これは、下請けの現場で時々一緒になる知り合いのコウさん(仮名)から聞いた話だ。
コウさんは、45歳くらいの男で、嫁に子ども二人、さらに愛人が一人半。愛人が「一人半」というのは、どうやら相手がコウさんに微妙に気持ちを寄せている程度だかららしい。
そんなコウさんは真冬でもランニング姿で汗を流して働くワイルドな男だが、なぜか嫁の前ではまったく頭が上がらない。普段から「おっさんの中のおっさん」らしい態度なのに、嫁の前では腰を低くしている姿が哀れを誘う。
ある日、現場の待ち時間にコウさんが近寄ってきて「おまえ、怖い話が好きらしいな?」と言ってきた。「それやったら、15年ほど前に気味の悪いもんを見たことがある」と話し始めた。
コウさんが話し出したのは、15年前の夏のことだ。その頃、彼は山中の谷で砂防ダムの工事をしていた。仕事を終えて現場事務所に戻り、車で帰宅しようとしたところで、重要なことを思い出した。昼間、重機のバックホウの中に弁当箱を忘れてきてしまったのだ。
「嫁に弁当箱を置き忘れたなんて知られたら、アホと呼ばれて怒られる。次の日に弁当なし、さらに二日越しの弁当箱を自分で洗わされる羽目になる」そう思ったコウさんは、急いで弁当箱を取りに工事現場まで戻ることにした。
既に現場は真っ暗だった。バックホウの影が砂防ダムの向こう側にぼんやりと見える。その時だった。暗闇の中、突然「バシャッ、バシャッ」と水を叩くような音が聞こえた。音の方向はダムの上流側のようだ。素面の時は少々ビビりなコウさんだが、「嫁に怒られる恐怖」がそれに勝った。恐る恐る音のする方へ歩みを進めた。
そのダムの上流側には、水をせき止めるための土のうが積まれていて、工事中のせいでその向こう側には水が溜まり、まるで池のようになっている。音はその池の方からしていた。
次の瞬間、コウさんは思わず息を飲んだ。土のうの上に、人のようなものが立っていたのだ。全身に模様があり、毛は一切なくスキンヘッド。そして全裸だった。そいつは、手に持った棒きれで水面を叩いていた。
「ヤ、ヤクザが魚を採っている…!」コウさんはなぜかそう思い込んだ。田舎の山奥で、真っ暗な中、スキンヘッドの人間が全裸で水を叩いているという異様な光景に、恐怖というよりも「何かに触れてはならないもの」を見た気分になったのだ。しかしその奇妙な光景に目を奪われ、動くことができないでいた。
しかし好奇心がむくむくと湧き上がってくる。棒を水面に叩きつけているその奇妙な行動が、どうにも気になって仕方がない。やがて、コウさんは音のする方に目を戻した。
水面には、猿や鹿の死体が浮かんでいた。闇の中、黒く腐敗しかけたような死体が水に浮かび、静かに揺れている。ヤクザのような人影はその死体に棒を叩きつけ、さらにその棒を舐めるような仕草も見せていた。
「うわああああ!」声を抑えることもできず、思わず叫んでしまったコウさん。その瞬間、奇妙な人影はピタリと動きを止め、ゆっくりとこちらを向いた。目が合った瞬間、全身の血が凍りつく感覚に襲われた。
その人物は棒を捨てると、土のうの上を勢いよくこちらに向かって飛び跳ねてきた。目は異様に見開き、口から「なああああ!なああああ!」と何とも言えない声を発しながら手を振り回している。コウさんは訳が分からぬまま、恐怖のままに自分の車に向かって全力で走った。
「うわあああああああ!!」叫びながら車に飛び乗ると、コウさんはそのまま現場の道を猛スピードでバックして走り抜けた。国道に出ても振り返る余裕などなく、バックで車を爆走させた。そのまま現場事務所の駐車場に飛び込み、夜勤の監督に訳も分からず、何か異常なことが起こったと伝えただけで、家まで逃げ帰った。
翌日、コウさんはその現場に二度と戻らなかった。現場に行くどころか、会社ごと辞めてしまったのだ。
「で、その後どうなったんですか?」と聞いてみたが、コウさんは「知らんがな、あんな気色の悪いとこ、二度と行けるかい」と素っ気ない返事だった。
「結末が分からないのって、ちょっと中途半端な感じがしません?」と言うと、コウさんは「アホか。何が中途半端やねん、ホンマ大変やってんぞ」と険しい顔で答えた。結局、弁当箱を持って帰らなかったせいで嫁に叱られ、新しい弁当箱を買ってもらえず、しばらくはタッパーを弁当箱代わりに使っていたのだそうだ。
結末はその程度のものだったが、コウさんの表情から、あの夜の体験が彼にとってどれだけ異常で恐怖を感じさせたものだったのかは伝わってきた。しかし、やはり何かが腑に落ちない。
あれは一体、何だったのだろうか。
[出典:304 名前:ノブオ ◆x.v8new4BM [sage] :04/10/01 19:58:18 ID:pUeNCmB3]