離島に嫁いだ知人の話だ。
島は山の稜線を境にふたつの集落に分かれていて、北側が農の者、南側が海の者とされていた。日照りや台風で暮らしが脅かされるたび、海の者たちは決まって「神の怒りだ」と口にしたという。笑う者はいなかった。
南の漁村には、代々続く「巫女選び」の儀式があったらしい。数年に一度、初夏の満月の夜に、年寄り女たちがウタキ――森に埋もれたような祠に籠もり、神と対話をするという。選ばれるのは島の女。年齢も身分も関係なく、条件はただひとつ、「この島に根を下ろしていること」。それだけだった。
祠の奥で神託が下ると、その女の名前が知らされる。朝になると長老の家から使いが出て、選ばれた女の家を訪れる。逃れる手段はない。辞退すれば、その年は災いが続くとされていた。
話を聞かせてくれたのは、かつてその島に暮らしていた女性だった。農村の出で、漁村の風習には疎かったという。けれどある年、幼馴染のひとりが「巫女」に選ばれたことで事態は変わった。
その子は三十を越えた主婦で、小さな娘もいた。誰もが驚いたが、神が選んだとあっては従うしかなかった。翌日から姿を見かけなくなり、半年後、島の祭に現れた彼女は別人のようだった。目の焦点は合わず、言葉も発しない。ただ、満月の夜になると祠の奥へと連れていかれ、朝になって戻ってくるのだと聞いた。
不気味だったのは、その年を境に島から出た女たちが、誰も帰ってこなくなったこと。音信も絶え、消息がわからなくなるという。ある者は、飛行機の便が突然欠航になったと言い、またある者は、なぜか港で足がすくんで船に乗れなかったと話した。
「神様が選んだから」という言葉が免罪符のように島を支配していた。祠の天井からぶら下げられた豚の足、障害を治すと信じられていた“赤犬”の肉……すべてがひとつの「枠」の中で息をしていた。
――選ばれたら最後、島からは出られない。出る必要がないと、神がそう定めるのだ。
知人は十八歳で島を離れた。もう二度と戻る気はないという。
「私は選ばれなかった、それだけが救いだった」
そう言って、彼女は笑った。口元だけで。目はずっと、祠のある南の森を見つめていた。