十二年ほど前から工事屋をやっている。
独立したての頃は右も左も分からず、人を集めるのに苦労した。そんな折、ある職人を呼んでいたのだが、そいつが当日になって姿を消した。朝、待っても来ない。電話をしても繋がらない。電波が届いていないのか、あるいは電源を切っているのか、呼び出し音すらせずに切れるだけだった。
結局、その日は仲間をかき集め、どうにか工事を終えた。忙しさのなかで「まあ、バックレか」と諦めかけていたが、三日目の朝、彼の妻が訪ねてきた。
「主人の行方を知りませんか」
驚いて話を聞けば、あの日の朝、確かに仕事に出たはずなのに、それきり帰っていないという。電話も同じように通じず、初めは飲みにでも出ているのかと思ったらしい。けれど、二日経っても戻らず、不安に駆られ、俺のところに訊ねてきたという。
逃げたのかもしれない、と一瞬思った。だが、そうならそうで、届けを出すべきだと考え、うちの嫁が付き添って警察に捜索願を出した。
……そのまま彼は消息を絶った。
十年が経った。
俺もそれなりに会社を回し、忙しさのなかで彼のことを思い出すことはなくなっていた。だが去年の暮れ、あり得ない再会をした。
昼過ぎ、倉庫に資材を取りに戻ると、人影がうろついていた。誰だと声をかけると、そいつが振り向いた。
「○○さん!?」
目を見開いて驚かれたのは、むしろ俺の方だった。作業着姿、会社名入りのベストも当時貸したままのもの。時間が止まったかのように、十年前のままだった。
「給料なら奥さんに渡しちまったぞ。何やってんだお前……」
そう問いかけると、彼は不思議なことを言った。
仕事に出ようとしたら、会社までの道が分からなくなったという。家から自転車で五分の距離だ。迷いようのない道なのに、いくら走っても辿り着けなかったらしい。
とにかく腹が減ったので会社の斜め向かいにあるファミマに寄って弁当を買った。ところが、店を出ると自転車がボロボロになり、サドルが消えていた。触っているうちに弁当がなくなり、気づけば自転車まで消えていた。
そしてやっと、目の前に会社があることに気づき、歩いて入ってきたのだと。
俺は耳を疑った。十年ぶりの再会だというのに、本人は「遅刻しました」程度の感覚だった。
しかも、十年分の老いがまるで無い。髪も肌も当時のままで、前日に擦りむいた傷すらそのままだった。
信じ切れはしなかったが、妻に連絡して迎えに来てもらった。十年間、彼女は離婚もせず、死亡届も出さず、同じアパートで帰りを待っていたという。やつれはしたが、彼を迎える笑顔は異様なほど明るかった。
「そうなんだ! 朝から昼までしか経ってないんだ! アホだなあ、うんうん、おかえり!」
まるで時間のずれを受け入れるかのように、何度も頷きながら笑っていた。
彼は精神科に連れて行かれ、解離性遁走――記憶喪失の一種と診断された。けれど俺は腑に落ちなかった。
なぜ服も傷も老いも変わらないのか。なぜ財布もリュックも自転車も消えたのか。あの日のファミマには外国人の店員がいたと彼は語ったが、そんな人はその時間帯には働いていない。
今は時折、現場に連れて行きリハビリのように仕事を手伝わせている。体力は十年前のままで、むしろ俺の方が老け込んでしまった。朝、彼がまた消えるのではないかと少し怯えながら。
ある日、勇気を出して訊ねてみた。
「十年前のこと、昨日みたいに覚えてるか」
すると彼は、当時進めていた工事の施主の名前を迷いなく答えた。俺ですら忘れていたものだ。
ただし東日本大震災の話を振ると、ぽかんとしていた。知らないのだ。
時間がすっぽり抜け落ちたのではない。彼は本当に、十年前からそのままこちらに歩いて来たのではないか――そんな気がしてならない。
けれど、そのときに買った弁当も、リュックも、自転車も、今もどこにも見つからない。まるで別の場所に封じ込められたかのように。
そして、もし次に彼がまた消えたとき……今度は十年後に戻ってくるのか、それとも二度と会えないのか。
彼の妻は言う。
「十年、ずっと時間を止めて待ってたの。だから、これからも待てるよ」
そう言って笑う顔が、俺には恐ろしく見えて仕方がない。
彼が消えていた十年間は、誰の時間が狂っていたのだろう。彼か、俺たちか。それとも世界そのものか。
今も毎朝、彼が現れるのを確かめるたび、胸がざわついて仕方がない。
[出典:220 :本当にあった怖い名無し:2019/06/12(水) 23:33:12.48 ID:2Srht5ny0.net]