友人から聞いた話だ。
ある若いカップルに、望まぬ子供ができてしまったそうだ。二人は育てる決意がなかなかできず、夜ごと思案を重ねたが、最終的に産むことを選んだ。しかし、産んだ後も貧困や不安がつきまとい、幼い命を養う覚悟がつかない。相談の末、湖のほとりで、その赤ん坊を「湖に沈める」ことに決めてしまった。
深夜、静寂に包まれた湖へと向かい、二人は誰も見ていないことを確かめてから、そっとボートに乗り込んだ。湖の中ほどへ漕ぎ進むと、彼女は腕に抱いた小さな命に幾度も「ごめんね、ごめんね」と涙ながらに呟き、静かに水面に落とした。暗く深い湖の水が、何事もなかったかのようにその小さな存在を飲み込んだ。
それから何年も経った。二人はようやく結婚し、新たに女の子が生まれ、今度こそ「家族」として幸せな日々を送っていた。しかし、娘が4歳になったある日、突然「湖に行きたい」と言い出した。幼子の言葉に一瞬、両親は怯んだが、娘があまりにもしつこくせがむので、渋々出かけることにした。
湖につくと、今度は娘が「パパ、あれ乗りたい」と、あの夜の記憶が宿るボートを指差した。躊躇する父親にかまわず、娘は何度も頼みこみ、三人は再びボートを借りて湖の中央へと漕ぎ出した。冷えた水面にかすかな波が立ち、静かな湖の真ん中で、娘が突然「おしっこしたい」と言い出した。
周囲に誰もいないことを確認した父親は、彼女の体を支え、湖に向かせようとそっと持ち上げた。そのときだった――娘がくるりと振り返り、不気味な微笑みを浮かべて囁いた。
「今度は、落とさないでね」
両親の表情が凍りついた刹那、湖の水面がざわめき、まるで過去の記憶が蘇るかのように深い底から冷たい視線が二人を見つめているかのようだった。
古典落語の関連話:もう半分
これは、とある古い酒場の噂話だ。江戸の風が吹く頃、永代橋のたもとに佇む小さな居酒屋での出来事だという。
この居酒屋には、夜な夜な顔を出す奇妙な客がいた。年のころ六十を超えた痩せぎすの老人で、癖のある酒の飲み方をする。彼はいつも「半分だけ」と、五勺の酒を注文するのだ。そしてその五勺を飲み干した後、また「もう半分」と繰り返す。この調子で「もう半分」を続ければ、なみなみ一合を飲んだとしてもなんだか安く済んだ気がするのだ、と老人は小さく笑った。
そんな老人がある晩、ふいに風呂敷包みを店に置き忘れて帰ってしまった。重くずっしりとしたその包みを開けると、中には思わぬ大金、五十両が収められていた。酒場を営む夫婦は驚きと共に、胸の奥にある欲望がざわりと動くのを感じた。この金で夢に見た大きな店が持てるではないか。
翌日、老人は店に駆け戻り、涙ながらに金の行方を尋ねた。店主夫婦は顔を見合わせ、目を伏せた。「知らぬ存ぜぬ」と突き返し、とうとう「娘が身を売って工面した金なんじゃ!」と老人が訴えたとき、男は見張り棒を手にして容赦なく老人を打ち据え、店を追い出した。涙で歪んだ老人の顔が消えたその夜、老人は永代橋から冷たく光る川面へと身を投げた。
――数年の後、夫婦は望み通り大きな店を持ち、子を授かる。だが、その生まれてきた赤子を見た妻は息をのんで動けなくなり、その場で倒れて命を落とした。目の前の赤子は、数年前に店を追われたあの老人にそっくりだったのだ。
男は妻の供養を胸に、赤子を懸命に育てることを誓った。だが、雇う乳母は皆、奇妙な理由で次々と辞めてしまう。そうして連れてきたある乳母が、真夜中の出来事を主人に打ち明ける。「旦那さま、ご自身の目でお確かめください」と。
深夜、男は隣の部屋に隠れ、息を潜めて見守った。すると、丑三つ時に赤子がもぞもぞと起き上がり、乳母の寝息を気にしつつ茶碗に油を注ぎ、にやりと笑ってごくり、ごくりと油を飲み干す。赤子の瞳には、あの老人と同じ暗い光が宿っていた。
震えながら襖を開け、男は「おのれ、迷ったか!」と叫んだ。すると、赤子は細く小さな腕を男に差し出し、目を細めて微笑んだ。
「もう半分、もらおうか……」