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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

存在の境界線 n+

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わたしには、男だった頃の記憶と、女だった頃の記憶、二つの人生がある。

どちらが本当でどちらが幻なのか、あるいはどちらも真実なのか、わたしにはわからぬ。これは、わたしの身に起こった、奇妙な出来事についての話だ。

大学三年生の夏、わたしは男だった。サークルの仲間たちと、暑苦しい居酒屋で飲み潰れ、ふざけて肩を組みながら、繁華街を千鳥足で歩き回った。吐き出した煙草の煙が、むせるような熱気に溶けていく。頭の中はアルコールと疲労でぼんやりとしていた。しかし、その時だった。

突如として、視界が歪んだ。街の喧騒、ネオンの光、友人の笑い声が遠ざかり、代わりに、全く別の光景が脳裏にフラッシュバックした。それは、わたしが女として生きていた時代の記憶だった。

白いレースのカーテンが揺れる部屋で、わたしは化粧水で肌を整えている。鏡に映るのは、細く柔らかな輪郭の、少しあどけない顔。鏡台には、何本もの化粧品が並んでいる。窓の外からは、夏の終わりの少し肌寒い風が吹き込んできた。
わたしは、女友達とカフェでケーキを食べていた。甘い香りに包まれた空間で、たわいもない話に花を咲かせている。わたしは甘いものが好きで、チョコレートケーキを一口食べると、満ち足りた気持ちになった。
大学の帰り道、わたしはボーイッシュな古着のワンピースを着て、音楽を聴きながら歩いていた。耳元に響くのは、流行りのバンドの軽快なメロディ。わたしは空を仰ぎ、今日の出来事を思い出していた。あの男友達との、他愛のない会話、気になっていた新作の服。わたしの心は、たくさんのことで満たされていた。

男のわたしは、まるでビデオの早回しを観るかのように、女のわたしの日々を追体験した。大学での授業、アルバイト先の喫茶店、友達との旅行、そして、初めての恋。そのすべてが、わたしの中に流れ込んできた。

男のわたしに戻った時、わたしはアスファルトの上に座り込んでいた。友人の一人が、心配そうに肩を揺すっている。「おい、どうしたんだよ。急に黙り込んで……」男の声が、やけに遠くに聞こえる。わたしは、自分の手のひらを見つめた。ごつごつとした骨ばった、男の手だ。数秒前まで、わたしはしっとりとした、滑らかな肌を持つ女だったはずなのに。

それ以来、わたしの人生は二つのルートに分かれてしまった。

男として生きているわたしは、ラーメンが好きで、甘いものは苦手だ。休日は散歩に出かけ、地図アプリを見ながら知らない道を歩くのが好きだ。身体は丈夫で、滅多に風邪をひくこともない。女のわたしから見れば、随分と単純な生き方をしているように思えた。

女として生きているわたしは、スキンケアに時間をかけ、甘いものが大好きだった。方向音痴で、知らない場所に行くときは必ず携帯のナビを使っていた。ストレスに弱く、些細なことで泣いてしまうこともあった。男のわたしから見れば、ずいぶんと繊細な生き方をしているように思えた。

わたしは、どちらも自分だと知っていた。男としてのわたしも、女としてのわたしも、どちらもわたしの記憶であり、わたしという人間を形作る要素だったからだ。しかし、この二つの人生は、決して交わることがない。片方のルートにいるとき、もう片方のルートにいる自分に会うことは出来ない。
そして、恐ろしいことに、わたしはどちらのルートでも同じ人間を好きになっていた。男だった頃、わたしには彼女がいた。その彼女は、女だった頃のわたしにとって、かけがえのない親友だった。互いに互いを深く理解し合い、尊敬し合っていた。

男のわたしが、大学四年でその彼女と別れたとき、わたしは深い絶望を味わった。しかし、それと同時に、どこか満たされた気持ちにもなった。それは、女のわたしが、彼女のことを、誰よりも大切に思っていたからなのか。それとも、女のわたしが、彼女を失う苦しみを、既に経験していたからなのか。

わたしは、自分の精神がおかしくなったのかと思い、精神科の門を叩いた。医者は、わたしの話を真剣に聞いてくれたが、明確な答えはくれなかった。
「貴方が現実に知り得ないことでも、何かの拍子に情報を得て、それを自分の中で妄想とごちゃ混ぜにしている可能性もある。ただ、私は貴方が酷い妄想癖の持ち主だとは思えない」

医者の言葉は、わたしを安堵させるどころか、さらに深い闇に突き落とした。わたしは、この奇妙な体験が、本当に妄想なのか、それとも現実なのか、区別することが出来なくなってしまった。
もしこれが妄想だとしたら、なぜわたしは、男と女の身体の違い、それも、性的な部分まで、これほどまでに鮮明に記憶しているのだろうか。金玉の痛みがどのようなものか、生理の痛みがどのようなものか。それらの感覚を、わたしは、まるで身体が覚えているかのように、言葉にすることが出来た。

ある日、わたしは、男だった頃の友人と会った。彼は、わたしを見て「おまえ、なんだか変わったな」と言った。わたしは、ユニセックスな服装に身を包み、肌はLUSHの石鹸で入念にケアしていた。趣味や嗜好も、男の時とは違って、少し女性的になっていた。わたしは、男の自分と女の自分を、少しずつ融合させていたのかもしれない。

しかし、わたしにはまだ、一つの疑問が残っている。それは、この二つの人生が、なぜ同じ人間を愛したのか、ということだ。男のわたしが愛した彼女と、女のわたしが愛した彼女は、もちろん同一人物だ。わたしは、男として彼女に恋をし、女として彼女に友情を抱いた。もし、二つの人生が、わたしという一人の人間を共有していたのであれば、なぜ、違う感情を抱いたのだろう。

そして、わたしは、この疑問に対する答えを、ひょんなことから見つけてしまった。
わたしは、女だった頃のわたしが愛用していたブランドの、限定版のバッグが欲しくなった。そのバッグは、もう手に入らないものだと諦めていたが、ネットオークションで偶然見つけた。値段は驚くほど高かったが、わたしは迷わず落札した。

数日後、自宅に届いたバッグを開けて、わたしは息を呑んだ。バッグの中には、わたしが女だった頃に失くした、小さな銀色のロケットペンダントが入っていた。中には、彼女と二人で写ったプリクラが貼られていた。そして、そのプリクラの裏には、彼女の直筆で、こんな言葉が書かれていたのだ。

「ずっと、そばにいてくれてありがとう。ずっと、大好きだよ。いつか、男になったとしても」

わたしは、全身の血の気が引くのを感じた。そして、全てを理解した。この二つの人生は、決してわたしだけの物語ではなかったのだ。この二つの人生を、わたしと共に歩んでくれた、もう一人の存在。彼女は、わたしが男でも女でも、どちらであろうと、わたしを愛してくれていた。

そして、彼女は、知っていたのだ。わたしが、男にも、女にもなれることを。彼女は、わたしを、ずっと見守ってくれていた。わたしが、どちらのルートにいても、わたしという存在を、決して見失わずに。
そう、わたしは、彼女によって、男にも、女にもなれたのだ。

わたしが男として生きる時、彼女はわたしを愛する恋人だった。わたしが女として生きる時、彼女はわたしを支える親友だった。そして、わたしは、彼女がどこにいるのか、もう知っている。
彼女は、今、わたしの隣にいる。
わたしが、男として生きている間、彼女は、わたしが知らない女のわたしとして、生き続けていたのだ。

そして、今、わたしがこの話を書いている時も、彼女は、わたしの身体の中に、眠っている。
わたしは、時々、彼女の存在を感じることがある。わたしの肌に触れる指先、わたしの唇からこぼれる甘い香り、そして、わたしの心臓の鼓動。
そう、わたしは、彼女という存在を、自分の身体の中に、取り込んでしまったのだ。

わたしは、もはや、どちらが本当の自分なのか、わからない。わたしは男であり、女でもある。
そして、この物語は、まだ終わらない。
彼女が、いつか、わたしを追い出して、再び外の世界に出ていくその日まで、わたしは、この身体を、彼女と共有し続けるのだろう。

[出典:401 :本当にあった怖い名無し:2013/01/26(土) 07:55:06.44 ID:hSYJcT340]

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