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鎖の謡い r+2,147

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あれは高校二年の夏、台風の夜のことだった。

……いや、正確にはもっと前から始まっていたのだ。毎晩のように起こっていた出来事を、私はただ「そういうもの」として受け入れてしまっていた。疑問を持たず、当たり前の生活の一部と勘違いしていた。
だがある時、ほんの出来心で確かめてしまった。その瞬間から、私はもう知らなければよかったものを、見てしまったのだ。

うちの両親は、夜更かしには異様に厳しかった。子どもだった私と妹は、八時を過ぎるとテレビの電源を切られ、九時には布団に押し込まれた。夜の世界は大人だけのもの、私たちには見せてはならないものだとでもいうように。
さすがに中学生になると部活や宿題のせいで寝る時間は遅くなった。夜の十一時近くまで起きているのも珍しくなくなった頃だ。私は、ある音に気づいた。

それは決まって夜の十一時頃にやってきた。
家の前の道を通り過ぎる「おじさん」がいる。そう思い込んでいた。姿を見たことは一度もなかったが、鎖を引きずる「チャラッ……チャラッ……」という金属音と、低い声での鼻歌のようなものが必ず聞こえてきた。犬の散歩をしているのだろうと、誰もが自然にそう認識していた。
雨の日も風の日も欠かすことがなかった。まるで儀式のように、毎晩決まった時間に。

その存在を改めて意識したのは、高二の夏の台風の夜だった。
窓ガラスを叩きつける雨の音に混じって、あの鎖の音が確かに聞こえていたのだ。
「こんな日にまで散歩かよ」
妹と顔を見合わせて笑った。
変わり者だ、と。犬が可哀想だ、と。
外を覗いてみようと窓に顔を寄せたが、ガラスは雨で歪み、街灯の光も滲んで、何も見えなかった。

翌日も同じ時間に、その音はやってきた。
気になって仕方なくなった私は、カーテンを少しだけ開け、窓に顔を押しつけて外を見た。
街灯があるから暗すぎるわけではない。人影があれば見えるはずなのに。
音は確かに近づいてくる。なのに姿はない。
耳元で鎖が鳴っているのに、目には何も映らない。
信じられなくて、窓を開けて外に身を乗り出した。
二階の私の部屋の真下を、その「何か」が通り過ぎていった。
鎖の音とともに、低いうなり声が確かに聞こえた。

翌日、友達に話すと、女子は大いに怯えてくれたが、男子は笑い飛ばした。
「嘘だろ」
悔しくなって私は挑発した。
「じゃあ来てみれば? 本当に勇気があるなら」

その夜、三人の男子がうちにやって来た。
母に見つからぬよう、庭の物置小屋に忍び込ませ、懐中電灯とラジカセを持ち込んで待った。
男子たちは緊張を隠そうとやけに喋り続けた。私は母に気づかれるのが怖くて仕方なかったが、それ以上に、あの音を彼らに聞かせたい一心だった。
やがて――かすかな鎖の音が聞こえ始めた。

「来た……」
その一言で、空気が凍りついた。
最初は「聞こえない」と首をかしげていた彼らも、やがて音が近づくにつれて硬直し、口を閉ざした。
私は震える指でラジカセの録音ボタンを押した。

ゆっくり、確実に、あの存在は近づいてくる。
鎖の音とともに、低い声が……歌になった。
「たぁ~かぁ~さぁ~ごぉ~やぁ~~」
時代劇で聞いたことのある古い謡いの調子だった。
生臭い空気が流れ込んでくる。私は動けなかった。

「ガタッ!」
背後で何かが落ちた音に、男子二人が絶叫し、物置の扉を蹴破って逃げ出した。
私は腰が抜け、残された小松の腕にしがみつき、気づけば歯を立てて噛んでいた。小松は気を失っていた。
開け放たれた扉から、そいつはゆっくりと近づいてきた。
「チャラッ……ジャラッ……チャラッ……」
懐中電灯の光の中を、足が通り過ぎた。
一メートルほど宙を歩く素足。半透明の色をしており、その足には錆びた足枷が嵌められていた。

私は視界を逸らし、小松の手に噛みつきながら光の輪を見つめ、耐えるしかなかった。
やがて気を失ったのか、記憶が途切れている。
気づいたときには両親に肩を揺すられていた。

母は震える私にコーヒーをいれてくれた。父は失禁した小松を風呂に連れて行った。
ようやく落ち着いた私に、両親は打ち明けた。
「あれを見ないように、早く寝かせていたんだ」
私たちが勝手に「犬の散歩をするおじさん」だと思い込んでいたのは、両親の刷り込みだったのだ。

その後もあの音は続いた。引っ越すまで、毎晩欠かさず。
誰も、その理由を知ることはなかった。なぜ足枷を嵌めたまま歩き続けるのか。なぜ歌を口ずさむのか。

録音したテープを、古文の教師に聞かせたことがある。
「これは能の謡だ」と彼は言った。平家を題材にした曲だと。
そして、声の主は男ではなく、女だという。
だが、数日後には録音の音は掠れて消えてしまった。

今となっては、そのテープがどこにあるのか思い出せない。先生に預けた気もするし、捨てた気もする。記憶が曖昧なのだ。
ただ一つ、はっきり覚えている。
毎晩、鎖の音と謡いを響かせながら歩いていたその存在は、確かにあそこにいたのだ。
今でも、あの道を通れば聞こえてくるのかもしれない。
鎖を引きずりながら、足枷を鳴らして……。

(了)

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