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深夜パン工場~焼窯の松木 r+4,180

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起業資金を貯めるために、夜勤のバイトを探していた。

たまたま見つけたパン工場の深夜シフトは、過酷だが高時給。筋肉痛も寝汗も、将来のためと思えば我慢できた。

成形は楽だ。成形台に流れてくる生地を掴んで丸め、鉄製の焼皿に並べる。その皿をキャリアと呼ばれる鉄の棚に積み上げ、発酵室に運ぶ。キャリア一台に五十皿。時間が来ればベルトコンベアーの焼窯に押し込む。三十メートルを移動するあいだ、電熱でパンが焼き上がる仕組みだ。

だが地獄はその先にあった。焼き上がったパンを火傷に怯えながら回収し、焼皿を束ねて次のラインに回す。熱気で眉毛が焦げそうになる。自分の担当は窯入れだ。五枚の焼皿を両手で同時に持ち、一列に押し込む。ひたすら、ひたすら。息をする間もない。

作業が終わると、白衣の下は汗まみれ。腱鞘炎で手首は膨れ、マスクが苦しみを助長する。それでもやめなかった。金が必要だったから。

ある日、奇妙なことで叱責を受けた。「窯の電源が切れていなかった」と言うのだ。確かに指差し確認はしていた。だが、数回繰り返されるうちに、こちらの精神も摩耗していく。苛立ちが募る。それでも、成形担当の女たちが休憩する中、こっちはノンストップで働くのだ。文句を言いたくなる気持ちもわかってくれ。

ある夜、トイレを済ませた帰りに缶コーヒーで一息ついた。加工室に向かう途中、窯の前で不意に足が止まる。若い男がスイッチを弄っていた。見慣れない、でも社員服は着ている。壁の時計は一時五分。まだ使う時間じゃない。しかも、電源を入れていたのだ。

そのとき、手袋を落として拾い上げた一瞬のすきに、その男は忽然と姿を消した。まるで最初からいなかったかのように。

そのことを監督社員に話すと、奴は一瞬だけ黙り込み、すぐに怒鳴り散らした。仲間は「逆らうな」と目で合図してきた。腑に落ちなかったが、俺は反抗した。「ブレーカーを弄ってる奴がいる。社員の松木という名札をつけた黒縁眼鏡の男だ」と。

そのときの監督の顔が、今でも忘れられない。蒼白だった。名前を聞いた途端、沈黙が走った。

数日後、また同じことが起きた。電源が入っていた。今度は確信した。缶コーヒーを流し込み、タバコを一本。釜へ向かうと、またあの男がいた。今度は背後から話しかけた。

「点検ですか?」

男は反応しない。スイッチを次々に上げ、ダイヤルを弄る。コンベアが低く唸りを上げて動き出す。

「寺島班の首藤です。電源、切ってますよ。あなたが入れてるんじゃないですか?」

振り向いた男の顔は、死人のようだった。肌は白く、目は焦点が合っていない。黒縁眼鏡の奥、虚ろな目が俺を通り抜けていた。名札には「松木」とあった。

無視されたまま、彼は反対側のパネルを開け、黙々とリレーを確認していた。仕方なく作業場へ戻ると、案の定怒鳴られた。「なにしてた!」

「松木という男が……」と言いかけると、社員の顔が一変した。「松木だって?」

俺は頷いた。確かに見た。名札も、眼鏡も。

社員は、何も言わずに釜とは逆方向へ走っていった。そのまま戻ってこなかった。

夜明け前、見慣れない年配の社員が来た。パンと缶コーヒーをくれ、別室で話があるという。

「松木という名札の男を見たんだね?」

頷くと、彼はため息まじりに語った。

松木は、五年前に事故で亡くなった社員だった。焼窯を管理していたが、ある夜、残業帰りにトラックに轢かれたという。以降、焼窯の電源が勝手に入るようになった。最初は操作ミスとされていたが、目撃証言が増えてきた。だが、誰もが「見たような気がする」という曖昧な証言しかできなかった。

「でも君の話は違う。眼鏡、名札、背丈。すべてが一致してる」

……それでも、信じられなかった。

俺を追い出す芝居かもしれない。うるさいバイトを、幽霊話で黙らせようとしているのか。

だが、ある瞬間、あの虚ろな目が、俺の心の奥に何かを刻みつけた。たとえそれが作り物の記憶だとしても、あれは確かに「見た」のだ。

俺はその日でバイトを辞めた。三年苦しんだ腱鞘炎も、やっと癒えた。パンの香りを嗅ぐたび、あの夜の熱気と、名札の「松木」という文字が、頭をよぎる。

あれは幽霊だったのか?
それとも――ただの、俺の錯覚だったのか?

十年経っても、それはわからないままだ。

(了)

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