中学からの友人で、高校生活を共に駆け抜けた政一の告白を受けたのは、卒業式の夜だった。
壇上で名前を呼ばれ、卒業証書を受け取る自分を見つめるあの眼差しに、妙な熱がこもっているのは気づいていた。だがそれがどういう意味を持つのか、本当のところを知ったのは式がすべて終わり、夕暮れに沈んだ校舎の裏庭で二人きりになった時だ。
「好きだ」
その一言に頭が真っ白になった。親友だと思っていた相手からの唐突な告白。同性の自分が対象だという事実に、理解が追いつかない。だが、傷つけたくはなかった。動揺を隠し、できるだけ優しく断ったつもりだ。
政一はそれ以上追及せず、ただ「一度だけでいい、デートしてほしい」と懇願した。その必死さに心が揺らいだ。最後の思い出になるのなら、と情に流されて承諾した。
映画を観て、ファミレスで食事をした。友人として過ごす日常と変わらない時間だった。ただ別れ際、駅前で彼は立ち止まり、不意に尋ねてきた。
「もし俺が女だったら、つき合ってくれた?」
その問いに胸を突かれた。彼は県外の大学に進学する。もう会うこともないかもしれない。思い返せば、部活動の合間に笑い合ったこと、夏祭りでふざけあったこと、他愛のない日々が急に愛おしく胸に押し寄せた。
「女だったら……つき合うどころか、結婚してたかもな」
自分でも驚くほど素直に、そう答えていた。
政一は泣き笑いのような顔をして「ありがとう、ごめんな、さようなら」と背を向けた。小さくなっていく背中を見送りながら、こちらも涙が止まらなかった。
――それきり、会うことはなかった。
年月が流れ、大学に進んでからのアルバイト先で、恵美子と出会った。屈託のない笑顔を見せる彼女に告白され、自然に付き合うようになった。だが、彼女にはひとつ奇妙な口癖があった。
「ああ、女に生まれてよかった」
初めは笑って受け流したが、ある日あまりに繰り返すので理由を尋ねると、こう返ってきた。
「だって、私が男だったら、恒雄はつき合ってくれなかったでしょ」
その瞬間、脳裏に蘇ったのは政一の声だった。あの駅前での問いかけと、全く同じ響き。しかも、その会話をした場所は、政一と別れたあの駅前だった。
偶然だと自分に言い聞かせたが、それ以降、彼女の仕草や嗜好に妙な既視感を覚え始めた。笑い方、食べ物の好み、映画の趣味、本の読み方に至るまで、政一と瓜二つなのだ。性格まで似通っていると気づいた時、背筋に冷たいものが走った。
「まさか……政一が、姿を変えて?」
馬鹿げていると思い直した。恵美子には実在する家族がいて、昔からの友人もいる。背丈だって全く違う。偶然が重なっただけだ。そう信じ込もうとした。
だがある夜、決定的な出来事が起きた。
恵美子の部屋で、テレビのロードショーを並んで見ていた時、彼女が不意に呟いた。
「懐かしいね。最初のデートで観たよね」
心臓が凍りついた。
それは政一と見た映画だった。恵美子とは一度も観ていない。慌てて「知り合う前の映画だよ、誰かと勘違いしてるんじゃない?」と問い詰めると、彼女は首を振り、詳細にその日のことを語った。ホットドッグのケチャップをこぼしたこと、釣り銭を間違えられて得したこと……どれも紛れもない事実だった。
どうして知っている。誰が教えた。頭の中で警鐘が鳴り響き、逃げ出すようにその夜は帰宅した。
それから彼女を直視できなくなった。愛情は恐怖に取って代わり、別れを告げる決意を固めた。だが別れ話は地獄だった。泣き叫び、暴れ、挙げ句に手首を切った彼女は血塗れの手でこちらを掴みながら叫んだ。
「結婚するって言ったじゃん! だからこの女になろうと思ったんじゃん!」
その瞬間、政一の顔と重なった。あの夜、駅前で涙を流しながら去っていった彼の姿が。
恐怖で全身が凍りついた。バイトを辞め、家族や友人にすら行き先を告げず県外へ逃げた。連絡を絶った。
それが男らしくないと責められても、あの言葉を耳にした以上、正気ではいられなかった。
「この女になろうと思った」
その言葉が今も耳の奥で繰り返される。
政一に告白されたことは、誰にも話していない。恵美子にも、バイト仲間にも。
だからこそ、あの一致は説明がつかない。
今も、自分は音信不通のまま。
彼女がどこにいるのかも、政一がどうなったのかも、確かめる気にはなれない。
――ただ、ふと夜道で背後に気配を感じるたび、あの声が耳元で囁くのを待っている自分がいる。
「もし、俺が女だったら……」
(了)