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鏡の数が増える家 rw+7,650-0206

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あの夏のことを、私は正確には思い出せない。

思い出せないというより、思い出そうとすると、記憶の方が私を拒む。

小学五年生の夏休み、私は母方の祖父母が住む山間の集落に預けられていた。五十人に満たない人間が暮らす、小さな場所だった。遊び相手は限られていたが、子供にとっては十分だった。

年上の少年が二人と、年下が一人。四人で川に入り、山に入り、誰に言われるでもなく、行ってはいけない場所を探すようになった。

集落には、大人が決して理由を語らない禁忌があった。
森の奥の小さな祠と、墓地を越えた先の道だ。

祠には行った。何も起きなかった。
だから、次は墓地の先だった。

墓地を抜けた先、鎖で塞がれた旧道があり、その奥に川があることは皆知っていた。だが、藪を分けると、渡れるはずのない場所に吊り橋が残っていた。誰が、何のために残したのかは分からない。

橋を渡った先には、道を挟んで二軒の家が向かい合っていた。
人が住まなくなってから、相当な時間が経っているようだった。

家の中に、生活の痕跡はなかった。
代わりに、部屋ごとに鏡が置かれていた。姿見、手鏡、割れた鏡。
そして、それぞれの前に、封をされた箱や布包みがあった。

誰も触れていない箱が、開いていた。
気づいた時には、鏡が一つ、倒れていた。

鏡の裏には、文字があった。
読めるようで読めない。字とも模様ともつかない、細かい線の集合だった。

次に覚えているのは、人形だ。
家の奥にあったはずの人形が、玄関に立っていた。

動いた記憶はない。
ただ、立っていた。

叫んだかどうかも覚えていない。
鏡が倒れる音だけが、家の中に連続して響いた。

一人が叫び、一人が動けなくなり、一人が何かに縋りついていた。
私ともう一人だけが、外へ逃げた。

集落に戻った時、空は夕方だった。
出たのは昼前だったはずだ。

その後のことは断片的だ。
大人たちの顔色。
誰かが泣き、誰かが怒鳴り、誰かが何も言わなくなった。

その夜、私は山の神社に連れて行かれた。
何をされたか、詳しくは書けない。
ただ、吐いたものの色だけは、今でも覚えている。

翌日、私は集落を離れた。
それきり戻っていない。

後から聞いた話では、あの家に戻った者がいたらしい。
戻った理由は分からない。
助けに行ったのかもしれないし、呼ばれたのかもしれない。

結果だけが残った。

それから十八年、私は東京で暮らしている。
普通の生活だと思っていた。
だが、身近な人が死ぬ時、必ず同じ夢を見る。

あの家の中だ。
鏡の前に、誰かが立っている。
顔は見えない。
こちらを見ているかどうかも分からない。

一昨日、新宿駅で、あの夏に一緒に逃げた相手と再会した。
言葉はほとんど交わさなかった。
ただ、互いに「まだ生きている」という事実だけを確認した。

私は、結婚している。
もうすぐ子供が生まれる。

それでも、あの家の夢は終わらない。
夢の中で、鏡は少しずつ増えている。

この文章を書いている途中で、何度か行を戻した。
すでに書いたはずの一文が、消えていたからだ。

もしかすると、私はまだ何かを持ち帰っている。
もしかすると、書くことで増やしている。

それでも、ここで止めることはできない。
思い出さないまま、生き続けることの方が、もう耐えられない。

ここまで読んだあなたが、今夜、鏡の数を数えてしまったなら。
それは、偶然だと思ってほしい。

私は、そう思うことにしている。

(了)

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