友人の川崎が、煙草の火を三本目に移す頃、ぽつりとこんなことを言った。
「トマト、好きか?」
俺が答えるより早く、彼は続けた。
「……火を通せば、まあ、大丈夫なんだ。でもな、生で食うのは、もう無理だ」
その夜、俺たちは山奥のキャンプ場にいた。川崎の提案だった。街灯の一つもない、獣道のような場所にテントを張り、焚き火を囲んでいた。
焚き火のぱちぱちという音だけが、夜の静けさを裂いていた。
「信じないかもしれんけど、聞いてくれ。俺の地元、知ってるだろ。あの辺には“トマト男”ってのが出るって言われてるんだよ。ガキの頃からな」
最初は冗談だと思ったよ。トマトの頭をした男? 妖怪か何かか? けれど、川崎の顔は本気だった。
ふざけた話には似つかわしくないほど、彼の目には深い陰りがあった。
「形は人間だ。特に多いのがスーツ姿。なんかの営業マンみたいに、きっちりしてる。でも、頭が……真っ赤なトマトなんだ。でな、あいつら、畑に紛れてるんだよ。普通のトマトに擬態してる」
彼の口から滑り出た「擬態」という言葉に、俺は思わず身震いした。
「しかもな、サイズもまちまちでな……プチトマトみたいなヤツもいれば、牛トマトみたいなデカいのもいる。姿かたちはトマトそのもの。でもよく見ると、艶が違う。呼吸してるみたいに、微かに膨らんだり、縮んだりしてる」
川崎は焚き火の光で赤く照らされた顔を伏せた。
「信じなかったよ。そんなもん……俺だって信じたくなかった。だけどな、ある年の夏、町のイベントで“自分で収穫したトマトを食べよう”って企画があって、俺も親に連れられて行ったんだ。まだ中学生だった」
川崎は、ゆっくり煙草の灰を地面に落とした。
「一人ひとりバケツを渡されて、農園に並ぶトマトの苗から好きなやつを取るって流れだった。で、俺、選んでたんだよ。どれが甘いかな、とか考えながら。そしたらな、ちょっと離れた苗の下で、もぞもぞと何かが動いた」
目を凝らした、と彼は言った。
「そしたら……いたんだ。スーツ姿の小さな人間みたいなやつ。頭がトマト。顔なんてない。ただの真っ赤な、つやつやのトマトの玉。茎も葉も付いてない。むき出しの赤い球が、首に乗ってる。……まるで、落ちる寸前の熟しきった実だった」
そのまま、そいつは地面にぺたんと座り込んで、ゆっくりと姿を丸めた。
気がつけば、ただの大玉トマトになっていたという。
「動きがあまりにも自然で……でも、俺は見たんだ。そいつが人型だったことを。……いや、“人”じゃないか。生き物かどうかもわからんけど、とにかく“何か”だった」
そこで川崎は一拍置いて、唇を噛んだ。
「そのあと、女の子が来たんだよ。二十代くらいの、お姉さん。たぶん観光客か何かだ。彼女がそのトマトを手に取った。でな……笑顔で食ったんだよ」
口いっぱいにトマトをほおばる彼女の姿が、川崎の脳裏に今も焼き付いているらしい。
甘い、美味しい、と言っていたらしい。
「どうなったかは、知らん。すぐどこかに行っちまったから。でもな……あのトマトを食べたってことは、もしかしたら、もう“人間”じゃなくなってるかもしれん。だって言い伝えでは、トマト男を食ったら、自分もそうなるって……」
ふざけた話にも聞こえるが、彼の声には湿った真実の匂いが混じっていた。
「それ以来、トマトは口にしてない。加工されたやつなら、まだマシだ。火を通せば、奴らは死ぬって言われてる。だから缶詰とか、スープは食える。生は……無理だ」
俺が無言でうなずくと、川崎は焚き火をつつきながらぽつりと続けた。
「女の人、袋に入れて何個かトマト持って帰ったんだよ。その中にも、いたかもしれない。あいつが。“トマトになった何か”が」
夜の冷気が、火の熱さを削いでいった。
山の中の風はどこかぬるく、湿っていた。
「だから……なあ、お前も気をつけろよ。スーパーのトマトでもさ……たまに、いるらしいからな。妙に艶のある、呼吸してるみたいなやつ。ああいうのは、火を通して食え。絶対にな」
焚き火が崩れ、火の粉が空へ昇った。
その瞬間、ふと見えた。
川崎の肩越し、木々の間に――
まるでスーツを着た、小さな影が立っていたような気がした。
光の加減だったのかもしれない。
でも……その影の頭は、異様に赤く、丸かった。
川崎の話は、冗談ではなかったのかもしれない。
それに、俺も……最近、庭に自生してきたトマトの苗の一本が、夜になると微かに揺れているのを、何度か目にしている――。
[出典:626 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.5][芽]:2024/12/21(土) 15:48:43.33ID:VMY226vO0]