知人から聞いた話だ
彼の家には昔から幽霊が出るという。
その幽霊はまるで現実のようにそこにいるが、手を伸ばすとすっと消えてしまう。喪服姿の中年女性が、玄関から入ってきて、廊下をひたひたと歩き、階段を上って二階へ消える。その姿を何度も目撃したが、その後忽然と姿を消す。家族はいつの間にか彼女の存在を受け入れ、道を開けて決して触れないようにしている。彼女に触れようとすると、高熱が出るからだ。
知人は一度、彼女のあとを追いかけてみた。
彼女は階段を上がり、廊下を進んで知人の部屋に入っていった。そして押し入れを開けて、中に消えた。知人が恐る恐る押し入れを開けてみると、彼女の姿はなかった。
「だから私、ずっと押し入れが怖くて」と知人は笑った。
「いつか、押し入れから彼女が出てきたらどうしようって、ひやひやしてるんですよ」
知人は今もその家に住んでおり、女性は今も時々訪ねてくるという。
このような怪奇現象が起きる家には、通常なにかしらの因縁があるものだ。だが、この家には一切そのようなものが見当たらない。土地も建物も、瑕疵はなにも見つからず、家主も対処のしようがないと嘆いていた。
東洋の古典に記された怨霊譚では、しばしば亡者の憑依する例が見られる。中には生前の恨みを晴らすため、子孫を呪って代々苦しめるものもいる。しかし、この家の事例はそうしたパターンとは異なっていた。
ある日、知人の父親が古いアルバムを整理していると、一枚の写真が目に留まった。
それは祖母の葬式の写真だったが、そこに写る喪服姿の女性が彼女に似ていたのだ。だが、家族にはそんな女性はいなかった。知人の家系図を調べてみても、そのような人物は見つからない。
写真の女性は一体誰なのか?
この謎を解くために知人はさらに調査を進めた。その結果、ある歴史的な出来事に辿り着いた。知人の家の土地は、かつて江戸時代の大名の屋敷があった場所で、その屋敷の一族が激しい内紛に巻き込まれたという記録があった。そして、その一族の一人が悲劇的な最期を遂げ、その魂が成仏できずに彷徨っているという伝説があった。
知人はこの話を家族に伝え、家族は彼女の霊を鎮めるために供養を行うことを決めた。しかし、その供養の儀式が終わっても、彼女の姿は依然として現れ続けた。
数ヶ月後
知人の家のリフォーム中に、古い押し入れの奥から一冊の古文書が発見された。その内容は驚くべきものだった。それは江戸時代の家族の日記であり、そこには一族の内紛の詳細が記されていた。日記の最後には、一人の女性が喪服姿で描かれており、彼女が家族の争いを止めようとしたが果たせず、そのまま悲劇的な死を遂げたことが記されていた。
日記を読んだ知人は、喪服姿の女性がその女性の霊であることを確信した。彼女は家族を守ろうとしたが、それが叶わなかったため、その思いが残ってこの世に留まっているのだろうと考えた。
数年後、知人の家で火災が発生した。
家財道具は大半が焼失したが、不思議なことに押し入れだけが無事だったという。そして灰燼の中から、ある古い年代記が見つかった。
そこには、かつてこの土地に住んでいた農家の主人が、妻の不実を知り、酔って彼女を押し入れに閉じ込めて火を付けたという記述があった。妻の亡骸はすっかり焼け爛れ、跡形もなくなったと書かれていた。
一同は腰を抜かした。知人の家に出るのは、この農家の主人に焼き殺された妻の怨霊だったのだ。それが今も、自らの死に場所である押し入れを執拗に訪れていたのである。遺体が消失した押し入れでは、彼女の慟哭が時折聞こえると伝えられている。
これらの発見から、謎が決着したかに思われた。だが、なぜか喪服の女性は知人の家に住み続け、部屋の押し入れに出没し続けた。そのため、知人は最終的にこの家を手放すことを決意する。
知人は引っ越すことを決めた。
新しい家に移ることで、彼女の霊が成仏できるのではないかと思ったからだ。
新居に移った後、しばらくは何事もなく平穏な日々が続いた。しかし、ある夜、玄関のチャイムが鳴った。誰も来る予定はなかったが、玄関を開けると、そこには喪服姿の女性が立っていた。
彼女は一瞬、微笑んだように見えたが、次の瞬間には消えていた。その後、知人は再び彼女の姿を見ることはなかった。新しい家に移ったことで、彼女の霊もようやく安らぎを得たのだろうか。知人はそう信じた。
しかし、知人が再びその家に足を踏み入れることはなかった。なぜなら、新しい住人から「喪服姿の女性が時々現れる」という話を聞いたからだ。知人はその話を聞いて背筋が凍ったが、自分にはもうどうすることもできないと感じた。
ただ、彼女が今度こそ安らぎを得られることを祈るばかりだった。
(了)