私の祖母は、編み物が得意な人だった。
いわゆる霊感だとか不思議な力だとか、そういう言葉で説明されがちな人でもあったが、私にとっての祖母は、冬が来るたび黙々と毛糸を編む、少し無口で、少し心配性な人だった。
私が小学校に上がった年の冬、祖母は兄たちと私にお揃いの毛糸の帽子を編んでくれた。
黄色い毛糸で、てっぺんに丸いポンポンがついていた。そのポンポンが、子どもの目にはたんぽぽの綿毛みたいに見えた。
私はその帽子が気に入って、寒くなり始めると必ずかぶった。
学校へ行くときも、近所へ遊びに行くときも、どこへ行くにもそれをかぶっていた。
いつの間にか、近所では「黄色い帽子の子」と呼ばれるようになっていたらしい。
子どもというのは、気に入ったものを擦り切れるまで使う。
帽子は何年も私の頭の上にあり続けた。
五年生の初冬、私はタンスの引き出しを開けて、しばらく手を止めた。
黄色い帽子が、そこにあった。
何年も見慣れていたはずのそれが、その日は妙に小さく、幼いものに見えた。
これをかぶって学校へ行くのは、少し恥ずかしい。
でも祖母が編んでくれたものだ。
もう十分すぎるほど使った気もする。
五年生には似合わない。
でも、やめたら祖母はどう思うだろう。
結局、私は帽子を取り出さなかった。
引き出しを閉め、その冬は別の帽子で過ごした。
近所のおばさんに「あの黄色い帽子、最近見んね」と言われても、曖昧に笑ってやり過ごせるくらいには、私は子どもでいることに距離を取り始めていた。
祖母は、何も言わなかった。
帽子をかぶらなくなったことを、責めもしなければ、理由を尋ねることもなかった。
それがかえって、私の中に小さな引っかかりを残したが、日々はそれを上書きしていった。
タンスの奥で眠っていた帽子が再び話題に上ったのは、中学卒業が近づいた頃だった。
「あの黄色い帽子、まだ持っとるかえ」
祖母にそう言われて、私はすぐには思い出せなかった。
ポンポンのついた帽子だと聞いて、ようやく「ああ」と声が出た。
「欲しい言う人がおるけん、あんたがよけりゃ譲ろうか思うんやけど」
誰が、今さらそんなものを。
しかも、わざわざ私のお下がりを。
気味の悪さが先に立って、私はつい強い言い方をした。
祖母は一瞬きょとんとしてから、笑った。
「変な使い方はせんよ。ただ、ちょっとした、おまじないや」
その言葉以上の説明はなかった。
祖母は、帽子を持ってくるよう促した。
久しぶりに手に取った帽子は、驚くほどきれいだった。
色も褪せていない。
ほつれもない。
私の時間だけが先に進んで、帽子はそこに置き去りにされていたようだった。
どう使うのかと尋ねても、祖母は答えなかった。
ただ、兄たちや父のものも、似たように手元を離れたことがあるらしいと、笑いながら話した。
そうして、たんぽぽの帽子は私のもとを離れた。
私は、それをお寺に納めたのだろうと思っていた。
そういう場所なら、祖母の言う「おまじない」という言葉にも、なんとなく収まりがついたからだ。
高校に入ってしばらくして、私は時折、視界の端に黄色を見るようになった。
廊下の隅や、本棚の影、肩口のあたり。
はっきりとは見えない。
二度目には、もうない。
それが何なのか、考えないことにした。
帽子のことを思い出すのも、なぜか億劫だった。
私と兄たちは、大きな問題も起こさず、目立った挫折もなく、平穏に歳を重ねた。
後から思えば、少し拍子抜けするほど何もなかった。
成人式を前に、次兄がぽつりとこぼした。
「なんもなかったな。オレら」
それを残念とも幸運とも言わず、ただ事実として言った声だった。
私も、否定できなかった。
やがて、黄色を見ることもなくなった。
祖母が亡くなり、私も親になった。
子どもは落ち着きがなく、毎日が少し危なっかしい。
冬が近づいたある日、息子が言った。
「ぼく、そのぼうし、ほしい」
どの帽子かと聞くと、首を振る。
「おかあさんが、むかしかぶっとったやつ」
私は帽子をかぶっていない。
そう言うと、息子は少し困った顔で言った。
「さっき、あったもん。きいろいの」
家の中でも、ときどき見るのだという。
すぐ消えるけれど、確かにそこにあるのだと。
私は、返事に詰まった。
帽子は、もうない。
それでも、息子は欲しいと言う。
渡せない理由を、私は自分の中に探した。
見つからなかった。
祖母は、何を守ろうとしたのだろう。
守っていたのは、私たちだったのか、それとも、私たちが踏み外すかもしれなかった何かだったのか。
その答えを、私はまだ持っていない。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「凪 ◆gRc5iHyE」 2019/01/08]