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開かれた瞳の奥 r+3,474-3,756

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雪が降る日は、決まって呼吸が浅くなる。あれ以来、特にそうだ。

寒気のせいじゃない。肺の奥に、何かが残っている感じがして、無意識に息を浅くしてしまうのだ。まるであのときの空気が、まだどこかに漂っているようで。

これは、俺が警察官になって三年目の冬、ある巡回中に体験した実話だ。
信じてもらえるとは思っていない。むしろ信じてほしくない。だが、親しい友人にだけは打ち明けたことがある。ここに書くのは、それが初めてだ。

俺の所属する署は地方の寒村に近い小さな町にあり、冬は特に暇な日が続く。とはいえ、暇だからといって気を抜けないのがこの仕事だ。薬物、盗難、失踪、交通事故、自然死、自殺――油断した瞬間に、何かが起こる。

その日も例によって雪が降り積もり、道はまるで凍てついた白い墓場のようだった。午後四時過ぎ、郊外の山道にあるトラック駐車場に向かった。冬場は閉鎖されているが、立地のせいか、不審者や不審車両の情報がたまに入る。巡回ルートに組み込まれていたのだ。

駐車場に着くと、案の定というべきか、雪に埋もれたワンボックスカーが一台。屋根にもボンネットにも、びっしりと雪が乗っていた。二〇センチは積もっていたと思う。車体に触れても、熱気などまるでない。エンジンがかけられた形跡も、タイヤの跡もない。まるで、時間だけがそこに置き去りにされていたようだった。

俺はすぐに同僚に無線を入れ、車両の照会を依頼した。定年間近のその男は、雪の中でも実に冷静だった。

「捜索願が出てる。四十代男性。自殺の可能性あり、ってあるな」

その言葉を聞いた瞬間、空気が変わった。
風の音すら、どこか遠くへ行ってしまったような、静寂が耳を圧した。

俺はドアの施錠を確認しながら、助手席側の窓につもった雪を払い、中を覗き込んだ。車内には、毛布にくるまった人影が後部座席に横たわっていた。枕元には練炭。消し炭の臭いが鼻をつく。

目を閉じたその顔は、まるでただ眠っているだけのようだった。だが、どう見ても応答がない。俺は迷わず窓を拳で叩いた。ガラス越しに響く鈍い音。それでも反応はなかった。

「救急車呼ぶぞ」

同僚の声が無線から響いた直後、俺は思い切って窓を割った。パリンという音とともに冷気が吹き込む。手を伸ばして、その人の足を掴んだ瞬間――

「……!」

瞼が、クワッと開いた。
正確に言うならば、ゆっくりとでも、徐々にでもなく、「いきなり」開いた。

その目は、明らかに俺を見ていた。瞳孔は開いていたが、視線はまっすぐに俺を射抜いていた。
凍りついた俺の手はそのまま固まり、咄嗟に後退った。叫び声も出なかった。いや、出せなかった。

あれほどの冷気の中にあって、なぜあの目には「熱」が宿っていたのか。
生気、あるいは何か別の、もっと得体の知れない「意志」。

我に返った俺は、訓練通りに心臓マッサージを始めた。動け、目を閉じろ、生き返れ……そんな言葉を頭の中で呪文のように唱えながら。

その後のことは、まるで夢の中の出来事のように曖昧だ。救急車のサイレン、刑事の到着、現場保存の手順、同僚の手配……ただ、一つだけはっきりと覚えている。

「……おい、心マしてたって? おまえ、何してんだよ……」

後から現場に来た刑事が、不思議そうに俺に言ったのだ。

「この遺体、死後硬直が進んでる。気温と状態から見て、死後二十四時間以上は経過してるな。……なんで心臓マッサージなんかしたんだ?」

その瞬間、俺の鼓動が止まりかけた。
一日以上前に死んだ遺体が、どうやって目を開ける?

「あの……目、開いたんですよ……急に……こっちを……」

そう言いかけて、言葉が続かなかった。
刑事は俺をじっと見ていたが、やがて「疲れてるんだよ、おまえ」とだけ言って、書類に目を戻した。

あの男の目のことは、それ以来誰にも話していない。
それが何だったのか、どうしても説明がつかないからだ。

あれは、生への未練だったのか。あるいは、何かもっと別の……死の側からの視線だったのか。

その後、俺は一度だけ、あの車の記録を調べた。遺族の了承を得て、死亡当日の記録に目を通した。
車内にあった携帯電話には、送信ボックスに未送信のメッセージが残っていた。日付は死亡推定時刻の一時間後。

「たすけて。ここは、まだ生きてる。」

それが誰宛てだったのかは、わからない。宛名もなく、途中で送信が止まったままだった。

だが、その文面を見たとき、俺の背中を冷たい何かが這い上がっていった。
あの視線。あの目。あの瞬間。

何が真実だったのか、今もわからない。
ただ、あの雪の日の、開かれた目の奥に――俺は何か、とてつもなく深い闇を見たのだ。

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