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短編 山にまつわる怖い話 n+2026

山にいるあいだだけ nc+

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母は山が好きだった。

登山というほど本格的なものではなく、地図に名前が載るか載らないかの低い山や、地元の人が散歩がてら登る程度の場所を、季節ごとに選んで歩く。そのたびに私は連れ出された。幼いころの話だ。

子供が山にいると珍しいらしく、登山道ではよく声をかけられた。
年配の人からは孫のように扱われ、同世代の登山者には「えらいね」と頭を撫でられ、若い人たちには弟か妹のように面倒を見てもらえた。母が少し目を離しても、誰かしらが私に声をかけ、歩調を合わせ、飴やチョコレートを差し出してくれる。山ではそういうことが普通なのだと、当時は何の疑問も持たなかった。

問題が起きたのは、ある山に登ったときだ。
名前も覚えていない。標高も高くなかった。ただ、登山口から入った途端、やけに人が多かったことだけは記憶に残っている。

最初に話しかけてきたのは、中年の男性だった。
「坊や、疲れてないか」
私は反射的に首を振った。母が横で笑いながら訂正しようとしたが、その前に男は歩き出してしまった。

次は年配の女性だった。
「かわいいお嬢ちゃんねえ」
今度は母がはっきりと言った。「この子、男の子なんです」
女性は一瞬きょとんとした顔をして、それから何事もなかったかのように「あらそう」と言って去った。

その後も同じことが続いた。
会う人会う人が、必ず性別を間違える。
男だと言われたり、女だと言われたりする。どちらかに偏るわけではない。ただ、全員が必ず間違える。

母は最初こそ訂正していたが、次第に何も言わなくなった。
私も何も言わなかった。訂正するたびに、相手の表情がほんの一瞬だけ曇るのが、子供ながらに気になったからだ。善意で声をかけてくれている人を困らせるのが、ひどく悪いことのように思えた。

ある女性が、私の手を引いて言った。
「ほら、こっちよ。女の子はこっち」
トイレの前だった。
母が慌てて止めに入り、また訂正した。女性は何度も謝ったが、その視線は私の顔ではなく、少し後ろの空間を見ているようだった。

気づけば、私は自分がどちらなのかを考えなくなっていた。
歩いているあいだ、声をかけられるたびに、次はどちらで呼ばれるか、それだけを待っていた。
最後のほうは、半ば投げやりな気分になり、母と小声で「次も間違われると思う」「いや、今度は逆だ」と賭け事のようなことまでしていた。結果は、いつも私たちの予想を裏切らない。

山を下り始めたとき、不思議なことが起きた。
登山道を抜け、舗装された道に出た途端、誰も私の性別を間違えなくなった。
売店の人も、駐車場で声をかけてきた人も、全員が正しく呼んだ。まるで、さっきまでの出来事が嘘だったかのように。

母はその日、帰りの車の中で何度も私の顔を見た。
何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。

それからも、私は母に連れられて山へ行った。
別の山では、そんなことは一度も起きなかった。性別を間違われることも、奇妙な視線を向けられることもない。

ただ、あの山の話だけは、母も私も口にしなくなった。
理由は分からない。話題にしようとすると、なぜか言葉が出てこないのだ。

今でも山に入ると、ときどき思う。
あのとき、間違われていたのは性別だったのか。
それとも、私が「子供」という枠から外れていたのか。
あるいは、そもそも私は、あの山にいるあいだ、ちゃんとした「人」として数えられていたのだろうか。

山から下りた瞬間に元に戻ったのは、私なのか、それとも世界のほうなのか。
その答えを考え始めると、今でも足元の地面が、少しだけ不安定になる。

[出典:795 :本当にあった怖い名無し:2008/01/31(木) 21:42:47 ID:aHHnbF6DO]

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