ここに書き込むのは初めてだ。
誰かに話すつもりはなかった。話したところで信じてもらえるとは思えないし、俺自身、できることなら見間違いだったと思いたい。ただ、何もなかったことにしていると、あの日見たものばかり思い出す。だから記録として残しておく。

先週の日曜日、朝から歯が痛んでいた。会社の近くにある歯医者に予約を入れ、治療を終えて外に出た。麻酔の痺れが頬に残っていたが、秋口の空気が冷たくて気持ちよかったので、少し歩いてから帰ることにした。その途中で、会社のビルが見えた。
四階が俺の部署だ。日曜だから誰もいないはずだったが、窓の向こうで人影が動いていた。最初は休日出勤だと思った。足を止めて見ると、三人、五人と、何人かがデスクについている。距離があるので顔までははっきりしなかったが、そのうち一人には見覚えがあった。
同期の同僚だった。一番付き合いが長く、普段からよく話す男だ。
その日は家族とディズニーシーへ行くと言っていた。本人が何日も前から楽しそうに話していて、「土産買ってくるな」とまで言っていたのを覚えている。予定が変わったのかとも思ったが、家族との約束を取りやめてまで休日出勤するような仕事はなかった。
俺はその場でスマホを出し、同僚に電話をかけた。
数回鳴って、すぐにつながった。
「おう、どした」
聞き慣れた声が耳元でした。
同じ瞬間、四階の窓の向こうで、同僚がポケットに手を入れた。何かを取り出し、耳に当てた。俺はスマホを持ったまま、その姿を見ていた。
「お前、今なにしてんの」
「なにって、ディズニーシーだよ。海底二万マイルに並んでるとこ」
声の向こうには周囲の物音も混じっていた。いつもの調子で、機嫌もよさそうだった。
四階では、同じ顔をした男が電話をしていた。
「え……お前、今、会社にいるよな」
そう言ったところで通話が切れた。
窓の向こうの男が、それまで机のあたりへ向けていた顔を上げた。ゆっくり外を見回し、俺のいる方を向いた。
目が合った。
遠いはずなのに、それだけは分かった。いつもよく笑う男なのに、窓の向こうの顔には何の表情もなかった。驚きもしないし、困りもしない。ただこちらを見ていた。
俺は目を逸らし、その場から逃げた。
翌朝、会社へ行くのは嫌だった。それでも休む理由を作れず、いつも通り出勤した。席には同僚がいて、普段と変わらない顔で仕事をしていた。しばらく迷ったあと、俺は聞いた。
「なあ。昨日、本当にディズニーシーにいたのか」
「え、なんで?」
同僚はきょとんとしてから笑った。
「いたけど。そういえば変な電話かけてきたよな。お前ちょっとおかしいぞ」
そのときだった。
俺以外の社員が、一斉にこちらを見た。
誰も何も言わなかった。同僚だけがまだ笑っていて、ほかの連中は黙って俺を見ている。ほんの数秒だったのかもしれないが、誰からともなく視線が外れるまで、俺は次の言葉を出せなかった。
同僚はスマホを取り出し、昨日撮った写真を見せてきた。妻と娘と三人で写っている。場所はディズニーシーで、日付も昨日だった。何枚見ても、そこにいるのは間違いなく本人だった。
昼過ぎ、「土産」と言ってクランキーチョコを渡された。俺は礼を言って受け取ったが、その日は開けられなかった。机の引き出しに入れ、何度か捨てようとして、そのたびにやめた。何か入っていると思ったわけではない。ただ、包装に触れるたび、四階の窓が浮かんだ。
それから、職場にいると視線が気になるようになった。
飲み会に誘われれば、みんな普段通りに笑う。仕事中も特に変わったことはない。それなのに、ふと会話が途切れたときや、俺が顔を上げたとき、何人かがこちらを見ていることがあった。俺が気づくと目を逸らす。別の日には、全員が何事もなかったように仕事を続けていた。
転職も考えた。別部署に知人がいるので、一度だけ「この会社、何かおかしくないか」と聞こうとしたこともある。だが、その知人を前にすると言葉が出なかった。口を開きかけたまま黙っている俺を、知人はじっと見ていた。特に目ではなく、俺の口元を見ていた。
今日になって、引き出しに入れたままだったチョコを食べた。
何日も警戒していたのが馬鹿らしくなるほど普通だった。甘くて、噛めばいつもの食感がした。一つ食べ、もう一つ食べたところで、肩から力が抜けた。やはり俺がおかしくなっていただけなのかもしれないと思った。
そのあと、鏡を見た。
映っているのはもちろん俺だった。
ただ、その顔を見ているうちに、四階の窓の向こうにいた同僚を思い出した。頬も口元も動かさず、目だけでこちらを探していた、あの顔だった。俺は笑って確かめようとしたが、うまく表情を作れなかった。
見ていると、鏡の中の口元がわずかに動いた気がした。
それ以来、同僚たちの態度は変わった。昨日までまとわりついていた視線がなくなり、飲み会でも普通に話しかけてくる。職場の空気も以前と同じになった。
ただ、俺が誰かを見つめ返すと、その相手だけがすぐに目を逸らす。
あの日、四階の窓で目が合ったとき、先に目を逸らしたのは俺だった。
[出典:757 :本当にあった怖い名無し:2019/11/30(土) 13:45:10 ID:Ss5vx1OQ0.net]