さらに接近を試みた。
そして祖父は見た、見てしまったと話していました。
B29は機体中央部を激しく損傷しており、天井装甲が剥離しており中はまる見えであった。
おそらく旋回砲塔から取り外した機関銃を機内から米兵がなにかに向けて撃っている。
銃口の先にはありえないものがいた。
体は人間に似ているが痩せこけて体毛は確認できない。
肌は浅黒く顔はひととも獣ともつかない。
耳はとがりまるで悪魔的な……背中には翼をはやし、まるでコウモリのようだ。
それより驚いたのはその大きさだった。
目算で身長は約5m以上で翼を広げた幅は20mはあろうか……
こいつは片手に首のない米兵の死体をぶらさげ片手で機体にとりつき、機内の米兵をねらっているようだった。
祖父は電探士に意見を仰ぐも信じられないの一辺倒。
もう一人の搭乗者はその位置からは確認できず、祖父は攻撃しようと考えたが、月光の機関砲は機体真上の前斜めに設置されており、攻撃は背面飛行でもしないかぎり不可能である。
祖父はこれ以上関わるのは危険と判断し離脱を決心した。
というより逃げ出したそうです。
遠くに見えるB29はどんどん高度が下がる。
しかし、米兵は戦闘をあきらめることはないようで曳光弾の軌跡が上空に吐き出される……
最後まで見届けることはできなかったそうです。
事後は都心部にむかい、迎撃任務にもどるがこころここにあらず、早朝に基地に帰投したそうです。
早朝帰投し報告を終える「戦果なし」例の件は報告できなかった。
同乗者には口止めをした。
話したところで信用されないし、もの狂いと思われるのが関の山。
祖父は墓場までこの話を持っていこうと思っていたそうです。
おれが小学生の夏休み宿題のため、祖父の戦時中の話を作文にするためたまたま聞けたお話です。
これは自分の家族や親戚にも話したことはありません。
それは何のために日本上空で米軍機を襲っていたのか……?
怖いというより疑問がのこります。
(了)