私は生まれてからしばらく、ひどい喘息で体が弱かった。
208: 名無しさん@おーぷん 2016/11/02(水)23:58:01 ID:Lqm
まだ言葉も話せなかった頃から、熱に浮かされ咳が止まらず、苦しくて泣いていた記憶がある。
私が三歳になったころ、母が妊娠してお腹がとても大きくなっていた。
そして八月の暑い日、母と私と買い物して帰っていた。
私はご機嫌でスキップして、母と手を繋いで歩いてた。
いつも降りている長い階段につき、母を見上げた次の瞬間、
隣で母がふっとんだ。
母は私の手を離して、階段で転げ落ちてお腹の赤ちゃんが亡くなった。
私は声も出ずぼうぜんとした。感情がついていかなかったのを鮮明に覚えてる。
偶然その場に近所に住む三歳年上の女の子のたーちゃんがいて、たーちゃんがその時のできごとを見ていたと証言した。
たーちゃんは「あの子(私)がおばさん(母)を落とした」と話した。
母は意識不明で生死をさまよい、周りは病弱で親に甘えてばかりの私が、弟か妹に嫉妬して突き落としたんだと考えた。
私は周りから「お母さんを押したの?」と聞かれ、最初はわからないと答えていたけど、きつい口調で何度も何度も聞かれて、私が母をおして殺したんだと確信した。
母は三ヶ月ほどして目を覚ましたけど、意識は戻らなかった。
話しかけたら目を開く、動くものを目で追う、音がした方に反応する。
そんな基本的な反応はするけど、しゃべることも、ましてや私を認識することもできなかった。
そのまま半年が過ぎ、一年が経過し、二年が経過し、三年目で母が目覚めたと聞いた。
聞いたというのは、私が母を突き落としたことで、今で言うサイコパスというのかそんなあつかいを受けて、子供の情緒を育てる的な特殊な病院に行っていて、母に会わせてもらえなかったからだ。
動かない母を殺すのは簡単だから、私が母を殺すことを懸念されたのかもしれないし、母に会わせてショックを受けさせるのを防ぐためだったのかもしれない。
今となってはわからないけど、母とは意識が戻ったあともすぐには会えなかった。
手紙を書くことは許されたので、病院で色紙にクレヨンで手紙を書いた。
「おかあさんごめんなさい」
「おしてごめんなさい」
と、ごめんなさいばかりを書いた手紙だった。
そうして時が過ぎ、私の小学校入学が目前となり、普通の小学校は無理なんじゃないかと大人たちが話していた頃に、車椅子に乗ってガリガリになった母が訪ねてきた。
母は私のことを見てワンワン泣いた。何度も何度も無事で良かったとつぶやいた。
大きくなってから聞いたんだけど、母を突き落としたのは近所のたーちゃんだった。
母は誰かに後ろから押され、とっさの判断で私の手を離したらしい。
転がって落ちる過程で全てがスローモーションで見えて、たーちゃんが手を突き出した状態で立っていたこと。
そのまま私の後ろに立ったので私まで突き落とされると思ったことを話してくれた。
たーちゃんは私が遠くに行ってから、家のハムスターを殺したりして問題行動を繰り返していたことを父から聞いた。
母の意識が戻ってからたーちゃんと話す機会を作ってたらしく、なんで押したのか聞いたら
「押して転んだら中から何が出てくるのかなと思った」と言われた。
私が普通の学校に行ったのと入れ違いで、たーちゃんが病院にかかるようになったらしい。
たーちゃんの親たちは私達親子を恨んでいて、一時期すごく嫌がらせをされた。
私はその時まだたーちゃんのことを知らなかったから、人を殺した私が天罰を受けてるんだと思って修羅場だった。
母もまさか私が母を落としたと思い込んでるなんて思わなくて、知ったときは言葉通り絶句して声もなく泣いた。
209:名無しさん@おーぷん:2016/11/03(木)00:19:24ID:Gtk
ひ、酷過ぎる三歳の子を追い詰めるってのもひどい。
そのターちゃんとかの親もサイコパスなの?つかなんで恨むとかになるわけ?土下座して詫びる方じゃないか。逆恨みもひどい。
つらかったね、今は大丈夫なの?
210:名無しさん@おーぷん:2016/11/03(木)01:36:17ID:sWq
あなたがかわいそうすぎる、お母さんが気の毒すぎる。でも、お母さんが真実を知っていてあなたに伝えられて良かった。
『たーちゃん』許せんわ
212:名無しさん@おーぷん:2016/11/03(木)02:58:04ID:wzz
すみません、昔の消えかかった記憶を思い起こして書いてたら日本語がかなりおかしくなってました。
私の記憶で四歳頃までしかたーちゃんの親と接触はなかったのですが母親は覚えている限り、子供を見ていると言いながら携帯ばっかり触ってる人でした。
ずっとメールしてて、メール依存症だったと思います。子供が何かしても携帯しか触ってなくて、私の母が怒ってた記憶が残ってます。
たーちゃんの父親は社長でした。地元の人を相手に商売してて、お客に対してはハエみたいと母が言ってました。私は汚い言葉で怒鳴り散らす姿しか知りません。
公園でゴムボールで遊んでいて、転がっていったボールがタバコを吸っていたたーちゃんの父の足元に転がっていったんですが
「ぶっ殺すぞクソガキ!」
と怒鳴られ、ボールをこっちに転がすならこんなところでボール遊びするなと言われて公園を追い出されました。たーちゃんはそんな私を見てニヤニヤしてました。
たーちゃんには、私が何も理解していないことをいいことにイジメられてた記憶があります。よくおもちゃを盗られて
「返して欲しかったら服を脱げ」と下着姿にされてました。
今思い返すといかがわしいこともさせられました。下着姿で股を鉄の棒に擦り付けろと言われたりですね。
家の玄関で遊んでいたら手を引っ張って連れ出され、そこで裸にされて家まで帰ったこともありました。
羞恥心という心を知る前のことだったのでなんの疑問も沸きませんが、今なら何をされたのか理解できます。
全部母のお腹が大きくなって、母が私を監視できなくなってた頃なので、三歳になってすぐくらいの頃ですね。
私が病院に行ってからは全く接触してませんのでわかりません。
たーちゃんって名前以外、本人に繋がる情報は何も覚えてないんですよ。
私にとってはもういるかいないかわからない宇宙人みたいな存在です。
生きている限り二度と関わりたくない存在です。
むしろされていたことを考えると私の黒歴史です。
(了)