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雪村君【ゆっくり朗読】2100

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私が小学校六年生だった頃の話だ。

その年の冬、太平洋に近い街に雪が降り、幾年かぶりに、数十センチ積もった。

朝起きると、窓の外の景色がいつもと違う。例年にない積雪に大人たちは迷惑がっていたが、子供たちはほとんど生まれて初めての真っ白な世界に胸を躍らせ、私を含め、実際小躍りした。

その証拠に、私が普段より三十分早く学校に着くと、すでに校庭には多くの生徒の姿があった。

その日、一時間目が体育の授業だったのだが、せっかく雪があるからということで、校庭の雪をかき集めて雪だるまを作ることになりクラスの総力を挙げた結果、子供たちより背の高い巨大な横綱が完成した。

頭にはちゃんとポリバケツを被せてあり、両腕は木の枝。

右手はぼろぼろの軍手で左手は赤い手袋。

花は黄色いお菓子の空き箱で、銀色の両目は、空き缶を逆さに埋め込み、さらに口には青色のホイッスルを咥えさせた。

吹く穴に細い枝を差し込み、それでもって固定するというやり方だ。

胸の三つのボタンは、色の違うペットボトルの蓋で、花の形をした名札も着けた。

これもまず木の枝に名札を固定し、取れにくいよう胸のあたりに差し込んだ。

彼は、『雪村君』 と名付けられた。

名付け親は忘れたが、雪だるまは名前を付けると溶けにくくなるのだ、と誰かが話していたのは覚えている。

笛と頭のポリバケツと名前以外は、全部裏山やグラウンドの周辺に落ちていたものだったが、皆、その出来栄えには満足げだった。

雪村君は、ここなら日蔭の時間が長く溶けにくいという理由で、校舎とグラウンドの間、花壇の脇に安置された。完成を機に、せっかくということで、先生がカメラを持って来て、雪村君を囲んで皆で記念撮影をした。

昼休み、校庭に遊びに出た際、何気なく雪村君を見やると、銀色の両目玉にそれぞれ赤と青の小さなマグネットがくっつけてあった。

誰かが教室の黒板からとって来たのだろう。

さらに口元が、チョークの粉だろうか、赤く色付けされていた。にんまりと笑っている。

そう言えば眉毛が無いなと思った私は、足元にあった落ち葉を二枚拾うと、背伸びをして彼の目の上に押し込んだ。

離れて眺めてみると、それまでただ笑っていた雪村君が、私のせいで少し困ったような笑みになっていた。

その日の夜の天気予報では雪はもう降らないが、寒気はまだ居座り、最低気温が氷点下の日が何日かあるだろうとのことだった。

翌日登校すると、雪村君がその首にマフラーを巻いていた。

親切な誰かが家かお古を持って来たのか。これが昔話だったら、後日その親切な誰かの家には米俵が届けられていたところだ。

「あれ?」

つい先ほど、校門前で一緒になった友達が言った。

「なあなあ、雪村君、ちょっと動いとらん?」

確かによく見ると、昨日彼が立っていた位置と、若干違っているようにも見える。もっと校舎から離れてはいなかったか。今は、ほとんど壁にもたれかかっている格好だ。

ただ今の位置の方が日差しを逃れやすい。親切な誰かが、マフラーを掛けてあげたついでに、より日陰の方へ移動させたのかもしれない。と私が言うと、友達も納得したようだった。

私としては、彼が昨日よりも少し太って見えることの方が気になっていたのだが、頭の重さで横に膨らんだのだと、自分を納得させた。

数日経ち、校舎の周りに積もっていた雪がすっかり溶けてしまった後も、雪村君は元気にずんぐり太っていた。

その頃には、雪村君が日陰を求めて移動するということは周知の事実になっていた。

具体的に言えば、東から西へ移動する太陽の動きに合わせて、校舎の陰から出ないように少しずつ身体を移動させるのだ。

ついでに言えば、雪村君が居るのは丁度二階の私たちのクラスの真下であるため、窓か少し顔を出せば、彼の頭頂部を眺めることができる。

一度、誰が雪村君を移動させているのか確かめようと思い、窓際の席の友人に頼んで、一日中それとなく監視してもらったのだが、犯人を突き止めるには至らなかった。

といってもそんなことを気にしていたのはほとんど私一人で、見張りを頼んだ友人にしても、「たぶん、用務員の人じゃないかな」と、まるで興味無さげだった。

こんな事件もあった。
昼休み中、下級生が悪戯で雪村君の所までホースを伸ばし、水をかけようとしたのだ。

教室に居残っていた友達数人がいち早く気づき、事件は未遂に終わった。

ただ、彼らが雪村君の危機に気付いた理由は、偶然窓の下を見たから、ではなく、「笛の音がしたから」というものだった。

もちろん、『ただの木枯らし説』 も有力ではあったが、一応クラス内では、『雪村君が笛で助けを呼んだ説』 で落ち着いた。

そんな雪村君殺人未遂事件があってからというもの、何となくクラスの一部に、ふとした折にはちらと外に居る彼の様子を気遣うような、そんな雰囲気が生まれていた。

また数日が経った。

天気予報によれば、寒気の峠は過ぎたとのこと。

太陽の光がどことなく暖かく感じられようになっていた。

雪村君に関しては、明らかに一回り小さくなった。

顔が傾き、小首をかしげているようにも見える。

以前は固く閉まっていた雪も若干ゆるくなり、その日わたしが登校すると、ボタンが一つ外れ、片方の眉が剃られ、目玉の空き缶が数センチ浮き出し、鼻はもげてなくなっていた。

さすがに憐れに思い、顔が崩れないように目玉を押し込み、新たな鼻は花壇にあった石で見繕ってやった。

作業が済むと、ふと、雪村君の目が私を見つめていることに気が付いた。

直している最中に偶然そうなったのか。

チョークの口紅はほとんど消えていたが、笛を咥えた口元は、まだうっすらと微笑んでいた。

ちなみにその日、用務員さんと話す機会があったので訊いてみたら、自分は雪だるまを動かしたことはない、とのことだった。

友人に話してみたところ、「ふーん」と言われただけだった。

雪村君は相変わらず、陽のあたる場所には出ようとしない。

それでもゆっくりと、着実に、彼の体は溶けていた。

さらに追い討ちをかけるように、土曜と日曜、二日続けて雨が降った。

これで雪村君の命運も尽きただろう。と誰もが思ったはずだが、月曜になって来てみると、彼は依然そこで生きており、その頭の上には大きなビーチパラソルがさしてあった。

ただ、今回の犯人はすぐに知れた。

校長だった。

けれども、校長自身も傘をさしたはいいものの、雪村君が週末を乗り切れるとは思っていなかったようだ。

それから数日、彼は生きていた。

数えてみれば生後半月を越えていて、南国生まれの雪だるまとしては、驚異的な長寿だろう。

温かく晴れた日の、二時間目、国語の授業中。

窓の外、校舎のすぐ傍で、笛の音がした。

クラス中が何となしに顔を見合わせ、担任もふと板書の手を止めた。

まず、窓際の列の生徒たちが、首を伸ばして外を見やった。

誰かが、「あ」と声を上げた。

教室内がざわめく。担任も含め、誰もが身を乗り出し、席を立ち、窓の方へと集まって来ていた。

グラウンドに、雪村君が居た。

いつも校舎の陰に隠れていたに彼が、何故、どうやってあそこまで移動したのか、未だ謎のままである。

校長が怪しいという話もあったが、謎のままである。
私たちの教室の真下からグラウンドまで、まるでナメクジが這った跡のように、雪の欠片が尾を引いていた。

彼の身体はもはや原形をとどめておらず、直に当たる太陽の熱のせいかほとんど融解しかかっていた。

そのほとんど溶けかかった身体の上に、何とか形を保った頭がへばりついている。

形としては、目玉焼きに近い。

雪村君は、まっすぐ私たちの教室を見つめていた。

片腕が、溶けかかっているにしては不自然な程まっすぐ空に伸びており、何だか別れの挨拶をしているようにも見える。

動機はそれぞれだろうが、気づくと皆、教室を飛び出していた。

グラウンドに着くと、彼の身体はさらに崩れていており、先程空に伸びていた手は力なく倒れていた。

鼻と片目とボタン全部とマフラーは移動中に落としたらしく、バケツがまだ頭に乗っかっていることが奇跡的に思える。

クラスの全員がそろったところで、雪村君の残った右目の辺りの雪がごそっと崩れ、空き缶がグラウンドの上に転がった。

担任が何かつぶやき、目を閉じ手を合わせた。

クラスの三分の一くらいが、それに倣った。

その後、残りの国語の時間は、雪村君の残骸処理にあてられた。

私がスコップで彼の頭だった部分の雪をすくっていると、雪に埋もれて、小さな茶色の物体が出てきた。

手に取ってみると、クルミだった。
顔のパーツに使ったわけではなく、もしかしたら雪村君誕生の際、雪を転がして大きくしている最中に紛れ込んだのかもしれない。

空にかざして眺めていると、一人の友人が傍にやって来て、同じようにクルミの実を見やった。

「頭から、こんなん出てきた」

私が言うと、彼は格別興味もなさそうに、「ふーん」と呟いてから、「人の脳に似てるね」と言った。

正直何言ってんだこいつと思ったが、確かに形といいその皺だらけの表面といい、人間の脳に似ていなくもなかった。

グラウンド上の死骸はあっさりと片づけられた。

かつて雪村君だった雪は全て排水溝に流され、ゴミはちゃんと分別して捨てられ、それ以外のパーツは元あった場所に戻された。

ただ、彼の名札は教室の後ろにピンでとめられ、私たちが卒業するまで、そこにあった。

雪村君が生まれた日、皆で撮った写真は、卒業アルバムに収録されている。

写真の中の雪村君は、生徒たちと同じように両手でピースサインをしているのだが。

たまに同窓会などで集まると、あの時雪村君にピースをさせたのは誰か、ということが話題になったりする。

もちろん誰も自分ではないと言うし、こればかりは用務員のおじさんでも校長でもないだろうし、未だ犯人は謎のままである。

(了)

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