「すみません、ここどこですか」
深夜二時過ぎ、その女は毎月一度、同じ服装でコンビニに現れた。
防犯カメラには映らないのに、自動ドアだけは確かに開いた……
二〇二四年三月。
茨城。
この話は、偶然聞いた。
深夜にコンビニに入った。取材帰りで、長野から東京に戻る途中、常磐道を降りて国道沿いのコンビニに寄った。コーヒーを買い、イートインスペースで一息ついていた。
レジにいた店員――名札には「小沢」とあった――が、私のコーヒーカップを見て「取材ですか」と声をかけてきた。私がICレコーダーをテーブルの上に出していたのを見たらしい。怪談を集めていると答えたのは、半ば冗談だった。
小沢大輔さん(仮名)、三十代前半。このコンビニの夜勤スタッフだ。彼は少し笑って、「じゃあ一つありますよ」と言った。
客のいない深夜のコンビニのイートインスペースで、小沢さんはレジカウンターに寄りかかりながら話してくれた。
小沢大輔がこのコンビニで夜勤を始めたのは三年前だ。週四日、二十二時から翌朝六時まで。国道沿いの店で、深夜はトラックの運転手か、近隣の工場の夜勤明けの作業員が主な客だった。
最初にその女が来たのは、一年半ほど前の夏だった。
午前二時過ぎ。自動ドアが開いた。入ってきたのは三十代くらいの女性で、白っぽいブラウスにベージュのスカートという格好だった。真夏なのに上着もなく、手ぶらだった。バッグも持っていない。
女性はまっすぐレジに来て、小沢に言った。
「すみません、ここどこですか」
道に迷ったのだろうと小沢は思った。この辺りは夜になると街灯が少なく、土地勘のない人間には分かりにくい。小沢は店の住所を伝え、近隣の交差点の名前を教えた。
女性は「ありがとうございます」と言って店を出た。何も買わなかった。
深夜のコンビニには変わった客が来ることがある。小沢はいちいち気にしない性質だった。
一ヶ月後。やはり午前二時過ぎ。自動ドアが開いた。
同じ女性が入ってきた。同じ服装だった。白いブラウスにベージュのスカート。手ぶら。
「すみません、ここどこですか」
同じ質問だった。小沢は同じ答えを返した。女性は礼を言って出ていった。
小沢はこの時点で「常連」だと認識した。深夜に同じ時間に来て同じことを聞く。変わった人ではあるが、危険な雰囲気はなかった。精神的に不安定な人かもしれないと思った程度だった。
三度目。翌月。同じ時刻、同じ服装、同じ質問。
四度目。また翌月。
小沢は数えるようになった。女性は毎月一度、必ず午前二時過ぎに来て、「すみません、ここどこですか」と聞いて帰る。曜日はバラバラだった。日付も毎月異なる。ただし月に一度、必ず一回。
「服装は毎回同じですか」と私は聞いた。
「同じです。白いブラウスとベージュのスカート。季節が変わっても同じ格好でした。冬でも上着なし。靴も同じ――白いパンプスです」
「会話はその一言だけ」
「最初の何ヶ月かは、そうでした。こっちが住所を教えると、ありがとうございますって言って出ていく。それだけです」
小沢は気になることがあった。防犯カメラだ。
コンビニには店内と入口に防犯カメラがある。小沢は夜勤明けに、女性が来店した日の映像を確認してみた。
午前二時過ぎ。自動ドアが開く映像が残っていた。ドアは確かに開いている。だが、入ってくる人の姿が映っていなかった。
ドアが開き、閉まる。その間に人が通った形跡がない。
レジ周辺のカメラも確認した。小沢がレジカウンターの前で誰かに話しかけている映像が残っている。口が動いている。だが、小沢の目の前には誰もいなかった。
「最初に見た時は機械の不具合かと思いました」と小沢さんは言った。「でも、同じ時間帯に来た他の客はちゃんと映ってるんです。彼女だけが映らない」
小沢はそれでも、大騒ぎはしなかった。
「映らないものは映らないし、見えるものは見える。俺の目の前に立って話してるんだから、いることはいるんでしょう。カメラに映らないだけで」
それが半年続いた。月に一度。同じ服装。同じ質問。カメラには映らない。自動ドアだけが開閉する。
変化があったのは、十一ヶ月目だった。
その夜も午前二時過ぎに女性が来た。自動ドアが開き、白いブラウスの女性がレジに向かって歩いてきた。
小沢は住所を言おうとした。もう暗記している。毎月同じ答えだ。
だが、女性はいつもの質問をしなかった。
代わりに、少し笑った。
「やっと見つけた」
小沢は面食らった。一年近く通っておいて、何を見つけたのか。
女性はそのまま店内に入っていった。レジを通り過ぎ、商品棚の方に歩いていった。小沢はレジから出て後を追おうかと思ったが、やめた。万引きの警戒はあったが、手ぶらの女性が何を盗むのかという気もした。
女性は飲料の棚の前で立ち止まり、ペットボトルの水を一本取った。それからレジに戻ってきた。
「これ、ください」
初めて買い物をした。小沢はバーコードを通し、金額を告げた。女性はスカートのポケットから小銭を出して払った。百円玉と十円玉。
小沢はレジ袋に入れようとした。
「いいです、このままで」
女性はペットボトルを受け取り、蓋を開けてその場で一口飲んだ。それから「ありがとうございます」と言って店を出た。
自動ドアが閉まった。
「その時は、ああ、今月はちょっと違ったな、くらいにしか思いませんでした」と小沢さんは言った。
翌朝のことだった。
小沢が夜勤を終えて帰ろうとすると、店の前の国道にパトカーが停まっていた。二台。国道の片側が規制されていた。
日勤の店長に何があったか聞くと、「明け方に遺体が見つかった」と言われた。
店から百メートルほど国道を南に下った路肩で、女性の遺体が発見されたのだ。身元不明。三十代くらい。白いブラウスにベージュのスカート。白いパンプス。
死因は交通事故だった。ひき逃げと見られている。遺体の損傷から、死亡推定時刻は前夜の午前一時から三時の間とされた。
「俺が応対したのは午前二時過ぎです」と小沢さんは言った。「死亡推定時刻の範囲内です」
「その女性が、一年間通っていた人と同一人物かどうかは」
「確認のしようがありません。カメラに映っていないんだから。でも服装は同じです。白いブラウス、ベージュのスカート、白いパンプス」
「所持品は」
「警察の発表では、所持品なし。身分証も財布もなし。身元不明のまま捜査中――たぶん今でもそうだと思います」
小沢さんはレジカウンターの下から、小さなビニール袋を取り出した。中に百円玉一枚と十円玉数枚が入っていた。
「あの夜、彼女が払った金です。レジには入れました。でも気になって、同額を自分のポケットから出して入れ替えた。彼女の小銭はこっちに」
私は袋を見た。普通の硬貨だった。
「幽霊の金なら消えるんじゃないか、と思ったんです」と小沢さんは言った。「でも消えない。普通の金です。自販機でも使える」
小沢さんはそこで少し間を置いた。
「一つだけ、分からないことがあるんです」
「何ですか」
「彼女は一年間、『ここどこですか』って聞き続けていた。俺は毎回、住所を教えた。同じ住所を。彼女は礼を言って出ていった。でも翌月また来て、同じことを聞く。俺の答えを聞いても、自分がどこにいるか分からなかった。ずっと迷っていた」
小沢さんはカウンターに両手をついた。
「で、最後の夜に『やっと見つけた』って言った。水を一本買って、出ていった。その日のうちに――もうすでに死んでいる状態で――国道の路肩で見つかった」
「彼女が見つけたものは何だったと思いますか」
小沢さんは首を振った。
「分かりません。ただ、見つけた後に死んだのか、死んだから見つけたのか、どっちなのかなって。時系列がおかしいんですよ。死亡推定時刻は午前一時から三時。俺が応対したのは二時過ぎ。あの時すでに死んでいた可能性がある」
「最初から、ずっと」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない。分からない。ただ、毎月来てたのは――毎月、自分がどこで死んだか探してたんじゃないかって。そんな気がします」
コンビニを出ると、国道は静かだった。車の音もない。街灯の下で、路肩のアスファルトが白く光っていた。
店から百メートル南。そのあたりに目を向けたが、暗くて何も見えなかった。
小沢さんは「また来たら住所教えますよ」と笑った。レジに戻っていく背中を見ながら、私は思った。彼女はもう来ないだろう。見つけたのだから。
ただ、見つけたものが「自分が死んだ場所」だったのだとしたら――それは、救いなのだろうか。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]
この話は、志那羽岩子が記録した十八話のうちのひとつです。
怪談を集めるつもりはありませんでした。けれど、一つ聞くと、次が来る。団地の角部屋の話を聞いたあとから、まるで順番を待っていたみたいに、別の場所で別の話が集まりはじめました。
『蒐集者の手帳 忘れられなかった十八の怪談』は、フリーライター志那羽岩子が、取材の途中で出会い、どうしても忘れられなかった十八の怪談を記録した一冊です。実話怪談ふうの聞き書き形式で進みながら、読み進めるほど、記録者である岩子自身の気配も濃くなっていきます。
この一話のあとにも、まだ十七話が残っています。
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