俺の知り合いに、お祓いを生業にしている女がいる。
知り合いと言っていいのか分からない。友人でもないし、仕事仲間とも違う。ただ、定期的に顔を合わせ、同じ現場に立つ関係だ。
最初に会ったのは、最寄り駅前の立ち飲み屋だった。
引っ越してきたばかりで、会社帰りに行く場所も決まらず、なんとなく暖簾をくぐっただけの小さな店だ。店内では当時流行っていたSMAPの曲が流れていた。
その女は、俺の顔を見るなり、金切り声を上げた。
周囲の客が一斉にこちらを見る。俺は慣れていた。昔から、初対面の人間に突然怖がられることがある。叫ばれたことも、警察を呼ばれそうになったことも一度や二度じゃない。
だから無視した。
だが女は引き下がらなかった。距離を詰め、出身地、仕事、家族構成を矢継ぎ早に聞いてくる。尋問という言葉が一番近い。適当に答えていると、最後に一枚の紙を差し出された。
名刺でもチラシでもない、ただの白いカードだった。
「来なさい」
命令口調だった。腹が立って、その場で捨てた。
数日後、また同じ店で会った。
今度は逃げられなかった。細身の中年男と、顔色の悪い若い女が一緒にいて、三人がかりで外に連れ出された。女はフジエ、若い女はミドリ、男はサダオと名乗った。
連れて行かれたのは占いの館だった。
宗教施設ではなかった。それだけで少し安心した自分がいた。
フジエは言った。
「あんた、うちで働きなさい」
俺は断った。会社員だったし、幽霊も神も信じていなかった。だが土日だけでいい、見る必要はない、言われた通り動けばいいと食い下がられた。結局、好奇心と半分の自棄で引き受けた。
最初の現場は、都内の一軒家だった。
自転車で行くと怒鳴られ、徒歩で来いと言われた。理由は教えてもらえなかった。
家に入った瞬間、フジエとミドリの表情が変わった。
「いる」
二人同時にそう言った。俺には何も感じなかった。
二階の一室、ドアには「TAKESHI」と書かれていた。
中学生の部屋だと聞かされた。塩と水を取り出す二人を横目に、俺は何をすればいいのか尋ねた。
「お前は触るな。ただ言われた通り動け」
扉を開けた瞬間、黒い影が動いた。
次の瞬間、少年が飛びかかってきた。歯を剥き出しにし、意味の分からない声を上げながら、フジエの首に噛みつこうとした。
反射的に割って入った。
少年は俺の顔を見た瞬間、動きを止めた。震え、後ずさりし、ベッドの隅に縮こまった。
「叩け」
フジエの声が飛んだ。
躊躇したが、背中を一度叩いた。力は入れていない。
それでも少年は悲鳴を上げ、泡を吹いて倒れた。
それで終わった。
少年は眠り、両親は泣きながら感謝した。部屋の壁には無数の傷があり、どれも内側から抉られたように見えた。
帰り道、ミドリは吐いた。
理由を聞くと、俺を見続けたせいだと言われた。
「あんた、相当なモノを背負ってる」
フジエはそう言った。守護霊だの気だの、呼び名はどうでもいいらしい。ただ普通ではない、と。
「良いことなんですか」
「最悪だよ。でもあんたは、それと一緒じゃないと生きられない」
その日、十万円を渡された。
仕事の内容を考えれば破格だった。
それから俺は留学し、帰国した。
キャリアは途切れ、派遣で食いつないでいる。週末は今もフジエの仕事を手伝っている。
相変わらず、俺には何も見えない。
ただ声をかけ、叩くだけだ。
ミドリは今でも現場のあと吐く。
最近は、吐いたあと、決まって俺の方を見て謝る。理由は聞かない。
明日も一件ある。
最近、現場の帰り道で、背後に足音が増えた気がする。
振り返っても、誰もいない。
だが、歩幅だけは、いつも俺と同じだ。
(了)