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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

家庭の味 rw+7,192-0128

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中学時代の同級生から、妙な話を聞いた。

彼の住む集合住宅から少し離れた場所に、個人経営の定食屋があったという。駅前の喧騒から外れた裏道にあり、夕方でも人通りはほとんどない。暖簾は色が抜け、何屋なのか一目では分からない。表のガラス戸には「家庭の味」とだけ書かれた紙が貼られていた。

初めて入ったとき、鼻についたのは出汁と古い畳の匂いが混じったような、生活そのものの空気だった。店内は無駄に広く、四人掛けの卓が等間隔で並んでいる。客は一人もいなかった。カウンターの奥には、年齢の読めない男が一人立っていて、白衣は洗いすぎたのか繊維が寝ていた。奥の方から、時折、何かを引きずるような音がしたという。

卓の中央には、醤油、七味、ソースがまとめて置かれていた。その横に、小さな立て札があった。ボールペンで書かれた文字は、丁寧だが妙に力が入っている。

「まずは、そのままで召し上がってください」

彼は濃い味が好きで、何を食べるにも調味料を足す癖があった。その日も、注文した煮魚定食に、無意識に醤油を回しかけた。味は可もなく不可もなく、家庭料理と言われればそうなのだろう、という程度だった。

三度目に訪れたとき、違和感が生じた。

注文を告げると、男は一瞬、彼の手元を見てから、同じ文句を口にした。

「まずは、そのままで召し上がってください」

声は低く、抑揚がなかった。注意というより、確認に近い調子だった。彼は軽く会釈し、構わずいつも通り醤油を使った。

それからしばらく、その店には行かなかった。理由はない。ただ、思い出すと少し胸の奥がざらつく感じがしたという。

数ヶ月後、仕事帰りに無性に魚が食べたくなり、久しぶりに足を向けた。店は変わらず空いていた。男は同じ位置に立ち、同じ顔で、同じ言葉を繰り返した。

「まずは、そのままで召し上がってください」

その時、彼は気づいた。男の視線が、自分の顔ではなく、卓の上の調味料を見ていることに。見張るような目つきではない。むしろ、期待に似た、切実な焦点の合わせ方だった。

料理は、奥から運ばれてきた。姿は見えなかった。足音だけが近づき、皿が置かれ、また引いていく。客席から奥は死角で、こちらの様子は分からないはずだった。

それでも男は、知っているようだった。彼が何を足し、どう食べるかを。

彼は試すような気持ちで、また醤油を使った。その瞬間、床の下から鈍い音がした。何かが落ち、続いて踏み固められるような感触が、空気を通して伝わってきた。

反射的に顔を上げると、奥へ続く引き戸が、いつの間にかわずかに開いていた。そこからこちらを見ている気配があった。人数も、表情も分からない。ただ視線だけが、はっきりと存在していた。

そこにあったのは怒りでも憎しみでもない。理解されなかったことへの、行き場のない困惑だった。何度も示したのに、何度も置いたのに、届かなかったという空洞。

彼は箸を置き、勘定もせずに店を出た。背中に、視線が貼り付いたままだった。

それ以降、その道を通らなくなった。

半年ほどして、偶然前を通ったとき、店は閉まっていた。ガラス戸には不動産会社の紙が貼られている。だが、戸の内側、あの立て札があった位置に、白い紙が一枚残されていた。

「そのままで、よかったのに」

誰に向けた言葉だったのかは分からない。ただ彼は、それを読んだ瞬間、あの味を思い出し、なぜか胸の奥がひどく痛んだという。

(了)

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