高校生の夏、両親が旅行で留守になる間、俺は祖母の家で数日を過ごすことになった。
祖母は地元の児童保護施設で長年ボランティアをしており、その日は俺も手伝いで同行した。田舎の小さな学童のような施設には、様々な事情を抱えた子供たちがいた。俺もすぐに彼らと打ち解け、一緒に遊ぶことになった。
昼休み、みんなでサッカーをしようという話になった。だが、点呼を取ると一人足りない。施設内を探すと、物置のような薄暗い部屋で、ひとりの少年が床にうずくまっていた。
声をかけても返事はなく、ただ手元の赤い画用紙にクレヨンで何かを描き続けていた。紙は赤一色に塗りつぶされ、その上に黒で歪な橋のようなものが浮かび上がっていた。
「ねえ、赤い橋って知ってる?」
少年はそう繰り返すだけだった。声は次第に甲高くなり、部屋に響くその言葉に不穏な空気が漂った。
その後、職員に呼ばれて部屋を出た。少年について尋ねると、彼は数週間前、警察に保護されてここに来たという。詳細は伏せられていたが、明らかに心に深い傷を負っている様子だった。
その夜、俺は日暮れの早さを見誤り、真っ暗になった施設の外をひとり帰路についた。田んぼに囲まれた道に街灯はなく、まるで闇に飲み込まれるような感覚だった。
玄関先の下駄箱に何かが詰め込まれていた。取り出して広げると、それは昼間の少年の描いた赤い橋の絵。背後で、小さな足音と囁き声がした。
「ねえ、赤い橋って知ってる……?」
慌てて走り出し、暗闇を抜けると前方に不自然な光が見えた。それは見慣れない新しい橋で、田んぼの向こう側に浮かび上がっていた。街灯の灯るその橋は、地元の記憶にはなかった。
ここを渡れば道に出ると考え、橋に足を踏み入れた。だが、急な階段を登ろうと手すりに触れた瞬間、頭上から冷たい液体が垂れた。見上げると、赤黒い肉塊のような何かが階段上にぶら下がっていた。
全身の力が抜け、俺は倒れこんだ。ペンキのような赤い液体が階段を伝って流れ落ち、背後からは肉のようなものが迫ってくる。這いつくばって階段を登り、頂上の灯りの下に転がり出たとき、背後には何もなかった。
安堵したのも束の間、橋の向こうからエンジン音が近づいてきた。大きなトラックが、異様な速度でこちらに向かってくる。逃げようとしたが、足がすくんで動かない。叫び声をあげるも、声にならなかった。
次の瞬間、手すりから滑り落ち、視界が暗転した。
目が覚めると、俺は田んぼの真ん中に寝転んでいた。周囲に橋などなく、まるで最初から存在しなかったかのようだった。だが、着ていたTシャツには濃い鉄臭が染み付いていた。
翌日、例の少年がまたあの赤い橋の絵を描いていた。俺は問いかけた。
「なあ、赤い橋って……何なんだ?」
少年は無言だったが、その視線が俺の背後に向いた。
「……おかあさんだ」
振り返ると、そこにはあの夜見た、肉片のような“それ”が──
(了)
※読者さまのご指摘により、リライトしました。2025年06月15日(日)