ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 r+ 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

折り返された朝 r+5,776

更新日:

Sponsord Link

子供の頃に起きた、どうにも説明のつかない出来事がある。

思い出すたび、胸の奥がきゅっと締めつけられる。夢だったのかもしれないと何度も思い直すが、それにしては肌触りや音が、やけに生々しく焼きついている。

あれは、五月の節句の頃だった。
俺のために用意された立派な兜飾りと、三十センチほどの小刀。今思えば、家族が無事を願って選んでくれたものだ。それを、当時幼稚園児だった俺は、ただの“かっこいいおもちゃ”としか思っていなかった。

誰にも見つからぬよう、そっと飾り台から刀を抜き取った。鞘に収まった銀の刃、重みはあるが振り回すほどでもない。
近所の公園に持ち出して、自慢げに友達に見せびらかしていた。小さなヒーロー気取りで、ヒュンヒュンと空を斬る真似をして。

その日も、公園には見知った顔が揃っていた。
特に懐いてくれていた、少し年下の“秀世”。
ふわふわの髪と、虫の声みたいな高い声で、いつも俺のことを「けんちゃん」と呼んでついて来てた。
俺は得意になって、「こう構えると、こう切れるんだ」と、刀を構えて見せた。

刹那、何かがズレた。いや、手元が狂ったのか。
刀の先が、まるで吸い込まれるように秀世の顔に伸びた。

「うわっ」

生暖かい感触。目の奥が痒くなるような高音。
秀世の顔が、ぱっくりと割れたように見えた。

「け……ん……ちゃ……」

赤いものが彼の顔を覆った。
叫び声が上がったのか、俺が叫んだのか、それすら定かじゃない。
周囲がざわめく中、俺は公園を飛び出して、泥だらけの足で家へ駆け込んだ。

「母ちゃん!!しゅ、秀世が!!」

母は顔を強張らせ、すぐに外へ飛び出した。
その後ろを追うように、秀世の母も走って来た。

救急車のサイレンが遠く近づいて、公園には人だかり。
俺は誰にも声をかけられず、そのまま家へ連れ戻された。

連れて行かれたのは、仏壇のある暗い部屋。
あの部屋の匂いが今でも鼻の奥に残っている。線香の焦げたような甘さと、畳の湿ったような匂い。
ぽつんと置かれた座布団の上で、俺はただうつ伏せになって泣いていた。
取り返しのつかないことをした、と。

……その時だった。

部屋が明るくなった。

うつぶせの背中に、じんわりと陽が当たるのを感じた。
あれほど暗かった部屋が、ふわっと明るくなったのだ。
まるで朝日が差し込むような、柔らかくて淡い光だった。
目を開けると、障子の隙間から光が差していた。鳥の声がチュンチュンと聞こえる。

「……朝?」

時計は見ていない。だが、光と音は確かに朝のものだった。

その時、母の声が響いた。

「あんたそんなとこで何してんの!早く歯、磨きなさい!」

廊下の向こうから怒鳴り声。
顔を上げると、朝の忙しない我が家の風景が広がっていた。
台所から味噌汁の匂い、テレビから流れるニュースの音。
訳がわからず、俺はただ「ごめんなさい、ごめんなさい……」と泣きながら母にしがみついた。

「ごめんね、刀で、秀世ちゃんの目……」

母は一瞬眉をしかめたが、すぐに言った。

「何の話?秀世ちゃんどうかしたの?」

混乱しながら、俺は昨日の出来事を語った。
刀を持ち出して、公園で……目に刺してしまったこと。
母は最初は驚いていたが、次第に「そんなことしてないでしょ」と笑い始めた。

「昨日は家にいたじゃない。刀なんか持ってってないし、秀世ちゃんと遊んでないでしょ」

まるで、俺の記憶だけが歪んでいるような反応だった。

耐えられず、俺は兜の飾りのところへ走った。
あの小刀が、元の場所にあるかどうか……。

だが、そこに刀はなかった。
ただの兜だけがぽつんと鎮座していた。

あれは夢だったのか。
だが、手のひらにはあの刀の冷たい感触がまだ残っていた。

幼稚園に行くと、さらに混乱した。

秀世が、いつも通りいたのだ。
……ただし、右目に白い眼帯をして。

俺は息を呑んだ。

彼の母親と並んで立っていたので、意を決して謝ろうと近づいた。

「秀世ちゃん、ごめ……」

だが、その前に秀世の母が明るく言った。

「健太ちゃん、おはよう~。秀世、今朝からちょっと目が腫れちゃってね、ばい菌入ったみたいなの。いじらないように見張っててね」

俺は耳を疑った。

「え……昨日じゃなくて?」

「昨日?何の話?」

にこにこ笑う彼女の顔が、どうしても信用できなかった。

それでも、秀世はまったく怯える様子もなく、眼帯越しに笑いかけてくる。
血も、悲鳴も、なかったかのように。

帰宅してからも、気持ちは収まらなかった。
すると、母が唐突に聞いてきた。

「あんた、あの刀どこにやったの?遊び道具にしちゃダメって言ったでしょ」

俺は言葉を失った。

記憶の中で、俺は公園のベンチに刀を置き忘れていた。
駆け足で探しに行くと、そこに、あの刀がそのまま置かれていた。

赤くもなく、折れてもなく、ただ無言でそこにあった。

震えながら手に取ると、冷たく、確かに現実に存在していた。

すべてが元通りに見えたが、何かが違っていた。

あの時の秀世の表情が、今も夜中になると思い出される。
眼帯の向こうで、うっすら笑っていたような気がするのだ。
まるで、何かを思い出させまいとするような笑み。

何年経っても、あの日の“朝”のことは、俺の中で歪んだままだ。
果たして、あの出来事が“なかった”ことになったのか、それとも俺だけが、あの朝に巻き戻されたのか。

……誰にも、訊けないままだ。

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, r+, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.