中学の夏休みの記憶が、どういうわけか今でも生々しく残っている。
暑さに負けて、昼過ぎからは扇風機の風に身をさらしてうだうだと過ごすのが習慣だった。テレビも飽きて、ぼんやりしているときにふと喉が渇き、台所へ麦茶を取りに行こうと立ち上がった。
途中、祖父の部屋の引き戸が少しだけ開いていた。昼間は閉め切ってあることが多いので、珍しいと思い、何気なく覗き込んだ。
そこに、祖父がいた。
畳の上にごろりと横になり、古びたブラウン管のテレビに視線を向けている。姿勢は見慣れたもので、頭の下にはゲーム機を買ったときの発泡スチロールを枕がわりにしている。あれは高さがちょうどいいらしく、祖父は気に入ってよく使っていた。
「じーちゃん、何してんの?」
そう声をかけると、祖父は顔をこちらに向けず、テレビから目を離さずに言った。
「ワシはもうすぐ、いかんといかんのでな」
その声は不思議に淡々としていた。いつもは茶化すように冗談を言う人なのに、感情の色が抜け落ちたような響き方だった。
私は特に深く考えることもなく、「ふーん」と気のない返事をして台所に向かった。冷たい麦茶をコップに注ぎ、一息に飲み干す。
そして戻るとき、もう一度祖父の部屋を覗いた。
誰もいなかった。
畳に寝転んでいたはずの人影は消えていた。扇風機の風でカーテンが揺れ、部屋の隅に祖父の帽子が置かれているのが見えるだけ。違和感が胸に引っかかった瞬間、私はようやく思い出した。
祖父は入院中だった。病院のベッドにいるはずで、家にいるわけがない。
背筋を冷たいものが走ったが、私はすぐに「見間違いだ」と思い込むことにした。幽霊だなんて認めたくなかった。あれは昼寝でまどろんでいたせいで、頭がぼんやりしていたのだろうと。
しかし、その一週間後、祖父は病院で息を引き取った。
私はあのときの光景を思い返すたびに、あれは祖父の魂が最後に家に戻ってきていたのではないか、という考えに行き着いてしまう。
*
それから数年経って、母が亡くなった。
交通事故だった。突然の知らせで、私は半ば混乱しながら、単身赴任中の父へ電話をかけた。受話器越しに聞こえてきた父の声は、すでにそのことを知っているような響きだった。
「……お前から電話が来る少し前にな、夢を見たんだ」
通夜の席で、父が打ち明けてくれた。
うたた寝をしていたとき、夢の中に母が現れたという。母は暗闇の中に立ち、弱々しい声で言った。
「お父さん、私、死んじゃった……」
その言葉を最後に、母は闇に吸い込まれるように消えた。
父ははっと目を覚まし、その直後に私からの電話を受けたのだという。
普段は軽口ばかり叩いていた夫婦だったが、どこかで繋がっていたのだろう。父はそう語り、赤くなった目を伏せた。私は黙って聞いていたが、胸の奥がざわざわとした。
母の最期の言葉を、どうして夢の中で父に告げたのか。
祖父のときもそうだが、あの世とこの世の境界がふとした拍子にほどけ、残された者の前に姿を現すことがあるのだろうか。
*
しかし、不思議な体験はそれで終わらなかった。
祖父の葬式から十年後のある夜、私は自室で眠れずにいた。時計は午前二時を過ぎていた。静まり返った家の廊下から、かすかにテレビの音が聞こえた気がした。誰も起きているはずがない。胸騒ぎを覚え、音の方へ足を向けた。
音は祖父の部屋からしていた。今は物置代わりになっているその部屋。戸を少し開けると、埃をかぶった古いテレビが置かれていた。電源は入っていない。それでも、たしかに映像のちらつきと音声が一瞬だけ聞こえたのだ。
そのとき、床の隅に見覚えのある白い発泡スチロールがあった。
祖父が枕にしていた、あの形そのままのもの。
触れようと手を伸ばすと、空気が一瞬ひんやりと冷えた。
そして、耳元で囁き声がした。
「もうすぐ、いかんといかんのでな」
背筋が凍りついた。振り返っても誰もいない。戸を閉め、必死で部屋に戻った。
その夜からしばらく、夢の中に祖父と母が並んで現れるようになった。二人とも何も言わず、ただ暗闇の向こうをじっと見つめている。
私はそのたびに目を覚ます。汗でぐっしょり濡れたシーツの上で、息を殺しながら考える。
虫の知らせというものがあるとすれば、次は誰の番なのだろう。
もしかすると、私自身に向けられたものではないのか。
そう思うと、夜が恐ろしく長く感じられる。
[出典:195 :本当にあった怖い名無し:2007/10/09(火) 13:28:57 ID:SaNQfI5K0]