短編 集落・田舎の怖い話

天明大飢饉の凄惨な記録【ゆっくり朗読】5709-0102

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ウチの地域(山間部)で実際に起きた歴史。

1783~1784年。世に名高い「天明の大飢饉」があった。

我が南部藩でも沢山の人間が死んだ。

南部藩がまとめた『南部史要』によると、餓死者が40,850人、病死者23,848人、一家全滅で空き家になった家は10,545戸にも及んだという。

八戸藩士だった上野伊右衛門という人の見聞記『天明卯辰簗』(てんめいうたてやな)には、その当時の人身の荒廃の様が生々しく書かれている。

『夫を欺し打殺して是を喰 我子をも鎌にて一打にてうちころし 頭より足迄食し夫より倒死の市外を見付是を食とし 又々墓々を掘返し死骸を掘出 夜々里に出でて、人之子供を追候。』

また、『動転愁記』には
『「もう喰いたいと言わぬ故許せ」と泣き叫ぶ八歳の娘の頭に石を打ち下ろして殺し早瀬川に投げ込む』

などの記述がある

これだと生きていけないってんで、皆、農民も町人もどこか喰い扶持を求めて、家を捨てて逃げるそうだ。

しかし、皆が隣村に《亡命》してきてももちろん喰うものはどこにもないもんで、却って喰い扶持が少なくなって全滅の危険がある。

そうなるとどうなるか。

亡命してこられる前に隣の村の奴をできるだけ殺そうって話になる。

皆必死だし、ニ、三人死んでも今更皆気にしないから、若者とかまだ体力がある奴が鎌や鍬を手に持って、隣村を素面で襲撃して殺す殺す。

皆もう逃げる体力もないから皆殺しなんだそうだ。

その殺された奴の遺体は飢えた者たちの食料になったというから凄まじい。

皆殺しをやった村では、未だに殺した人間以上に人口が増えないそうだ。

それでも、やっぱりいつの時代にもいい人はいるもんだ。

ついに飢饉も最悪の状態になると、一山も二山も越えた先にあるウチの町にまで農民が亡命してきたそうだが、土地の事情で生産が多く、まだ余裕があった俺の町の農民たちは哀れに思って、決して多くない蓄えを放出し、餓鬼みたいになった農民たちに炊き出しして、振舞ったんだと。

しかし、これがいけなかった。

メシを食わせた瞬間、大半の農民は死んでしまったそうだ。

何ヶ月もろくすっぽ食ってない胃に喰い物を入れると人間ってショック死するんだと。

農民たちは白目を剥き、ひっくり返って苦しみ抜くそうで、ウチの町の農民たちがおろおろするうちに皆死んだ。

こういう悲劇がいろんなところで繰り返される。

善意でやったつもりが、かえって最悪の結果を招いてしまう。

そのことを知った俺の町の先祖たちは、亡命してくる農民たちを追い払うようになった。

町は餓鬼の群れで溢れ、そこらじゅうに行き倒れの死体が転がって、極めて凄惨な光景だったそうだ。

今はその餓死者たちを供養する慰霊碑が町中に建っているが、この歴史についてはあまり触れられない。

未だに俺の町では、このときの歴史については口をつぐんでしまう老人が結構いる。

親から何代にも渡って、このことは口外するなと口止めされるからなんだと。

(了)

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