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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

金色の粉が落ちるまえ n+

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山に囲まれた町へ法事で戻った帰り、ひとりで小学校の通学路を歩いてみた。

舗装の継ぎ目に雑草が指のように生え、側溝の水はぬるい。斜面から染み出す湿気が、鼻の内側に苔のような膜を貼る。遠くで電柱が鳴っている。薄く、一定のうなり。子どもの頃から知っていた音なのに、その日だけは仕組みが分からない機械の呼吸に聞こえた。

校庭の隅にあった銀色の遊具は撤去され、砂の上に四角の影だけが残っていた。影の中心に、鳥の足跡がいくつも重なっている。指でなぞると、湿った砂が皮膚に貼り付き、遅れて冷たさが来る。指先に土の匂い。錆びた湧き水の味が喉に戻る。私はそこで立ち止まって、胸の内側にたまっていた大きな息を一度に吐いた。

太陽は山の稜線に食われはじめていて、坂の上の墓地から、線香の甘い煙が降りてくる。煙には重さがあり、頬の片側だけがぬるくなる。遠くの犬が一声だけ吠えた。聞き返してもらえなかった呼びかけのように、誰にも続かない。私の靴底は柔らかく、地面との摩擦音が一定のリズムを刻む。それが合図のように、昔の記憶が足裏からゆっくり立ち上がる。

細い杉林の切れ目から斜めに差す光が、アスファルトの粒を一つずつ白く点す。私はその白点の列を、文字の並びのように読もうとした。意味などないのに、勝手に文章にしたくなる。子どもの頃にも同じことをしていたのを思い出す。歩幅を合わせるうち、呼吸が浅くなり、胸骨の裏側で小さく音が鳴る。心臓の癖の音だ。たまに裏返る。

バス停の後ろの斜面に、小さな空洞がある。落ち葉がくるぶしの高さまで積もって、踏み込みたくなる柔らかさで口を開いている。風はないのに、その口からだけ空気が吐き出されているようだ。生ぬるい、衣服の中の温度に近い息。私は無意識に肩をすくめた。蝉の数は少なく、入れ替わるように草むらのほうで小さな虫が擦れる。

ふいに、背中の汗が冷えた。歩く速度を落とすと、布の擦れる音が遅くなり、坂の下から人の足音がひとつ近づいてくる。私は振り返らない。振り返るより先に、別の像が立ち上がる。七つか八つの頃の私。夏の帽子のゴムが喉元に食い込み、汗で白い塩の線ができている。ふくらはぎにまだらな泥。背中に教科書の重さ。あのとき私に声をかけた二人の人影。

彼らの顔は、細部がいつも曖昧だ。いつも目尻しか思い出せない。目尻の皺に溜まる光の粒と、頬の下のほうだけにできる影。髪の色も濃淡以上にはわからない。けれど、気配はある。何度でも同じ温度で近づき、同じ間合いで立ち止まる。私の名前を呼ぶときの、声の出し方だけははっきりしている。薄く笑っているのに、声は決して笑わない。

その日、蒸された土と乾いた紙の匂いに包まれたまま、私はふたりの言葉を聞いた。「地の底のほうへ、少し遊びにいってみよう」。遊び、という語の軽さが、耳に入るまで重く変質していた。私は頷いたのだろう。頷くときの首の後ろの筋の強張りを今も覚えている。あごを引くと、舌の付け根が喉を押す。唾を飲み込む音は、自分だけに大きく響く。

私たちは、学校の帰り道の、ほんの脇から外れたところで、その乗り物に乗った。線路はない。車輪もない。だけれど、進み方には迷いがない。私の指先からわずかに浮いた座席が、ぴたりと静止したあと、一滴の水が斜面を滑るみたいに動き出す。前方には丸い口があり、黒い。黒いのに、その奥は真っ暗ではない。墨の中で金粉がひとすじ、微かに流れている。

口をくぐると、匂いの層が変わる。車の排気と草の青臭さが消え、鉄を削ったときの粉の匂いと、湿布を剥がしたときの薄荷の匂いが混じる。舌先にしみる。トンネルの壁は近いのに、少しも当たらない。焦げ茶の土の目が、息をしているみたいにわずかに膨らんでは縮む。道は幾筋も交差し、それぞれから淡い灯りが漏れる。灯りは信号のように見えた。色は変わらないのに、意味が変わる。

私は先頭に座っていた。前を見ることしか許されなかったわけではないのに、振り返ることができなかった。背中に視線が刺さる気がして、動けば抜けるのが怖かった。肩の内側に熱がこもる。汗が背骨を伝って下がっていく。目の前の薄暗い空間の向こう側に、金色の板のような広場が現れた。壁という壁が鈍く光り、光は表面からではなく、厚みの中から滲んでいた。

停まった場所は駅に似ていたが、駅という言葉を使うと途端に安っぽくなる。床は磨かれた石のようで、踏むと乾いた音がしない。吸われる。まわりには巨大な植物が生えている。茎は腕の太さを越え、葉は人の背より大きく、触れると指の腹が湿ってぬるぬるした。実がぶら下がっている。とうもろこしに似ている。粒のひとつひとつが黄金色で、光を置き換えている。

私はそこで、自分の家の天井よりもずっと高いところから、名前を呼ばれた。低くないのに低く聞こえる声。頭の上の空気が一度たわんで、元に戻る感じ。見上げると、誰かがいた。大きい。体の輪郭から、薄い炎のようなものが立っている。炎という表現が似ているのは、光が揺れているからだ。熱はない。眩しさはあるのに、まぶたを閉じる必要がない。

何を話したのか、言葉は少ししか持ち帰れなかった。「見ている」「これからも」「次に」。それらが、私の胸骨の裏側に薄い紙の札のように貼り付いた。剥がすときに音がするほどには、きちんと貼られている。私は頷き、頷いたときの耳の中の血の音を聞いた。帰り道は短かった。気づけば地上の風が肌に触れていた。目をしばたくと、いつもの坂、いつもの電柱、いつもの空。

私はその日のことを家で話したはずだ。母の表情は、少し困って、すぐに笑って、最後に食器の音を大きくした。父は新聞の端を折り返し、その折り目を指の腹で何度も撫でた。私はそれで黙ることを覚えた。翌日、同じ場所を探しても何も見つけられなかった。落ち葉はただの落ち葉で、空洞は風の抜け道にすぎなかった。私は納得しなかったが、反論する言葉は持てなかった。

幾年かののち、別の場所で私はまた呼ばれた。家族で出かけた高原の、小さな遊具のある公園。空気は薄く、影がこまかく震える午後。人の声が少ない。母はベンチで目を閉じ、父は妹の手を引いて金属の乗り物に並んでいた。私はひとり、水飲み場の涼しさに指を噛ませてから、芝の切れる縁へ歩いた。そこで、あのときの女の人と、もうひとりが待っていた。

見た目は何ということもない。町で見かける年頃の姿だ。けれど近づくと、皮膚の下の温度が違う。触れていないのに、少し温められる。長い時間陽に当てた座布団に腰を下ろしたときの、あの鈍い熱。私は懐かしさで胸が抜ける思いがして、立ったまま泣いた。その人は手を伸ばさず、目の高さで頷いた。頷く動作は静かだったのに、周囲の空気が一度だけ上下に揺れた。

話の細部は忘れた。覚えているのは、私の生まれと役目についての言葉が、身の丈より大きすぎたこと。言葉は軽い紙袋の形をしていて、風が吹けば飛びそうなのに、持ち手が手首に食い込み、痺れた。私はうなずき、うなずくたびに喉が鳴り、水を飲んでも治らなかった。私は連れて行ってほしいと頼んだ。足の裏がその場で薄くなって、地面との境目が遠ざかった。

返事は笑顔だけだった。笑顔は私に向けられているのに、働きかけの向きは遠くへ向いていた。私はそれが合図だと知った。合図は終わりの始まりだ。二人は去った。残された私は、小さくなる夕方の光に背を押され、元の場所へ戻った。家族の顔は、光に縁取られているのに、輝きを持たなかった。私は自分の中で何かを二つに分け、片方を口を閉じた箱に入れた。箱には鍵がなかったが、開け方が分からなかった。

それから長い間、私は箱の重さを抱えて暮らした。都会の部屋で、夜の換気扇の音を子守唄にして眠り、朝には目覚ましを止める指がわずかに震えた。風呂場の鏡に映る自分の顔の輪郭が、湯気で滲む瞬間だけ、別人の影に見えた。机の引き出しには、高原の売店で買った紙の切符の半券を挟んである。半券の角は丸まり、日付のインクは薄い。私はたまにそれを鼻先に近づけ、紙と印刷の匂いを確かめる。

この町へ戻ってきたのは、親族の名前が石に刻まれたからだ。墓地の坂を上り下りするたび、指の間に線香の灰がしみ込み、爪の裏が灰色になる。夜、実家の部屋に寝かされると、壁紙の小さな花柄が並ぶ列の途中で、ひとつだけ向きの違う花があるのを見つけた。目を閉じると、その花だけがゆっくり回転している。回る速度は、電柱のうなりと同じだ。

翌日の午後、私はまた通学路を歩いた。足元の影は薄く、曇りがちの空が低い。小さな雨が落ちては乾き、アスファルトに暗い点が増えたり減ったりする。その時、耳の奥からあの呼吸のようなうなりが、はっきりと太くなった。私は立ち止まらず、速度を保った。前に一本の杉があり、その根元に小さな闇がある。子どもの腰の高さの、落ち葉の溜まる窪み。

闇の前に、ひとりの子がいた。背中に小さな鞄。日焼けの線が首に白く縒れている。振り返った顔は、どこかで見たことのある輪郭をしていた。どこかで、というのはいつも自分の中のどこかで、という意味だ。子は、私を見るとわずかに眉を上げ、足先を揃えた。声をかけられるのを待っている形。私は喉に指を当てて咳払いをし、口の開き方を整えた。

言葉は準備していなかった。準備していないのに、舌の上に音が載った。「地の底のほうへ、少し遊びにいってみよう」。自分の声なのに、自分の胸の中を通ってこなかった。胸を素通りした音は、どこか別の場所の温度を帯びていた。子は迷う顔をしなかった。迷わない人間の顔は、輪郭が一度だけ柔らかくなる。頷く瞬間、瞳に薄い光が走り、そして消える。

歩き出すと、足の裏が軽くなった。重さはあるのに、重力が別の方向からかかる。私は闇の口の前で一瞬だけ立ち止まり、鼻から大きく吸い込んだ。湿度の層が舌に乗る。鉄の粉、乾いた苔、古い紙、遠い雷の匂い。背中の皮膚が薄く粟立つ。子の肩が私の肘の位置に触れそうで触れない。手を伸ばさないのに、導く手が確かにある感じ。前へ進む。音のない車輪のない乗り物が、そこにある。

口の内側は暗くない。暗くないのに、色は少ない。土の壁の上を、細い金の筋がゆっくりと移動する。あれは昔見た信号だとすぐに分かった。色は変わらないのに、意味が変わる。私はかつてと同じ先頭の席に座り、同じように振り返らず、同じように胸の内側で薄い紙の札がひらひらするのを感じた。違うのは、今は誰かが私の後ろで息をしている気配を、導く側として数えていることだ。

広がる金の広場。壁の向こうの厚みから滲む光。巨大な葉に沿って水が走る音。とうもろこしの粒のひとつが、わずかに震え、金色の粉が静かに落ちる。私は手のひらを上に向け、落ちた粉を受けた。粉は熱くも冷たくもないのに、皮膚の表面に重さだけを残す。重さは形を持って、掌の線に沿って移動する。子はそれを見ている。瞳が深いところで光る。

声が頭上から降りる。低くないのに低く聞こえる声。私は顔を上げた。そこにいるのは、あのときと同じ誰かだ。大きい。輪郭の外側で薄い炎が揺れている。私は頷いた。頷くと、首の後ろの筋が張る。子が振り向いて私を見た。目は問いを含まない。私は口を開きかけ、閉じた。言葉は不要だと知っていた。言葉を介してしまうと、形が崩れるものがある。

帰路は短い。短いが、いつもより一つだけ長く感じた。地上に出る直前、私は自分の右手首の内側に、見慣れない薄い痕があるのに気づいた。楕円の周りに小さな点が並び、まるで古い切符のパンチ穴の配列のようだ。指でなぞると、痕は皮膚の表面ではなく、その下の層に沈んでいて、触れても動かない。触れながら、自分の喉の奥で別のうなりを聞く。うなりは電柱のものと似ているが、少しだけ速い。

地上の風はあいかわらず肌に触れ、坂の上では線香の煙が薄く漂っていた。子は私の隣で立ち止まり、小さく礼をして走っていった。鞄が背中に跳ねるたび、金具が短く鳴る。私はその音を二度数え、三度目でやめた。ポケットから半券を出す。角の丸い紙には、滲んだ地名と、はっきりしない日付。裏面をこすると、印刷のインクが爪に黒く移る。私はそれを舌の上に乗せる真似をして、すぐに笑ってやめた。

夕暮れは速い。坂道の白い点はもう読めない。私は自分の足音がひとつだけであることを確かめ、歩き出す。肩の内側は熱いが、汗は冷たい。路地の出口で、ベビーカーを押す若い女の人とすれ違った。挨拶をする。相手は会釈を返す。視線が私の手首に一瞬だけ落ちたのを、私は見た。楕円の痕は袖口から覗き、夕方の色でやわらかく染まっていた。

家に戻り、湯を沸かす。湯気が流れ、電気ケトルのうなりは電柱よりも小さく、しかし似た拍で鳴る。私は机の上に半券を置き、指で縁を揃え、深呼吸を一度。胸に貼り付いていた紙の札が剥がれる音がした。音は小さいのに、部屋の空気が入れ替わった。窓の外では、犬が一声だけ吠えた。返事はなかった。私は灯りを少し絞り、掌を見つめる。金色の粉の重さは、もう消えていた。

その夜はよく眠れた。夢は見ていない。朝、鏡の前でシャツの袖をまくる。楕円の痕はまだある。私は人差し指で軽く押し、押すたびに心の中で何かのスイッチが静かに入るのを感じた。入るたびに、胸が少し軽くなる。私は気づいている。あのとき私に声をかけた女の人の立ち方、言葉の置き方、間の取り方、目尻に溜まる光の粒。全部、できる。いつの間にか、できるようになっている。

外へ出ると、空は薄く、風は湿っている。通学路の子どもたちの列が、波のように動く。私は列の脇を歩きながら、視線を正面に置く。誰にもぶつからない。足音は一定。うなりは一定。坂の途中、ひとりの子が振り返りかけ、また前を向いた。私は口を閉じた。呼びかける必要はない。呼びかけるときは、向こうから耳が開く。私はそれを待つ。それが役目であることを、やっと受け入れた。

箱はもう無い。鍵も無い。切符の半券は机の上に置いたままにしてある。必要なときには、いつか粉のように崩れるかもしれない。崩れた粉が掌の線に沿って移動し、誰かの手へ渡るかもしれない。そうなった時、私の声はまた胸を素通りして別の温度を帯びるだろう。私は歩き続ける。うなりを聞き、匂いを嗅ぎ、同じ速度で息をする。あの日の女の人の背中の形を、時々借りながら。

この話を打ち明けると、たいてい誰も反応しない。しないことこそが、正確な反応だと理解している。私はその沈黙の温度を測る。温度はぬるく、皮膚に近い。内側に入ってくる温度だ。私はそれを受け入れる。受け入れながら、耳の奥のうなりの速さを一つだけ上げる。目の前の道は、今日も少しだけ沈む。沈むぶんだけ、歩幅が延びる。私はその延びを、誰にも知らせないでおく。

[出典:270 :270:2012/05/24(木) 16:48:39.30 ID:fHAXJ+lT0]

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