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言えなかった理由 rw+7,206-0119

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叔母は、生まれつき、見える人だった。

霊だとか、気配だとか、過去だとか。そういう輪郭の曖昧なものが、布の皺や汗の染みに引っかかって、浮かび上がるのだと言っていた。

若い頃は、それをひた隠しにしていたらしい。だが五十を過ぎた頃から、人の相談を受けるようになり、噂が噂を呼んだ。いつの間にか、近所では「霊視のおばさん」で通る存在になっていた。知らない者はいない。遠方から訪ねてくる人も珍しくなかった。

私も何度か見てもらったことがある。当たるかどうか以前に、彼女が“視ている最中の目”を見ると、余計な質問をする気は失せた。覗き込んではいけない深さが、あの目にはあった。

私は、叔母を怖れていた。

そんな叔母のもとに、ある日、知人の吉田さんから連絡が入った。ローカル局のディレクターで、心霊特集も担当している人物だ。テレビの企画で、霊視に協力してほしいという。

内容は単純だった。数年前に姿を消した父親を、霊視で探す。家族は母親と、成人した息子と娘。事件性はなし。捜索願も出していない。理由は語られなかった。

叔母は、電話口ですぐには返事をしなかった。沈黙が長すぎて、こちらが不安になるほどだった。結局、吉田さんの顔を立てる形で、渋々うなずいた。

撮影当日、私は助手のような立場で同行した。

インタビューは滞りなく進んだ。母親は背中を丸めて泣き、息子と娘は静かに目を伏せていた。吉田さんは何度も頷き、モニターを確認していた。画としては、十分だったのだと思う。

そのあと、叔母が呼ばれた。

父親が最後に身につけていたというシャツが差し出される。無地の白いYシャツ。襟元が、汗と皮脂でくすんでいた。

叔母はそれを受け取り、両手で包み込んだ。目を閉じ、浅く息を吸う。いつもなら、ここからだった。何かを掴んだように語り始める。

だが、その日は違った。

沈黙が続いた。

長すぎる沈黙だった。誰かが咳払いをし、カメラマンが立ち位置を微調整した。それでも、叔母は何も言わない。唇がかすかに動いたように見えたが、音にはならなかった。

吉田さんが、堪えきれずに声をかけた。

「なにか……視えましたか」

叔母は一瞬だけ顔を上げ、すぐに視線をシャツに戻した。首を、ほんのわずかに振った。

もう一度聞いても、反応は同じだった。

普段の叔母を知っているスタッフほど、異様さを感じていたはずだ。饒舌で、自信満々で、意味の分からない比喩まで連ねる人間が、布切れ一枚の前で黙り込んでいる。

空気が重くなった。

「……厳しいな」

吉田さんが額を押さえ、小声で呟いた。尺が足りないだの、編集で誤魔化すしかないだの、そんな言葉が飛び交った。結局、その場はそれ以上続けられず、霊視のシーンは成立しないまま撮影は終わった。

帰りのマイクロバスの中でも、誰も口を開かなかった。

吉田さんだけが助手席で電話をしていた。声の調子は明るく、何かを立て直そうとしているようだった。

叔母は、座席の隅でシャツを膝に置いたまま、じっとしていた。布を見ているというより、布の向こうと向き合っているように見えた。

やがて電話を切った吉田さんが、軽い調子でこちらを振り返った、そのときだった。

叔母が立ち上がった。

背筋が伸び、顔色は紙のように白いのに、目だけが異様に冴えていた。バスの通路を数歩進み、吉田さんのすぐ前に立つ。

「言えなかった」

低い声だった。

「……何を」

吉田さんが戸惑って聞き返す。

「見えなかったんじゃない。言えなかった」

叔母はそう言って、シャツから手を離した。

「そこにいる人たちが、全部、こちらを見てた。あの家で。あの人を、探してる顔で」

誰も口を挟めなかった。

「布に残ってたのは、逃げた人の気配じゃない。戻れなくなった人のものでもない。……あれは、黙っている側の重さだ」

吉田さんは何か言おうとして、言葉を失った。

「私に何を喋らせるつもりだったんだい。あの場で。あれを前にして」

叔母はそれだけ言い、元の席に戻った。

そのあとは、何もなかった。

後日、企画はなかったことになった。撮影した映像も使われなかったと聞いた。吉田さんはしばらくして部署を移ったらしい。

あの家族について、その後の話はない。ニュースにもならず、誰も何も調べなかった。

叔母は、あの日を境に、人の相談を一切受けなくなった。霊視もやめた。

そして、あのシャツは、返されなかった。

いまでも時々思う。
あの沈黙は、見えなかったから生まれたものじゃない。
見えてしまったのに、誰にも渡せなかったものが、あそこに残っていたのだと。

(了)

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