これは私が実際に体験した話で、当時私はホテルのプランナーをしていた。
十月に結婚する新郎のお父さんが亡くなり、お通夜に行った帰りのことだ。
もともと入院が長く危ない状態が続いていたらしく、家族は仕方がない状況と悲しいながら納得はしていた。
新郎から結婚式は続行しますとの意向をもらえたが、二週間後だ。
いろいろ大変だろうと思いながら車にのり、家路へと急いだ。
お通夜の会場は、私の自宅から高速を通って一時間ほどかかる。
帰りはもう十時をまわっていたので、そんなに混まないだろうとゆっくり運転をしていた。
田舎には珍しく高速の入口が2か所あり、ひとつは自宅に続く主要の高速と、もうひとつは別の目的地へ向かう山越えの高速だ。
そのことは知っていたが、うっかり乗りまちがってしまった。
バックはできないし、まぁ遠回りだけど帰れないことはないのでいいかと思い、そのまま高速を走った。
しばらくは対向車もほとんど見かけない高速道路を走り、一般道へ降りると漫画であれば「シーン…」と文字が出てきそうな静けさだ。
ナビに従い車を走らせる。
山の中の一1本道。
ナビがくねくねしながら目的地を遠くに表している。
どんどん進んで行くうちに、道幅が狭くなり小さな私の車がやっと通るくらいまでになり、車の片側は山肌の雑草をこすり、がさがさいっている。
そして反対側は崖。
絶壁という程ではないが深い草むらで、たぶん落ちたらひとたまりもないだろう。
あーいやな事になった。対向車がきたら私どうすることも出来ない。
そんな心配の中、景色はさらに漆黒へと変わる。
ナビは表示するものの、携帯は既に圏外へ突入。
対向車や人家といった明かりが何もない中、私は大きな声で歌を歌いながら早くこの状況から出ることだけを願う。
その時だった。
「あっ、人かな?」
きれいな水色のトレーナーを着た五十歳くらいの男性が自転車に乗っていて、私とすれ違った。
こんな遅くに、しかも自転車で……?
思いもしない遭遇者とすれ違った後、サッと血のけがひいていった。
そう、こんな山奥は自転車が通る道じゃない。
通れるスペースもない。
しかも暗い夜道なのに、なぜ服装・体格をはっきりと覚えてるの。
どうして目に焼き付いてるの。
もうどうしていいかわからない。誰か助けて。早くここから出して。
そんな時、犬の鳴き声が「ワン」と低い声で二度聞こえた。
アクセルの下あたりから聞こえた。
車に犬なんかいない!
でも確かに犬の鳴き声が、何かを威圧するかのように聞こえてくる。
右足の方からだ。
しかし不思議と、あまり怖さがない。
それよりもあの水色の人を見た記憶で、頭の中は一杯だった。
しばらくすると町の明かりが見えてくる。
そして道が下降して幅も広くなっていく。
あーやっと出れる、助かった。
通常の道になって携帯もつながり、私は3倍の時間をかけ自宅へ戻った。
ベッドに入り今日の事を考えたが、あんな場所に絶対、人はいない。
いるはずがない。
もしかしてあの人は、新郎のお父さん?
私に挨拶しにきてくれたの?しかし姿ははっきり見たものの、顔だけがぼやけていて思い出せない。
そしてあの犬の鳴き声。
全然恐怖がなかった。
そしてその後すぐに町へ出れた。
私が幼いころから一緒にいた犬のトム。
死んでしまったけど、もしかしてトムが守ってくれた?
トムが励ましてくれた?だから怖くなかったのだろうか……
今でもこの体験は怖くて不思議な記憶だが、自分で理由づけして新郎のお父さんの冥福を祈っている。
(了)