あれは九年前のこと。
ある日、釣りを終えた兄が、顔面蒼白で家へ転がり込んできた。
ガタガタと震える兄に、母と二人で温かい紅茶を差し出しながら話を聞くと、兄はただ一点を見つめ、か細い声で繰り返すばかりだった。
「怖かった……脚折竈(あしおれがま)には、もう行くな。あそこは駄目だ。恐ろしいモノがいるんだ……」
兄はその日も、いつものようにリアス式の湾内へ早朝から釣りに出かけていた。
私たちが「脚折竈」と呼ぶその場所は、地元で「がま」と呼ばれる地形の一つだ。かつて平家の落人が塩を製するために切り開いた土地だと伝えられ、この地方には「○○がま」という地名がいくつも残っている。
照葉樹の深い緑に囲まれた湾は、水面が鏡のように静まり返り、まるで湖のようなたたずまいを見せる。その入り組んだリアス式海岸の、本当に小さな入り江の一つが、私たち家族にとって特別な場所だった。
父が亡くなるずっと前、まだ私が幼い頃から、父と兄と私の三人で通い詰めた秘密の釣座。畳二畳ほどの小さな石積みで、先客がいれば諦めるしかない、暗黙のルールがあった。そこへ至るには、車道から30メートルほど、獣同然の急な小道を下らねばならない。父は場所が知られるのを何よりも恐れ、いつも車を少し離れた場所に停めていた。ここ十年ほどは、私たち以外に訪れる者もいなくなったが、それでもなお、父の教えを守り、車は遠くに隠すように停めていた。
父が見つけ、父が亡くなった後も、私たちだけの秘密の場所。しかし、実を言うと、そこが特段よく釣れるというわけでもなかった。ただ、20メートルほど沖の水深が4メートルで平坦な砂地になっており、私たちの釣りのスタイルには合っていた。春から夏にかけてはウグイスがやかましいほど鳴き、対岸に見えるのは廃業した真珠の選別所くらい。たまに漁師が網を干している姿を見かける以外、人の気配は一切ない。だから、ゴールデンウィークだろうと盆休みだろうと、誰一人としてやってこないのだ。鏡のような水面に浮かぶウキを眺めているだけで、心が洗われるような、そんな場所だった。
その日、兄はいつものようにそこで釣りをし、昼食をとっている最中に、例の「コワイモン」に遭遇したという。
それが何なのかと問いただしても、兄は首を横に振るばかり。とにかく言いようのない恐怖に襲われ、崖を転がるように駆け上がり、車に飛び乗って逃げ帰ってきた、ということだった。
そこまで聞いて、私はハッとした。
「タモ! タモはどうしたんだ!? 置いてきたのか!」
「ああ……置いてきちまった……」力なく兄が答える。
タモの柄は消耗品だ。だが、タモ網の枠は、亡き父が樅(もみ)の木を自ら曲げてこしらえた、私たちにとっては形見同然の大切な品だった。
「俺が取りに行ってくる!」
兄と母にそう告げると、私は車のキーを掴んだ。背後から二人の「やめとけ!」という悲鳴にも似た声が聞こえたが、あのタモ枠だけは譲れない。
晩秋の日は釣瓶落とし。あっという間に陽は沈み、外はとっぷりと暮れていた。
「もう六時か……」
その濃密な闇に一瞬怯みながらも車を出そうとした、その時。目の前に、近所の、少し風変わりな母娘が、車の進路を塞ぐように立ちはだかっていた。
「すいません、そこをどいてくれませんか」
声をかけても、二人はこちらを一瞥するだけで、ただ茫然と立ち尽くし、微動だにしない。苛立ちながらも待つうち、次第に冷静さが戻ってきた。
(今は午後六時。車で二時間かかるとして、脚折竈に着くのは八時。真っ暗闇の中、あの獣道を一人で下りるのか……?)
想像しただけで、背筋が寒くなった。
(やめておこう。あそこは誰にも知られていない。明日、明るくなってから行けばいい)
そう思い直した、まさにその時。母娘の家の主人が現れ、ぺこぺこと頭を下げながら二人を連れて行った。今にして思えば、あの母娘に助けられたのかもしれない。
翌日、私には仕事があったため、時間は限られていた。まだ暗い午前四時に家を出る。兄は仕事を休むらしい。
六時前に脚折竈に到着。朝の清々しい光の中、獣道を下る。自分が最後にここで釣りをしたのは、もう何年も前のことだろうか。久しぶりの感覚だった。兄の言う「コワイモン」のことが一瞬頭をよぎったが、この穏やかな光の中では、そんな不安もすぐに霧散した。
果たして、釣り道具一式はそのまま残されていた。タモは! タモも、釣座の後ろに無造作に投げ出されている。
ほっと胸をなでおろし、手早く回収しようと考えた。カラスのけたたましい鳴き声が、ふたたび「コワイモン」の記憶を呼び起こす。
クーラーボックスと練り餌の入ったバッカンをまず運び、次にスカリと竿、そしてタモ。二往復で済ませるつもりだった。
クーラーボックスに手をかける。持ち上がらない。
(何が入っているんだ!?)
蓋を開けた途端、強烈な腐臭が鼻を突いた。
中には……何かの魚だろうか。おそらくイワシのミンチが、クーラーボックス一杯に、たぷたぷと満たされていた。何日も放置されたような、生々しい腐肉の臭いが、目と鼻を容赦なく襲う。
「何やってるんだ、あいつは!」
兄への怒りが頭を支配した。しかし、心の奥底では別の声が囁く。「これは本当に兄がやったことなのか? なぜイワシミンチなんだ? なぜこんなに腐っているんだ?」――だが、兄への怒りに意識を集中させていた方が、得体の知れない恐怖と向き合うよりはずっとましだった。無意識のうちに、そう考えていた。
(どうする? クーラーは諦めるか。リールとタモ枠だけは持って帰ろう。いや、タモ枠だけでいい)
そう決意し、タモ枠を掴んで踵を返そうとした、その瞬間。
背後のタブノキの太い枝に、何かがぶら下がっているのが目に入った。
首を吊った、中年の男だった。こちらに背を向け、ベージュのジャケットを着ている。足は、地面に着いていた。
だが、死んでいるのは間違いなかった。首が、ありえないほど伸びきっていたからだ。
釣座へ向かう際はタモに気を取られ、ちょうど木の陰になっていたため気づかなかったのだ。
これを見て、私は奇妙な安堵感を覚えた。
(兄が見た「コワイモン」は、これだったのか。ただの首吊り死体だ。釣りの最中には気づかず、昼飯時にふと後ろを振り返って目にしてしまい、パニックに陥った。おそらく、そんなところだろう)
そう考えながらも、死体から目が離せない。少し冷静さを取り戻すと、今度は別の憂鬱が押し寄せてきた。
(この忙しい時期に……今日は仕事を休まなくては。警察を呼んで、事情聴取されて、解放されるのは一体いつになることやら)
いっそ、知らんぷりして立ち去ろうか? しかし、釣り道具を置きっぱなしにして? 誰かに車を見られたかもしれない。厄介だが、仕方ない。
なぜか死体に背を向けるのが恐ろしく、タモを手に、何度も振り返りながら獣道を登った。
集落に駐在所があったはずだ。車で一分ほどの距離だった。
しかし、駐在所に警察官の姿はなかった。『ご用の方は、ここにメモを』と書かれたバインダーに紙とボールペンが挟んであり、『緊急の場合はこちらへ』と電話番号が記されている。
またしても面倒なことになったと気が重くなった。
駐在所を出ると、道の向かいの家で庭の手入れをしていた老人と目が合った。
「なんか用かね? いつも留守にしとるよ、ここのお巡りさんは」
老人が声をかけてきた。
「実は、人が死んでいるのを見つけまして。首吊りです。ポンプ小屋の階段の下の、あの脚折竈ですわ」
場所を告げると、老人は「わしが見てこよう」と言い、自転車で脚折竈の方へ向かった。私は、警察に電話するよう促され、連絡を取った。
しばらくして、二人の警察官が到着した。事情を説明し、現場へ案内する。
だが、そこに死体はなかった。
「あれっ? たしかに、ここにあったんですが……おかしいなあ」
途端に、二人の警官の視線が、私を射るように鋭くなった。
(疑われる……これはまずい)
確かに見たはずなのに。とんでもない事態に巻き込まれてしまった……。
そう思っていると、例の老人が息を切らして戻ってきた。
「あったんです!」私が必死に訴える。
「でも、ないんでしょう?」警官が冷ややかに言う。
その時、「ここにあったぞ、首吊り死体が!」と老人が割って入ってきた。
老人の話では、確かに死体はあったという。ベージュのジャケット。黒いズボン。足は地面に着いていた、と。確認して駐在所に戻る途中、パトカーとすれ違ったので、また戻ってきたのだそうだ。
しかし、現に死体はない。
四人の立場はそれぞれだったが、「厄介なことに巻き込まれた」という一点においては共通の認識だったろう。
警察としては、一人ならともかく二人が「死体があった」と証言している以上、無視できない。しかし、見渡してもそれらしいものは何もない。私は一刻も早くこの状況から解放されたかったが、下手に証言を翻せば、かえって怪しまれる。老人の方も、一度「見た」と言ってしまった手前、引っ込みがつかない様子だった。
結局、その二人の警官に加え、応援の数人も加わって、周辺の捜索が行われた。私は不思議な気持ちのまま、これ以上騒ぎが長引くのはご免だった。
最終的には、見間違いということにして事態はうやむやにされ、私が解放されたのは昼前だった。意外にも老人が粘り、「わしは確かに見たんじゃ。自治会長もやっとるんじゃぞ!」などと主張を曲げなかったおかげかもしれない。
私自身、本当に死体を見たのかどうか、自信がなくなってきていた。ただ、うすら寒い感覚だけが残っていた。
ともかく、警察が引き上げた後、私と老人は顔を見合わせた。
「確かにありましたよな! おじいさん!」
「はあ……まあな……」
そんな会話を交わし、老人は家路についた。
そこまで来て、私は「しまった」と後悔した。警察官たちがいる間に、残りの釣り道具を片付けておくべきだったのだ。あの場所にいるのが嫌で、ずっと上の車道で待機していた。
一人であの場所へ行くのは、もう怖い。しかし、放置しておくわけにもいかない。
時刻は正午。太陽は真上にあり、日差しは最も強いはずだ。
昼を知らせるサイレンが鳴り響く。
クーラーボックスはもう諦めよう。だが、竿とリールだけは回収しなければ。
木漏れ日が地面に美しい模様を描いている。風はなく、湖面は相変わらず鏡のようだ。
釣座に立つ。言い知れぬ恐怖に駆られ、思わず周囲を見回した。
(早くこの場を離れたい。竿だけでいいんだ)
その時、初めて気づいた。釣り糸が、ピンと張ったまま海中に沈んでいる。ウキが見当たらない。
竿をあおってリールを巻く。重い。根がかりか?
いや、竿をあおると、わずかに動く。まるで大きなタコでもかかったかのようにずっしりと重いが、少しずつ引き寄せることができた。
やがて、水面にウキが顔を出した。そして、針にかかっていたものが、ゆっくりと姿を現した。
それは、魚網に入った、パンパンに膨れ上がり、はちきれそうな、人の首だった。
男女の区別もつかない。無造作に断ち切られた首の断面からは、白い骨が覗いている。網の底には、重りとして半分に割られたブロックが括り付けられていた。
その顔……無数のカニが這い回っている、その物体を、「首」だと認識した瞬間。
私は、腰を抜かしてしまった。
熱いものに触れた時のように、反射的に竿を手放す。首は、再び水面下へと沈んでいった。
その時。
「ギャアアアアアッ! ギャアアアアアッ!」
甲高い、耳をつんざくような叫び声が鼓膜を打った。
いや、あるいは、その叫び声はもっと前から聞こえていたのかもしれない。鳥の鳴き声か何かだと、私が勝手に思い込んでいただけだったのかも。
腰が抜け、へたり込んだまま視線を上げると、対岸の、廃れた真珠選別所の桟橋の上に、白いワンピースを着た女が立っているのが目に入った。
「ギャアアアアアッ! ギャアアアアアッ!」
女は両手で耳を塞ぎ、あらん限りの声で絶叫している。なぜだか分からないが、それがこの世のものではないと、私は直感で確信していた。こちらに背を向け、短い髪を振り乱しながら、ただひたすらに叫び続けていた。
どうやって崖を駆け上がったのか、自分でも覚えていない。腰が抜けたまま、這うようにして崖を登った。その中ほどで、「ドブンッ……タプタプ……」と、水面に何かが勢いよく飛び込んだ音がした。
(女が海に飛び込んで、こっちに来る!)
そこからの記憶は、ひどく曖昧だ。よく事故も起こさずに運転して帰れたものだと思う。
自宅近くの喫茶店で時間を潰し、どうにか心を落ち着かせた。
家に帰ると、母が言った。「兄さんなら、友達とボーリングに出かけたわよ」。
のんきな兄に対する、やり場のない怒りがふつふつと湧き上がってきたのを、今でもはっきりと覚えている。
それから数年後、兄は原因不明の難病に侵され、この世を去った。父の遺した退職金も、母がこつこつ貯めた蓄えも、兄の治療費で全て食い潰してしまった。
亡くなる一ヶ月ほど前、私は兄に、あの時のことを尋ねてみた。
「なあ、あん時、何を見たんだ?」
「ナニって……アレだよ。首さ」
「網に入ったやつか? お前も釣ったのか? 網に入った首を」
「いや……違う。練り餌のバッカンの蓋を閉めてたらよ、バッカンの中でガサガサ音がするんだ。びっくりして腰を浮かして、そーっと蓋を開けたらな……中に、首がいたんだよ。女の首だ。練り餌、喰ってた。サナギ粉まみれになってな」
兄は、薬の副作用か、脳にできた血栓のせいか、時折おかしなことを口走るようになっていた。
「頭がおかしくなったと思ってるだろ。信じないだろ。でもな、ホントのことなんだ」
自嘲気味にそう言った。
「いや……俺も見たんだ。変なものを」
私がそう告げると、兄は虚ろだった目を、真剣な光を宿してこちらに向けた。
この話を兄としたのは、それが最初で最後だった。
私は釣りをやめた。というより、自宅から南の方角へ行くこと自体が怖くなった。夜に見る夢は、決まってあの時の光景の繰り返しだ。もう何度、あの悪夢をリピートしただろうか。
兄の葬式が終わり、しばらく経ってから、母に、兄が震えて帰ってきたあの日のことを話してみた。しかし、母は全く覚えていなかった。
そして、あの出来事全てが、本当にあったことなのかどうか、私自身も確信が持てなくなっていった。
途方もない勇気を振り絞り、私は、あの時の老人を訪ねることにした。脚折竈の前を通るのはあまりにも怖いので、わざわざ遠回りをして。
老人は、いた。そして、私のことを覚えていてくれた。
やはり、あれは現実の出来事だったのだ。そう思うと、なぜだか涙がこぼれてきた。
「あれから、あそこへは行かれましたか?」
私が尋ねると、老人は急に顔を曇らせ、低い声で言った。
「あそこは……あかん。変なとこじゃ。あんちゃんも、もう行かん方がええ」
父と何度も通った、思い出深い場所。
首吊り死体のあったタブノキにも、子供の頃は何度も登った。小学校に上がると、父はそこで私にノベ竿での小物釣りを教えてくれた。
そのかけがえのない場所が、今はただ恐ろしいだけの場所になってしまったことが、どうしようもなく悲しかった。
この話は、今も誰にも言えずにいる……。
(了)
[出典:2010/10/04(月) 20:45:58 ID:ErsFOF2o0]