あらすじ
一年前、終電を逃し、たまたま別のカプセルホテルへ向かう途中、目の前に「何か」が落ちてきた。その日から、毎晩悪夢に追われるようになり、恐怖に飲み込まれていく俺。立ち上がる男の不気味な笑顔、どこまでも続く闇への墜落──。
偶然、電車で出会った謎の老人が「兄さん、死ぬぞ」と告げ、悪霊に魅入られたことを告白される。「お守り」がなければ、既に命は無かったという。なぜ俺が選ばれたのか、どこまで逃げられるのか。見えない力と「縁」を切るため、俺の生き残りを賭けた戦いが始まる。
一年経って、やっと冷静に思い出すことが出来るようになった出来事がある。
254 去年の出来事 2010/10/31(日) 01:06:09 ID:B9Z258Oh0
去年のちょうど今頃の話だ。
その日は金曜日で、俺は会社の同僚数人と何軒かの店をハシゴして、すっかり良い気持ちだった。
当然、終電は既に無く、三人の同僚と一緒にカプセルホテルに向かった。
カプセルホテルに入り、フロントで人数を告げると、二部屋しか空きが無いという。
仕方がなく、一番先輩である自分と、家が比較的近くて、タクシーでも同程度の料金しかかからない奴が諦めることになった。
カプセルホテルを出た所で、同僚はタクシーを捕まえるため駅方面に向かうので別れた。
俺はもう一軒あるカプセルホテルに電話をかけて、空き状況を確認した。
幸い空きがあるとの事だったので、そこに向かおうと歩き始めた。
カプセルホテルの入口から10m程歩いた所だったと思う。
何でかは判らないが、俺は突然立ち止まったんだ。
その二、三秒後、目の前三メートルくらいのところに人が降ってきた。
「グシャッ」という音がして、男が仰向けの状態になってピクリともしない。
突然、訳が判らない状況に陥ると、思考停止になるんだなと実感した。
一分位は突っ立ったままだったと思う。
ようやく我に返り、男に「大丈夫か」と言いながら近付いた。
近付きながら、「あ~こりゃ駄目だ。嫌なもんに関わっちゃったな」と感じた。
まず、頭の位置がおかしい。直角に90度曲がっており、右側頭部かぼっこりと凹んでいる。
結構な量の鼻血が出ていた。
年齢は50前後の、どこにでも居そうなオヤジだった。
カプセルホテルの浴衣を着ていたので、直ぐにホテルに駆け込んで、フロントマンと一緒に確認した。
その後は救急車の手配、警察の事情徴収などで二時間近く拘束された。
確かにカプセルホテルに宿泊中の客であり、三階の食堂の窓が開いていたことから、俺はただの目撃者ということになり、免許証と勤務先を確認されて開放された。
時間も四時を過ぎており、今更カプセルホテルに泊ってもしょうがないので、漫画喫茶で仮眠を取ろうとしたが、目が冴えてしまって結局一睡もできなかった。
嫌な夢を見始めたのは、その晩からだった。
真っ暗闇の中で俺は立っている。やがて「グシャッ」という音とともに、オヤジが目の前に落ちてくる。
オヤジはゆっくり立ち上がると、頭を左右にカクカクさせながら俺に近付いてくる。
逃げようと思っても体が動かない。目の前でニヤーッと笑いながら俺に抱きつく。
抱きつかれた途端に、オヤジと一緒に深い深いところに落ちていく。
「落ちる」と思った瞬間に目が覚める。
寝直すとまた同じ夢を見る。そんな夢を一晩に五、六回は見た。
毎晩同じ夢を見た。最初は怖ろしかったが、怖ろしさは直ぐに慣れる。
それよりも、毎回毎回同じ夢を見続けるために、寝るのが苦痛になった。
また、夜だけではなく、電車の中でウトウトしていても夢を見るので、休まる暇が無い。
翌週の水曜日だったと思う。同僚が「今夜飲みに行こうぜ」と言ってきたので、居酒屋に行った。
日毎にどんどん顔色が悪くなっていくんで、体調が悪いのではないかと心配して、話を聞きたかったらしい。
さすがに夢の話は出来なかった。
最近よく眠れないと言うと、「それじゃ熟睡するようにどんどん飲め」って事でしこたま飲んで、家に帰り泥のように眠った。不思議と夢を見なかった。
次の日から毎晩浴びるように酒を飲んだ。もちろん翌日は二日酔いになるが、夢の方が嫌だった。
そんな生活が続けられる訳も無く、仕事に支障をきたすようになった。
遅刻を繰り返し、営業中にサウナで酒を抜くといった日々になってしまった。
当然上司から叱責されたため、酒をやめたんだが、途端に夢を見るようになる。
心底まいってしまって、精神科への受診も考えるようになった。
酒をやめてから1週間位たったある日、営業先へ行く途中の電車でついウトウトしてしまった。
真っ暗な中立ち尽くす俺。またかと思ったが、その時の夢は違った。
いつもはカクカク、ニヤニヤしながら近付いて来るオヤジが、頭を倒したまま目をカッと見開き、歯を食いしばったまま一歩も近付いて来ない。
その内、口を開いて「アーッ、アーッ」と言いはじめた。
そこで、俺は誰かの呼ぶ声に目が覚めた。
「兄さん、兄さん」と、知らない爺さんが俺の肩を揺すっている。
パッと見に頑固そうな爺さんだったんで、イビキでもかいていて怒られるんだと思い、「すいません」と謝ってしまった。
爺さんは笑いながら、「馬鹿言ってんじゃねえ。ちょっと聞きたい事があるから次の駅で降りな」と言う。
俺は「???」となりながら、何となく「はあ」と言ってしまい、次の駅で爺さんと一緒に降りた。
駅で降りてから、客先の訪問を思い出し、断りの電話を入れることになってしまった。
爺さんは「あそこの店で休むぞ」と言って、駅前の喫茶店にどんどん入って行った。
俺は訳がわからないまま店に入り、俺はコーヒー、爺さんはコーヒーとサンドイッチを注文した。
店員が戻ると、突然爺さんが「兄さん死ぬぞ。自分でも何かしら自覚してんだろ」と言う。
俺は何か急に涙が出てしまい、泣きながら「はい」と答えた。
一連の経緯を話したんだが、爺さんは黙々と飲んだり食ったりしていた。
食い終わった爺さんが、「これから俺の家に行くぞ。ちょっと時間がかかるから、会社は早退しろ」
と言うので、会社には出先で体調が悪くなり、病院に寄って帰宅するということにした。
喫茶店を出て、爺さんの後を付いて家まで行ったんだが、爺さんは黙ったまま一言も喋らない。
電車に乗り、さっき降りた駅より3駅先の駅の住宅街に、爺さんの家はあった。
家に入ると、やさしそうな婆さんに挨拶し、和室に案内されてお茶を頂いた。
爺さんは別の部屋に行っていたが、三〇分位すると数珠と経本を持って和室に現れた。
俺の前に正座し、お茶を飲んだ後に話し始めた。
「今まで良く生きていたな。兄さんのお守りさんの力がなかったら、俺と会うことも無かっただろう」
俺はまた涙が出た。
「俺はな、○○寺の次男坊なんだよ。小さい時から経文を読んだり、親父の真似事をしてる内に、自然と目に見えない物が見えて聞こえるようになった。だけど、そんなに強い力がある訳じゃねえ。
電車に兄さんが乗って来た時から、かなり性質の悪い物に魅入られてるのが分かった。まともに相手したら、俺なんか直ぐに憑り殺されるだろ。兄貴だったら何とでもなると思うが、死んじまってるし、跡継ぎは役に立たねえ。
だから、初めの内は見なかったことにする気だったんだよ。兄さんはその男が原因だと思ってるけどな、本当におっかねえのはな、その男を憑り殺した奴なんだよ。
男が落ちたのも偶然の事故じゃねえ。兄さんの上に落ちて殺そうとしたんだよ。そうやってどんどん殺して取り込んで強くなる。ああなったら手が付けられねえ。何でもかんでも見境なく殺しやがる。そんな奴の気配が兄さんの周りにあったんだ。
だけどちょっと様子が妙だった。気配はするんだが、残りカスみてえなもんだ。気配を探ってくと、お守りさんが必死になって兄さんへの干渉を食い止めてるんだ。お守りさんは、そっちの相手をするのが精一杯で、変な男の相手をしてる暇がねえんだよ。それで、兄さんは変な男の影響をもろに受けちまった訳だ。
今のうちなら、その変な男を祓って、おっかねえ奴と兄さんとの縁を切っちまえばいい。これなら俺でも何とかなると思ったよ。それで、居眠りしてる兄さんを起こしたんだよ。助けられる者を見捨てるのは、気分の良いもんじゃねえからな」
俺が泣きながらポカンとしていると、
「言ってみりゃ、兄さんを捕まえようとしている化物がいる。必死にこっちへ手を伸ばしているんだが、障害物に隠れて良く分かってねえし、手もうまく突っ込めてねえ。手の指先に兄さんが引っ掛かってるんで、何とか掴もうとしてんだ。障害物が兄さんのお守りさんだ。指先が兄さんが見てる変な男。
縁て言うのは、兄さんがそこに居ると化物が知っている事って例えになるのかな。だから、障害物が壊れないうちに、指先をぶった斬って、兄さんを隠しちまえば良いんだ。そうすれば、化物もあきらめて次の獲物を見つけに行くよ。その位なら俺にもできるってことだ」
そう言われて、すごく納得した。
そして、爺さんの数珠を持たされて、爺さんの読経を二時間近く聞いた。
もう良いぞと言われた後、今後のことについて言われた。
「その数珠は、俺の親父の形見で大事なものだけど兄さんに貸す。肌身離さず持て。数珠を持っていれば、化物でも簡単にはわからんだろう。
化物と完全に縁が切れたかどうか調べるから、俺が良いと言うまで毎月ここに来い。そして、変な男に憑かれた場所には二度と近付いちゃならねえ。多分祓われた男は、あの死んだ場所に戻るだろう。
近くに必ず化物がいる。そこに近付いちまったら、数珠なんか効果は無い。今回は、化物も様子見みたいなもんで本気じゃなかったと思う。簡単に憑り殺せると思ったのが、思わぬ反撃をくらって、手を引っ込めた隙に逃げられた。
逃がした獲物が目の前に現れたら、間違いなく本気で来るぞ。そうなったら助けられない。助けるどころか兄さんを通して、必ず俺の所にも来る。皆死ぬんだよ。そして、縁が切れたら出来る限り今回の件は忘れろ。忘れるのが一番良いんだ」
爺さんから言い聞かされて帰った。
その日から男の夢は見なくなった。
正しく言えば見る事はある。しかし寝直せば見る事はないし、ごく偶にだ。
ずっと数珠は持ったままだ。寝る時は腕に付けて、更にセロハンテープで止めていた。
1週間後に会社も辞めた。実家に戻って零細企業だが就職も出来た。
そして、一ヶ月に一度爺さんの家に顔を出す。
先月になって、漸く爺さんの安全宣言が聞け、形見の数珠は返却した。
だけど、念のため爺さんが作った数珠を頂いた。
セロハンテープ止めまではしていないが、寝る時も腕に付けている。
もう来なくて良いと言われたが、俺は爺さんが死ぬまで通い続けるつもりだ。
(了)