これは、ある青年が語った奇妙な体験談だ。
大学四年の夏、就職も決まり遊び呆けていた彼は、急に空いた時間を利用して母方の田舎に住む祖父を訪ねることにした。そこは、人里離れた山奥にあり、夜ともなれば街灯ひとつない真の闇が支配する場所だった。
祖父の家は築百年以上の古民家で、訪れるたびに目に留まる異様なものがあった。「能面」に似た奇妙な面だ。それは木彫りの古い面で、祖父の家では「面さん」と呼ばれていた。面さんは、家の守り神とされていたが、青年が幼い頃から耳にしてきたのは、もっと不気味な噂だ。夜な夜な、面が浮かび上がり家中を彷徨うという。
訪問の夜、夕食を囲む中で、青年はいつものように祖父に尋ねた。
「あのお面、最近動いたりしてる?」
祖父は少し笑い、「わしは面さんのある部屋で寝ないから、分からんよ。ただ、守り神じゃから怖がるもんじゃない」と答えた。
だが、青年は暇つぶしと好奇心で、その夜に「面さんの部屋」で寝ると決めた。
夜半、彼は面に向かいながらスマートフォンをいじり、時折顔を見上げてはその異様な存在感を確認していた。しかし、深夜二時過ぎ、お腹の違和感に襲われトイレに立った。
田舎の家とはいえ、トイレは洋式で現代的な造りだ。ただ、その空間で異変が起こる。ドアが小刻みに揺れ始め、次第に「カタカタ」という音が大きくなり、さらに「コツコツ」とノック音が混じる。
唐突に現れた土や草を腐らせたような異臭に彼の喉は詰まり、声を発することもできない。震える体を便座に押し付けながら心の中で「ごめんなさい」と繰り返した。
だが、次の瞬間、振り返った彼は窓から這い出てくる女の姿を目撃する。顔色のない真顔の女が、静かに体を引き上げ、彼の方へじりじりと近づいてくるのだ。
彼は恐怖を振り切りトイレから飛び出した。しかし、目の前には面が宙に浮き、彼に向かって一直線に飛んできた。次の瞬間、面が彼の顔に吸い付くように張り付き、彼の意識は途絶えた。
目覚めた時、彼は廊下に倒れており、心配そうに見下ろす祖父と対面した。震える声で昨夜の出来事を話すと、祖父は驚きつつも、ただならぬ表情を浮かべた。「お鶴さんだな」と一言だけつぶやいた。
ヨネと呼ばれる地元の霊感を持つ老女が連れられ、彼女が呪文を唱える中、面を祀る祈りが始まった。しかし、お鶴さんは姿を現し、赤ん坊のような異形の存在も近づいてきた。彼を守れるのは「面さん」の力だけだと、祖父は面を再び青年に被せた。
すると、幽霊たちは彼を探しながら混乱し、最終的に姿を消した。
その後、祖父から語られた話によると、お鶴さんは先祖の婚約者だった女性で、悲劇的な最期を遂げた恨みが、家系の男子に影響を及ぼしてきたという。面さんは代々家を守るために祀られ、家に縛られる者だけがその庇護を受ける。
青年は祖父の言葉に従い、田舎に住む決断をした。それからお鶴さんの姿を見ることはなかったという。彼は笑いながら言った。「まあ、今の暮らしも悪くないよ。回線は遅いけど、ネットもあるしな。」
[出典:2015/07/15(水) 13:28:49.72 ID:SVXeXbgn0.net]