これは、美容師をしている友人から聞いた話だ。
話を聞いたとき、彼の震える声と真剣な表情が、ただの冗談や誇張ではないと感じさせた。
その日、彼は休日出勤をしていた。通常なら休みの日だったが、店長が急に実家に帰ると言い出し、店が臨時休業となったため、競技会の練習に専念するための時間に充てたらしい。練習が終わり、新人たちを先に帰らせて、彼一人で発注書の確認をしていたという。静まり返った店内。いつもは流れているBGMも止まっていて、照明も必要最低限しかつけていなかった。外は薄暗く、店内の空気も湿っていて、何となく不気味だったと語る。
商品棚を見上げながらメモを取っているとき、ふと足元で何かがズルッと擦れる音がした。視線を下に向けると、そこには髪の毛の束が散らばっていた。誰かが掃除を怠ったのだろうと思い、再びメモに集中しようとしたが、次の瞬間、ぞっとする事実に気付く。その場に立ち止まってから少なくとも数分は経過していたはずなのに、足元で音がするはずがない。しかも、最初に見たときにはなかったはずの髪の毛が、気付けば増えている。
慌てて一歩後退すると、その毛束が音を立てながらついてくる。さらにゴミ箱からも髪の毛が溢れ出し、それが床を這うようにして彼の方へ伸びてきた。その異様な光景に、夢であってほしいと祈りながら店の出口へと駆け出した。しかし、目に飛び込んできたのは、真っ黒に髪の毛で覆われた出入り口の扉だった。外の景色が見えるはずのガラス窓も、全て漆黒の闇に覆われている。
逃げ場を失った恐怖が頂点に達したその瞬間、右足首に冷たい何かが絡みついた。髪の毛だ。彼は引き倒され、店の奥へと引きずられる。右足の痛みが鋭く、床に叩きつけられる寸前に両腕で顔を守ったが、這い寄る髪の毛の力に抗うことはできなかった。「このまま死ぬのか」と絶望が頭をよぎったそのとき――。
ゴッ、と鈍い音が響き、足元が大きく揺れた。商品棚が倒れ、シャンプーや雑誌が床に散らばる。これは地震だと気付いたものの、足はまだ髪の毛に引っ張られている。混乱と恐怖の中、祈るように目を閉じ、すべてが収まるのを待った。
やがて揺れが止まり、音も静かになった。恐る恐る目を開けると、目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。店内は無惨に崩れ、ガラス窓は砕け散り、商品棚は倒れ、観葉植物の鉢も割れている。しかし、彼の周囲だけは何も壊れていなかった。まるで何かが彼を守るように、破片一つ落ちていなかったのだ。
気付けば足を掴んでいた髪の毛は消えていた。震える足で割れたガラス窓から逃げ出した後、彼は外の惨状に圧倒されながらも、命が助かったことに安堵したという。
後日、彼は振り返りながらこう語った。「あの髪の毛は俺を助けてくれたんじゃないかって、今でも思うんだ。怖かったけど、もしかしたら地震に巻き込まれて死ぬのを防いでくれたのかもしれない」。ただ、最後に彼はこう付け加えた。「でも、助けてくれたなら、なんであんな怖い方法だったんだろうな」と。
[出典:862 本当にあった怖い名無し sage New! 2012/08/20(月) 12:55:47.78 ID:JkHQcFYY0]