Wの実家のある地区には、毎年八月の終わりに「役」を果たす家が一軒だけ決まる。
役目ではなく、役を果たす。そう言うのだと、Wは笑いながら話していた。
東と北と西を山に囲まれた小さな集落で、各家の代表が公会堂に集まり、くじを引く。外れくじばかりの中に、当たりが一つだけ混じっている。当たった家はその年に役を果たし、翌年は免除される。
どんな役なのかは、当たるまで誰も詳しく知らない。知ろうともしない。そういう空気だったらしい。
Wが中学一年の夏、その当たりを引いたのは彼の家だった。
くじを引いてきた祖父は、家に戻るなり黙り込み、しばらくしてから「久しぶりだからな」とだけ言ったという。誰も「何が久しぶりなのか」を聞かなかった。
役の内容は単純だった。
集落の西の山から、石を運び、東の山にある池へ入れる。それだけだ。
八月末の蒸し暑い夕方、Wは腰を痛めている祖父の代わりに、父と二人で西の山へ向かった。ネコグルマと軍手と懐中電灯。日が長いとはいえ、帰りは暗くなると分かっていた。
前日までの夕立で、道には干からびたミミズがいくつも転がっていた。草は伸び放題で、腕に赤い線が何本も走った。「長袖を着ろと言っただろ」と父は言ったが、口調は妙に硬かった。
山の奥、坂を上りきった先に、崩れた社のようなものがあった。鳥居だったのか分からない石組み。苔に覆われ、賽銭箱も狛犬もない。Wが尋ねると、父は声を荒げた。
「まだ知らなくていい」
社の裏は崖になっていて、石垣のように石が積み重なっていた。一部は崩れ、大小さまざまな石が転がっている。どれも丸く、妙に手触りが滑らかだった。
父は無言で石を拾い、ネコグルマに積み始めた。Wも真似をした。
どの石を選ぶのか、決まりはあるのか。
東に運ぶ石は、なぜここに集まっているのか。
聞きたいことはいくつも浮かんだが、父の背中を見ているうちに、声をかける気が失せた。
ネコグルマは石でいっぱいになり、押すたびに軋んだ音を立てた。
日が落ち始め、父は懐中電灯を点けさせた。
集落に戻る頃には、家々の明かりが点いていた。人影はなかった。
石を積んだネコグルマだけが、音を立てて進んでいく。そのことに、Wは途中まで気づかなかった。
東の山は西よりも近かった。
木立を抜けると、直径十五メートルほどの濁った池が現れた。懐中電灯の光が当たると、水の一部だけが不自然に翠色に光った。
父は言った。
「ここから投げ入れる。近づくな。ライトは消せ」
フクロウの声が響き、どこかで狐が鳴いていた。
Wは父の真似をして、石を投げた。池まで一・五メートルほど離れている。ほとんどは縁や浅瀬に落ちた。
音がした。
ぼしゃん。
どす。
水音と、乾いた衝撃音が混じる。
腕が上がらなくなり、投げ損ねた石が足元に落ちた。拾おうとした瞬間、背後から腕を強く掴まれた。
「行くな」
振り向くと、父の顔が異様に近かった。暗いはずなのに、血走った目だけがはっきり見えた。父の呼吸が荒く、心臓の音がWの耳の奥まで響いた。
「あれは、そのままでいい」
父は残りの石をすべて池へ投げ入れた。最後の一つを放り込んだあと、しばらく池を見つめていた。水面は静かだった。
「帰るぞ」
家に着いたのは二十二時前だった。
その夜、父は一言も話さなかった。
翌日、父はぽつりと言った。
「次が来たら教える。でも、お前には来ないようにする」
理由は言わなかった。
Wはそれ以上、聞かなかった。
その後も集落では毎年、役が行われている。Wの家には二度と回ってこなかった。
飲み会でこの話を聞いた僕が、なぜ池に近づくなと言われたのか、池の中に何があるのかと尋ねても、Wは首を振るだけだった。
ただ一つ、彼はこう言った。
「あのときさ、父さん、池を見てなかったんだよ。ずっと、池の向こうの山を見てた」
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「NO NAME ◆HwsISSrI」 2018/07/29]