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短編 山にまつわる怖い話 n+2026

戻った者 nc+

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山の奥に、集落の者が決して近づかない場所がある。

地図には載っていない。載せる必要がないからだ。そこへ至る道は、途中で必ず消える。舗装は途切れ、獣道になり、最後は踏み跡そのものが消失する。方向だけは皆知っているが、距離を正確に言える者はいない。

その場所は、昔から《神域》と呼ばれていた。

神域に入れるのは、集落の自治長だけだ。任期の最初に、前任者に連れられて一度だけ入る。その後は、任期中であろうと、用があろうとなかろうと、再び足を踏み入れてはならない。中で何を見たのか、何を聞いたのか、何をしたのか。それについては、家族にも、後継者にも、死ぬまで一切語ってはならない。

それが決まりだった。

自治長という役職は、名誉職ではない。むしろ押し付け合いに近い。表向きは「まとめ役」「代表」だが、実態は集落の負債を一身に背負う役目だ。揉め事の仲裁、役所との交渉、祭りの取りまとめ。その上で、神域の引き継ぎがある。

私は、父が自治長を務めていた。

父は、任期に入ってから急に口数が減った。それまでは無口なりに穏やかな人だったが、ある時期から、こちらが話しかけると一拍遅れて返事をするようになった。視線が合わない。夜中に何度も起き出しては、縁側に座り、山の方を見ていた。

「何見てるの」

そう聞いたことがある。
父は、少し考えてから、
「何も見てない」
と答えた。

神域のことは、子供の頃から知っていた。
「近づくな」「指差すな」「話題にするな」
理由は誰も言わない。言わないこと自体が理由だった。

父の任期中、二人目の自治長経験者が死んだ。首を吊っていた。発見したのは、山菜取りに出た親戚だ。警察は「うつ状態による自殺」と処理した。集落の人間は、誰も異議を唱えなかった。ただ、葬式の後、父の背中が一段低くなった気がした。

数年後、父の任期が終わった。
引き継ぎの日、父は後任者と山に入った。夕方には戻るはずだったが、日が沈んでも帰ってこなかった。私は、妙に静かな山の気配を覚えている。虫の音が一斉に止み、風が落ちた。

二人が戻ってきたのは、深夜だった。
後任者は蒼白で、何度も吐いていた。父は無傷だったが、目が以前と違っていた。何かを見続けている目だった。

それから半年後、父は死んだ。
自殺だった。理由は書き残されていない。
警察は形式通りの説明をし、医者は形式通りの診断をした。集落の人間は、形式通りに受け入れた。

葬式の夜、私は父の部屋を片付けていて、一冊の古い帳面を見つけた。中はほとんど白紙だった。日付と、意味のわからない印だけが、一定の間隔で書き込まれている。文字ではない。地図でもない。何かを写した痕跡のようだった。

帳面の最後のページに、一文だけ書かれていた。

《次は、お前だ》

その頃、私は自治長に選ばれた。

断る理由はあった。だが、断れる前例はなかった。選ばれる理由も、選ばれない理由も、誰にもわからない。ただ順番が回ってくる。それだけだ。

引き継ぎの日、前任者は私を連れて山に入った。
道は、記憶していたより短かった。あるいは長かったのかもしれない。距離の感覚が曖昧になる。気づくと、空気が変わっていた。音が吸い取られ、匂いが消える。

神域の中に、何があったのか。
それは書けない。書くべきではない。

ただ一つ言えるのは、そこに「何かを守っている」感じはなかったということだ。
守られているのは、集落でも、神でもない。
ただ、関わった者が戻れなくなるだけだ。

山から出たあと、私は後任者になった。
誰にも何も話していない。
家族にも、子供にも。

夜になると、父と同じように縁側に座る。
山を見ているわけではない。
だが、視線は自然とそちらに向く。

最近、集落の若い者が言った。
「次の自治長、もう決まってるらしいですよ」

誰が決めたのかは、誰も知らない。
ただ、山は、いつも静かにそこにある。

[出典:79 :名無しさん@涙目です。(矢作神社):2012/01/02(月) 02:03:58.54 ID:a3ynUdKpO]

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