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中編 師匠シリーズ

師匠シリーズ 008話~012話 奇形・歩くさん・壷 他

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008 師匠シリーズ『奇形』

俺にはオカルト道の師匠がいるのだが、やはり彼なりの霊の捉え方があって、しばしば『霊とはこういうもの』と講釈をしてくれた。

師匠曰く、ほとんどの霊体は自分が死んでいることをよくわかっていない。

事故現場などにとどまって未だに助けを求めているやつもいれば、生前の生活行動を愚直に繰り返そうとするやつもいる。

そういうやつは、普通の人間が怖がるものはやっぱり怖いのさ。

ヤクザも怖ければ獰猛な犬も怖い。キチガイも。

怒鳴ってやるだけで可哀相なくらいびびるやつもいる。

問題は恫喝にもびびらないやつ。

自分が死んでいることを理解しているやつには関わらない方がいい。

といったことなどをよく言っていたが、これは納得できる話だしよく聞く話だ。

しかし、ある時教えてくれたことは、師匠以外の人から聞いたことがなく、未だにそれに類する話も聞いたことがない。

俺の無知のせいかもしれないが、このスレの人たちはどう思うだろうか。

大学二年の夏ごろ、俺は変わったものを立て続けに見た。

最初は初めて行ったパチンコ屋で、パチンココーナーをウロウロしていると、ある台に座るオッサンの異様に思わず立ち止まった。

下唇が異常なほど腫れあがって垂れ下がっている。ほとんど胸に付くくらいボテっと。

そういう病気の人もいるんだなあと思い立ち去ったが、その次の日のこと。

街に出るのにバスに乗り、乗車口正面の席に座ってぼうっとしていると、前の席に座る人の手の指が多いことに気付いた。

肘掛に乗せている手の指がどう数えても6本あるのだ。

左端に親指があるのはいいのだが、反対の端っこに大きな指がもう一本生えている。多指症というやつだろうか。

その人は俺より先に降りて行ったが、他の誰もジロジロ見ている気配はなかった。

気付かないのかと思ったが、あとで自分の思慮のなさに思い至った。

そしてまた次の日、今度は小人を見た。

これもパチンコ屋だが、子供がチョロチョロしてるなあと思ったら、顔を見ると中年だった。

男か女かよくわからない独特の顔立ちで、甲高い声で「出ないぞ」みたいなことを言っていた。

足も曲がってるせいかかなり小さい。背の低い俺の胸までもないくらい。

今度はあまりジロジロ見なかったが、奇形を見るのが立て続いたので、そういうこともあるんだなあと不思議な気持ちになった。

このことを師匠に話すと、喜ぶと思いきや難しい顔をした。

師匠は俺を怖がらせるのが好きなので、『祟られてるぞ』とか無責任なことを言いそうなものだったが。

暫く考えて師匠は、両手を変な形に合わせてから口を開いた。

「一度見ると、しばらくはまた他人を注意して見るようになる。そういうこともあるさ。蓋然性の問題だね。ただ、さっきの話でひとつおかしいところがある」

「乗車口正面の席は右手側に窓があるね」

何を言い出すのかと思ったが頷いた。

「当然その前の席も同じだ。さて、君が見た肘掛に乗せた手は、右手でしょうか、左手でしょうか」
意味がわからなかったので首を振った。

「窓際に肘掛があるバスもあるけど、君によく見え、また他の人が気づかないのを不思議に思うという状況からして、その肘掛は通路側だ。ということは、親指が左側にあってはよくないね」

あっと思った。

「左手が乗ってなきゃいけないのに、乗っていたのはまるで右手だね。6本あったことだけじゃなく、そこにも気付くはずだ。聞いただけの僕にもあった違和感が、ジロジロ見ていた君にないのはおかしい」

これから恐ろしいことを聞くような気がして冷や汗が流れた。

「他の2つの話では、女なのか男なのか容姿に触れた部分があったけど、バスの話では無い。席を立ったのだから見ているはずなのに。見えているものの記憶がはっきりしない。君はあやふやな部分を無意識に隠し、それをただの奇形だと思おうとしている。もう一度聞くが、それをジロジロ見ていたのは君だけなんだね?」

師匠は組んだ手を掲げた。

「いいかい。利き腕を出して。君は右だね。掌を下にして。その手の上に左の掌を下にしてかぶせて。親指以外が重なるように。そうそう。左の中指が右の薬指に重なるくらいの感じ。左が気持ち下目かな。残りの指も、長さが合わなくても重なるように。すると指は6本になるね」

これはやってみてほしい。

「親指が2本になり、左右対象になったわけだ。どんな感じ?」

不思議な感覚だ。落ち着くというか、安心するというか、普通に両手を合わせるよりも一体感がある。

そのまま上下左右に動かすと特に感じる。

「これは人間が潜在意識のなかで望んでいる掌の形だよ。左右対象で、両脇の親指が均等な力で物を掴む。僕はこんな『親指が二本ある幽霊』を、何度か見たことがある」

「あれは俺だけに見えていた霊だったと?」

「多分ね。たまにいるんだよ。生前のそのままの姿でウロつく霊もいれば、より落ちつくように、不安定な自分を保とうとするように、 両手とも利き腕になっていたり、左右対象の6本指になっていたり…… 本人も無意識の内に変形しているヤツが」

師匠はそう言って、擬似6本指で俺にアイアンクローを掛けてきた。

不思議な話だった。

そんな話は寡聞にして聞いたことがない。両手とも利き腕だとか……

怪談本の類はかなり読んだけど、そういうことに触れている本にはお目にかかったことが無い。

師匠のはったりなのか、それとも俺の知らない世界の道理なのか。

今は知りようもない。

009 師匠シリーズ『歩くさん』

僕の畏敬していた先輩の彼女は変な人だった。

先輩は僕のオカルト道の師匠であったが、彼曰く「俺よりすごい」

仮に歩くさんとするが、学部はたしか文学部で、学科は忘れてしまった。

大学に入ったはじめの頃に、歩くさんとサークルBOXで2人きりになったことがあった。

美人ではあるが表情にとぼしくて、何を考えているかわからない人だったので、僕ははっきりこの人が苦手だった。

ノートパソコンで何か書いていたかと思うと、急に顔を上げて変なことを言った。

「文字がね、口に入ってくるのよ」

ハア?

「時々夜文章書いてると、書いた文字が浮き上がって、私の口に入りこんでくるのよ」

「は、はあ」

な、何?この人。

「わかる?それが止らないのね。書いた分より多いのよ。いつまでも口に入りつづけるのよ。そのあいだ口を閉じられないの。私はそれが一番怖い」

真剣な顔をして言うのだ。

当時は電波なんて言葉は流通してなかったが、モロに電波だった。

しかし、ただのキチ○ガイでもなかった。

頭は半端じゃなく切れた。師匠がやり込められるのを度々見ることがあった。

歩くさんはカンも鋭くて、バスが遅れることを言い当てたり、「テレビのチャンネルを変えろ」というので変えると、巨人の松井がホームランを打つところだったりしたことがしばしばだった。

ある時、師匠になにげなく「歩くさんってなんなんですかねー」と言ってみると、

「エドガーケイシーって知ってるか?」と言う。

「もちろん知ってますよ。予知夢だか催眠状態だかで色々言い当てる人でしょ」

「それ。たぶん、歩くも」

「どういうことですか」

「あいつの寝てるところを見せてやりてえよ。怖いぞ」

どう怖いのかよくわからなかったが、はぐらかされた。

「エドガーケイシーはちょっと専門外だが、やつみたいな後天的ショックじゃなく、歩くはおそらく先天的な体質だ」

「予知夢見るわけですか?」

「よく分らん。起きてるのかどうかも分らん。ただ、あたりもするし外れもする。お前が金縛り中にみるっていう擬似体験に近いのかもしれん」

僕は金縛り中に『起きたつもりがまたベットの中』という、わりによく聞く現象にしばしばあっていたのだが、それが時に長時間、ひどい時は丸1日生活したあげく巻き戻るということがあり、自分でも高校時代に金縛りノートを作って研究していた。

師匠がそのノートをやたら気に入り、くれくれうるさいのであげてしまっていた。

今思うと、歩くさんの体質を調べる資料として欲しがったのではないだろうか。

「先輩は歩くさんを一人じめしてるわけですか」

師匠はニヤっと笑って、懐からフロッピーを出して振ってみせた。

それはタイミングが良すぎたのでたぶんハッタリだが、師匠がなんらかの形で歩くさんファイルみたいなものを作っていたのは間違いない。

そんなことよりも僕がぞっとしたのは、歩くさんが卒業する時、『洪水に気をつけろ』みたいなことを僕に言ったことだ。

そのことをすっかり忘れていたが、僕は就職に失敗して今田舎に帰っているのだが、実家はモロに南海大地震が来たら水没しかねない立地条件にあるのだ。

次の南海地震の死者は県内で最大3万人と最近の推計が出ている。

勘弁してくれ。マジで怖い。あと何年で来るんだよー。メソメソ

010 師匠シリーズ「壺」

これは俺の体験の中で最も恐ろしかった話だ。

大学1年の秋頃、俺のオカルト道の師匠はスランプに陥っていた。

やる気がないというか、勘が冴えないというか。

俺が「心霊スポットでも連れて行ってくださいよ~」と言っても上の空で、たまにポケットから1円玉を4枚ほど出したかとおもうと手の甲の上で振って、

「駄目。卦(け)が悪い」とかぶつぶつ言っては寝転がる始末だった。

それがある時、急に「手相を見せろ」と手を掴んできた。

「こりゃ悪い。悪すぎて僕にはわかんない。気になるよね?ね?」

勝手なことを言えるものだ。

「じゃ、行こう行こう」

無理やりだったが、師匠のやる気が出るのは嬉しかった。

どこに行くとは言ってくれなかったが、俺は師匠に付いて電車に乗った。

着いたのは隣の県の中核都市の駅だった。

駅を出て、駅前のアーケード街をずんずん歩いて行った。

商店街の一画に、『手相』という手書きの紙を台の上に乗せて座っているおじさんがいた。

師匠は親しげに話しかけ、「僕の親戚」だという。

宗芳と名乗った手相見師は、「あれを見に来たな」と言うと不機嫌そうな顔をしていた。
宗芳さんは地元では名の売れた人で、浅野八郎の系列ということだった。

俺はよくわからないままとりあえず手相を見てもらったが、女難の相が出てること以外は特に悪いことも言われなかった。

金星環という人差し指と中指の間から小指まで伸びる半円が、強く出ていると言われたのが嬉しかった。

芸術家の相だそうな。

「先輩は見てもらわないんですか?」と言うと、宗芳さんは師匠を睨んで「見んでもわかる。死相がでとる」。

師匠はへへへと笑うだけだった。

夜の店じまいまできっかり待たされて、宗芳さんの家に連れて行ってもらった。大きな日本家屋だった。

手相見師は道楽らしかった。

晩御飯のご相伴にあずかり、泊まって行けと言うので俺は風呂を借りた。

風呂から出ると、師匠がやってきて「一緒に来い」と言う。

敷地の裏手にあった土蔵に向かうと、宗芳さんが待っていた。

「確かにお前には見る権利があるが、感心せんな」

師匠は「硬いことを言うなよ」と、土蔵の中へ入って行った。

土蔵の奥に下へ続く梯子のような階段があり、俺たちはそれを降りた。今回の師匠の目的らしい。

俺はドキドキした。師匠の目が輝いているからだ。

こういう時はヤバイものに必ず出会う。

思ったより長く、まるまる地下二階くらいまで降りた先には、畳敷きの地下室があった。
黄色いランプ灯が天井に掛かっている。

六畳ぐらいの広さに壁は土が剥き出しで、畳もすぐ下は土のようだった。

もともとは自家製の防空壕だったとあとで教わった。

部屋の隅に異様なものがあった。

それは巨大な壷だった。俺の胸ほどの高さに抱えきれない横幅。

しかも見なれた磁器や陶器でなく、縄目がついた素焼きの壷だ。

「これって、縄文土器じゃないんスか?」

宗芳さんが首を振った。

「いや、弥生式だな。穀物を貯蔵するための器だ」

そんなものが何でここにあるんだ?と当然思った。

師匠は壷に近づくと、まじまじと眺めはじめた。

「これはあれの祖父がな、戦時中のどさくさでくすねてきたものだ」

宗芳さんは俺でも知っている遺跡の名前をあげた。

その時、師匠が口を開いた。

「これが穀物を貯蔵してたって?」

笑ってるようだ。

黄色い灯りの下でさえ、壷は生気がないような暗い色をしていた。

宗芳さんが唸った。

「あれの祖父はな、この壷は人骨を納めていたという」

「見えると言うんだ。壷の口から覗くと、死者の顔が」

俺は震えた。

秋とはいえまだ初秋だ。肌寒さには遠いはずが、寒気に襲われた。

「ときに壷から死者が這い上がって来るという。死者は部屋に満ち、土蔵に満ち、外から閂をかけると、町中に響く声で泣くのだという」
俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。

くらくらする。頭の中を蝿の群れが飛び回っているようだ。

鼻をつく饐えた匂いが漂い始めた。

まずい。この壷はまずい。霊体験はこれでもかなりしてきた。その経験がいう。

師匠は壷の口を覗き込んでいた。

「来たよ。這いあがって来てる。這いあがれ。這いあがれ」

目が爛々と輝いている。

耳鳴りだ。蝿の群れのような。

今までにないほどの凄まじい耳鳴りがしている。

バチンと音がして灯りが消えた。消える瞬間に、青白い燐が壷から立つのが確かに見えた。

「いかん、外に出るぞ」

宗芳さんが慌てて言った。

「見ろよ!こいつらは2千年経ってもまだこの中にいるんだよ!」

宗芳さんは喚く師匠を抱えた。

「こいつら人を食ってやがったんだ!これが僕らの原罪だ!」

俺は腰が抜けたようだった。

「ここに来い。僕の弟子なら見ろ。覗き込め。この闇を見ろ。此岸の闇は底無しだ。あの世なんて救いはないのさ。食人の、共食いの業だ!僕はこれを見るたびに確信する!人間はその本質から、生きる資格のないクソだと!」

俺はめったやたらに梯子を上り逃げた。

宗芳さんは師匠を引っ張り出し土蔵を締めると、「今日はもう寝て明日帰れ」と言った。
その夜、一晩中強い風が吹き俺は耳を塞いで眠った。

その事件のあと、師匠は元気とやる気を取り戻したが、俺は複雑な気持ちになった。

 

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011 師匠シリーズ「人は死ぬとどうなる?」

大学時代よく散歩をした公園にはハトがたくさんいた。

舗装された道に一体なにがそんなに落ちているのか、やたら歩き回っては地面をくちばしでつついて行く。

なかでもよく俺が腰掛けてぼーっとしていたベンチの近くに、いつもハトが群れをなしている一角があった。

何羽ものハトがしきりに地面をつついては何かをついばんでいる。

このベンチに座って弁当の残りカスでも投げている人でもいるんだろうと思っていた。

2回生の春。

サークルの新入生歓迎コンパを兼ね、その公園の芝生に陣取って花見をした。綺麗な桜が咲いていた。

別に変なサークルではなかったが、ひとりオカルトの神のような先輩がいて、俺は師匠と呼んで慕ったり見下したりしていた。

その師匠がめずらしく酔っ払ってダウンしていた。

誰かがビール片手に、「最初に桜の下には死体が埋まってるって言ったのは、誰なんだろうなあ」と言った。

すると師匠がムクっと起き上がって、「桜の下に埋まってる幸せなヤツばかりとは限るまい」と、ろれつの回らない舌でまくしたてた。

すぐに他の先輩たちが師匠を取り押さえた。暴走させると新入生がヒクからだ。俺は少し残念だった。

「ちょっと休ませてきますよ」と言って、いつも座っているベンチまで連れて行き横にならせた。

しばらくしてから水を持って隣に腰掛けた。

「さっきはなにを言おうとしたんです?」

師匠は荒い息を吐きながら、「そこ、ハトがいるだろ」と指をさした。

ふと見ると、すでに日が落ちて暗い公園の中に、ハトらしい影がうごめいていた。

一斉にハトたちは顔を上げて、小さなふたつの光がたくさんこちらを見た。

「おまえに大事なことを教えてやろう」

酔っているせいか、師匠がいつもと違う口調で俺に話しかけた。思わず身構える。

「いや、前にも言ったかな……人間が死んだらどこへ行くと思う?」

「はぁ?あの世ですか」

師匠は深いため息をついた。

「どこにも行けないんだよ。無くなるか、そこに在るかだ」

よくわからない。

師匠はいろいろなことを教えてくれはするが、こんな哲学的なというか、宗教がかったことをいうのは珍しかった。

「だから、隣にいるんだ」

人間にとっての幽霊とか、そういうもののことを言っているのだと気づくまで、少し時間がかかった。

「そこでハトに食われてるヤツだって、無くなるまで在って、それで、終わりだ」

え?目をこすったがなにも見えない。

「すごく弱いやつだ。もう消えかかってる。ハトはなにを食ってるか分かってないけど、食われてる方は『食われたら無くなる』って思ってる。だから消える」

「わかりません」

「たいていの鳥は、普通にヒトの霊魂が見えるんだぜ」

と師匠はつぶやいた。いつもハトが集まっていたところで、むかし人が死んだと言うんだろうか。

「ほんの少し離れてるだけなのになあ。ハトに食われるより桜に食われた方がマシだ」

酒くさいため息をつきながらそう言ったきり師匠は黙った。

芝生の向こうではバカ騒ぎが続いている。

「師匠は、自分が死ぬときのことを考えたことがありますか」

いつも聞きたくてなんとなく聞けなかったことを口にした。

「おんなじさ。とんでもない悪霊になって、無くなるまで在って、それで、終わり」

ワンステップ多かったが、俺は流した。

012 師匠シリーズ「月の湧く沢」

大学2年の夏休みに、知り合いの田舎へついて行った。

師匠と仰ぐオカルト好きの先輩のだ。

師匠はそこで何か薄気味の悪いものを探しているようだったが、俺は特にすることがなくて、妙に居心地の悪い師匠の親戚の家にはあまり居ず、毎日なにもない山の中でひたすら暇をつぶしていた。

4日目の夜は満月だった。

晩御飯を居候先で食べ終えた俺は、さっそくどこかに消えた師匠を放っておいて、居づらいその家から散歩に出た。

特にあてもなく散策していると、ふと通りがかった場所でかすかな違和感を覚えて立ち止まった。

やや奥まった山中とはいえ月明かりに照らされていて、昨日も一昨日も通りがかった小さな沢なのだが……

枯れ沢だったはずが、今は不思議なことにキラキラと光が揺れいてる。

近くに寄ってみると、確かに昨日まで枯れていた沢に水が湧いていて、綺麗な月が水面に映っていた。

このところ雨も降っていないのになァ……と首をかしげながら居候先の家に帰ると、師匠も帰ってきていた。

さっそくそのことを話すと、「それは月の湧く沢だよ」と言う。

どうやらこのあたりでは有名な沢で、普段は枯れているが満月の夜にだけ湧き水で溢れるのだという。

どうしてそんな不思議なことが起こるんだろうと思っていると、師匠はあっさりと言った。

「この村から標高で300メートルくらい下がったところにダム湖があるんだけど、たぶんそのせいだと思う。あれが出来てから、湧き水の場所も随分変わったと年寄りは言ってる。地下水脈の流れが変わったんだよ」

しかし、湧いたり枯れたりというのは変な気がする。しかも満月の夜にだけ湧くというのは出来すぎている。

ところが「潮汐力だよ」と、またも師匠はあっさり言った。

月の引力が地球に与える影響はわずかなものだが、液体である海などはモロにその影響を受ける。

潮の満ち干きがその代表で、その力を『潮汐力』と呼ぶ。

そして満月の日はその力が最大になり、大規模なダム湖もまたその影響を受けたのではないかと、師匠は言うのである。

「湖水のわずかな圧力の変化が、ダム湖に流れ込む地下水への圧力の変化となり、湧き水に微妙な影響を与えたんじゃないかな」

「なるほど」

ひっかかるところもあったとはいえ、俺はその答えに素直に感心した。

「ただね、この村ではあの沢はあくまでも『月の湧く沢』であって、そんな無粋な構造によるものじゃない。こんな言い伝えがあるんだ。『あの沢に湧いた月を飲んだ者には霊力が宿る』」

ロマンティックな話だ。

でも、霊力という響きに不吉なものを感じたのも確かだ。

案の定、師匠は言った。

「じゃ、行こうか」

暗がりの中を、懐中電灯をしぼって俺たちは進んだ。

沢はそんなに遠くない。

よそ者の二人がこんな時間にこそこそ出歩いているのを見られたら、ますます居づらくなりそうだったが、幸い誰ともすれ違わなかった。

沢に着くと俺はほっとした。

ひょっとすると幻のように水が消えているのではないか、という気がしていたのだ。

山の斜面に寄り添うような水面に、満月がゆらゆらと揺れている。

師匠は沢の淵に屈みこんで、目を爛々とさせながら眼下の月を見ている。

俺は『潮汐力だよ』と言った師匠の答えに抱いた、ひっかかりのことを考えていた。

理科は苦手だったが、たしかにそんな力が存在することは知っている。

しかし……潮汐力が最大になるのは、満月の日だけだっただろうか?

おぼろげな記憶ではあるが、確か月の消えた新月の日にも、潮汐力は最大になるのではなかったか。

では、満月の日にだけ湧くというこの沢はいったい何だ?

師匠の目が爛々としている。

なにより師匠の目が、潮汐力という答えを否定しているようだった。

俺は得体の知れない寒気に襲われた。

チャポ という音を立てて、師匠が沢の水を掬っている。飲む気だ。

師匠は掬い取った手の平に満月を見ただろうか。

一心不乱に水を飲みはじめた。何度も何度も手を差し入れて。

俺は立ち尽くしたままそれを見ている。

やがて信じられないものを俺は見て、ヘタヘタと座り込んだ。

気がつくと師匠の手が止まっていて、その下には水面が揺れている。

月がもう映っていなかった。消えた。

俺は逃げ出したくなる気持ちを抑え、この出来事に合理的な解釈を与えようとしていた。
『潮汐力だよ』という、そんな力強い言葉のような。

動けないでいると、師匠が何事もなかったかのように歩み寄ってきて、「もう月も飲んだし、帰ろう」と言った。

その瞬間わかった。へたりこんだまま空を見上げて、俺はバカバカしくなって笑った。

いつのまにか空は曇って月は隠れていたのだ。

本当にバカバカしかった。新月の謎さえ忘れていれば。

次の日、師匠があっさり教えてくれた。

「あのダムはね、30日ごとに試験放流をするんだ」

その周期と満月の周期とが、たまたまかぶっているというのだ。

月の満ち欠けが一周するまでの期間を朔望月といい、平均するとおおよそ29.53日。

30日ごとの試験放流では、一年間で6日ほどズレが生じるはずだが、放流予定日が休日だった場合はその前日に前倒しすることになっており、その周期が朔望月に近づくのだという。

「でもぴったり満月の日に、あの沢が湧くのはめずらしいらしいけどね」

力が抜けた。地下水の圧力変化の原因は潮汐力ですらなく、ただのダムの放流だった。

ようするに担がれたわけだ。

しかし、あの夜起こったことの本当の意味を知った時には、もう師匠はいなかった。

数年後、師匠の謎の失踪のあとあの夜のことを思い出していて、まだひとつだけ解けていない謎に気がついたのだ。

あの夜、俺と師匠は懐中電灯をしぼって沢に向かった。月の湧くという沢に。

空はいつから曇っていたのか。

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