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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

見返しただけ nc+

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五年勤めた木材加工工場が移転することになったのは、特別な事情があったわけではない。

老朽化とコストの問題で、より広い敷地を安く借りられる場所が見つかった。それだけの理由だった。

移転先は、かつて大きな紡績工場があった跡地の一画だった。敷地は妙にだだっ広く、舗装された通路の両脇に、用途の分からないコンクリートの基礎や錆びた配管が残っている。昔は人も多かったのだろうが、今は倉庫と住宅が点在するだけで、昼間でもどこか音が吸い込まれるような静けさがあった。

操業を始めて一か月ほど経った頃だ。加工前の材木を検品していると、木目の中に顔のようなものが見えることに気づいた。節や年輪が偶然そう見えるのは珍しくない。長年この仕事をしていれば、そういう錯覚には慣れている。だから最初は、角度を変えたり、裏返したりして確認するだけだった。

だが、数が多すぎた。

一本や二本ではない。入荷する材木のほとんどに、何かしらの輪郭が浮かんでいる。目のような窪み、口元の歪み、こちらを向いているとも横を向いているとも取れる配置。それらはどれも微妙に違っていて、同じ顔は一つもなかった。

作業員の誰かが騒ぎ出すことはなかった。皆、見えていないか、見えていても口にしないだけだったのかもしれない。現場では忙しさがすべてを押し流す。納期、機械音、粉塵、油の匂い。考える暇があれば手を動かせ、という空気が支配していた。

ただ、自分だけは次第に、材木から視線を感じるようになっていった。

見られている、という感覚だった。目が合うわけではない。だが視線の数が多い。こちらが背を向けても、移動しても、視線の総量が減らない。むしろ増えているような気さえした。

近くに住宅地があり、家賃相場がやけに安いことに気づいたのは、その頃だ。半分冗談のつもりで、なぜこんな場所が安いのか調べてみた。ネットや古い資料を当たるうちに、この一帯が江戸時代には「さらし場」だったことを知った。刑に処された者の遺体を晒す場所だったらしい。

紡績工場を建てた際、かなりの数の人骨が出土したという記録もあった。だが工事は中断されず、骨はどこかに運ばれ、工場はそのまま稼働した。そういう話は珍しくない。そう頭では理解できた。

理解できたはずだった。

それ以来、材木を見るたびに、顔がはっきりしていくように感じられた。目がこちらを追い、口が開きかけている。声は聞こえない。ただ、数だけが増えていく。

事務所の女性事務員と話しているとき、ふと彼女の腕に視線が吸い寄せられた。白い肌に、二筋の黒い線が走っている。何かの模様の一部のようにも、縄の痕のようにも見えた。

瞬きをすると、消えていた。

疲れているだけだと思った。残業も多かったし、移転後の環境にも慣れていなかった。だが、その線は何度も見えた。場所は変わらない。二筋。左右どちらの腕だったかは、そのたびに曖昧だった。

彼女自身は何も気づいていない様子で、普通に笑い、書類を渡してくる。そのたびに、自分はどこを見ているのか分からなくなった。

夜、風呂場の鏡を見るのが嫌になった。そこに何かが映る気がしたからではない。自分の顔の木目が、昼間見ている材木と同じ配置に見えたからだ。目の下の隈、口角の影、皮膚の細かな模様。それらが、あの無数の顔の一つと地続きに感じられた。

転職を決めたのは、特別な出来事があったからではない。限界だと思っただけだ。心療内科に行くほどではない。仕事も続けられなくはない。ただ、この場所に居続ける理由が、どこにも見つからなくなった。

辞めると決めてから、材木の顔は少し薄くなった気がした。数も減った。あるいは、見ないようにするのが上手くなっただけかもしれない。

今でも、街で木材を見ると、無意識に木目を追ってしまう。顔を探しているわけではない。ただ、こちらを見ていないか確かめている。

過労やストレスのせいだと説明することはできる。実際、そう言えば話は終わる。

ただ一つだけ、説明できない感覚が残っている。
あの場所で見られていたのは、自分だけだったのか。
それとも、見返してしまったのが、自分だけだったのか。

[出典:110 :本当にあった怖い名無し :05/02/04 01:21:50 ID:r0jF7PA2O]

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