私には十も歳下の弟がいる。
弟は、ときどきおかしなものを見ていた。
中学二年の頃の話だ。その頃、弟は双子の妹と一緒に保育園に通っていた。妹はよくいる少しませた女の子で、口も達者で要領もよかった。一方、弟は妙にぼんやりしていて、集団行動が苦手だったらしい。両親は何度か保育士から呼び出され、集中力がない、急に動かなくなる、天井や床をじっと見つめて反応しなくなる、そういう相談を受けていたと後から聞いた。
その日、理由は忘れたが、私が学校帰りに二人を迎えに行くことになった。制服のまま保育園に入るのは少し気恥ずかしかったが、決まりなので教室まで向かった。
教室に入ると、弟は床に寝転がっていた。仰向けになり、両手をだらりと広げ、天井をじっと見つめている。声をかけても反応しない。保育士が抱き起こそうとすると、信じられないほど強く嫌がり、奇声に近い声を上げて抵抗した。その横で妹は、まるで他人事のように、ぽけっとした顔で眺めていた。
「あいつ、なにしてんの」
「わかんない」
妹はそう言って、ほわほわと笑った。弟の奇行に慣れているのか、嫌悪も不安もない。その無関心さが、逆に気味が悪かった。
私は保育士に断って教室に入り、無理やり弟を引き起こした。弟は抵抗したが、途中で何かを諦めたように力を抜き、急に大人しくなった。
「なにしてたの」
「あれ、みてた」
弟は天井を指さした。白い、どこにでもある天井だった。
「あれって、どれ」
「あっこ。くっついとる」
私は天井を見上げたが、何もいない。
「虫みたいの。ねえちゃん、あれ、なに」
弟は真剣な顔をしていた。
「どんなの」
「くろくて、ぴかぴかしとる。あしがいっぱいで、つのがある」
カブトムシかと思った。田舎だったし、迷い込んでも不思議じゃない。
「そんでね、かみがながい」
「髪って、髪の毛」
「うん。あと、せなかにめがある」
「背中に目」
「くちがでっかい。こっち、みとる」
黒くて、光っていて、足が多くて、角がある。長い髪が生えていて、背中に目があり、口が大きい。それが天井に張り付いて、こちらを見ている。
私はもう一度、天井を見た。やはり何もない。照明のカバーも、換気口も、全部いつも通りだった。
その時、きちきちきち、と音がした。カッターナイフの刃を出す時の、あの乾いた音にそっくりだった。
「あ、わらった」
弟はそう言って、楽しそうに笑った。
背中に冷たいものが走った。
「それ、あんまり見るな」
「なんで」
「危ないから。見た目がヤバいやつは、中身もヤバいって兄ちゃんも言ってただろ」
「つかまえたい」
「だめ。噛まれたらどうすんの」
「でも、さっきまで、ゆかにおった」
「床に」
「うん。さわった」
私はそれ以上聞かなかった。聞いてしまったら、取り返しがつかない気がした。弟の手を強く握り、妹を急かして教室を出た。
家に帰ると、私は真っ先に神棚の前に座った。双子が変なものに関わっていませんように、これ以上、近づきませんように。引き出しの奥に隠していた、高いチョコレートを供えた。そのあと仏壇にも手を合わせ、同じことを願った。
祈りが届いたのか、供え物が効いたのかは分からない。その後、双子は怪我も病気もなく、保育園でも特に問題は起きなかった。他の子に被害があったという話も聞かない。
あれの正体は、調べていない。調べたくなかった。名前を知ってしまえば、こちらから近づくことになる気がした。
弟はその後も、時々おかしなことを口にした。誰もいない場所に向かって話しかけたり、急に立ち止まって顔をしかめたり。ただ、小学校に上がる頃から、そういうことは減っていった。中学に入る頃には、完全になくなったように見えた。
けれど、本当に見えなくなったのかどうかは分からない。口にしなくなっただけかもしれない。
今でも弟は、時折、何もない空間を見て、ほんの一瞬だけ、嫌そうな顔をする。その表情を見るたびに、私は思う。
あれは、今もどこかにいるのではなく、弟のほうに、ずっと張り付いたままなのではないかと。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「ほしな ◆YZpuwgGc」 2018/12/24]